西村賢太の「蝙蝠か燕か」を読んだ!(再掲) | とんとん・にっき

西村賢太の「蝙蝠か燕か」を読んだ!(再掲)

経堂の三省堂で「おっ、これは!」と思い、購入し読みました。さて、ブログを書こうとして、1年前に読んでブログに書いていたことが判明しました。読んでみると、なんと僕にしては丁寧に書いていました。西村賢太の最後の作品だし、これは再掲ものだなと思い、以下に載せることにしました。

 

 

西村賢太の「蝙蝠か燕か」を読みました。

 

「どうしても、私小説だけは

生きてゆく上で必要であったのだ」

私小説作家として師・藤澤清造に殉じた生涯。

真骨頂たる苛烈な”没後弟子道”を主題に据えた三篇を収録。

北町貫太最後の雄姿を眼に刻め。

 

貫太は師・藤澤清造の墓前にぬかずき唱える、「引き続き、その無念を継がせてください」。もうとっくに人生を棒にふっている彼にとって、それが唯一の生き甲斐であるのだ。

 

収録作

「廻雪出航」

「黄ばんだ手蹟」

「蝙蝠か燕か」

 

雪は町中にあっても、暗い上空に渦巻いていた。だが車の往来があ為に、足元に舞い落ちた雪は瞬時に氷片に変じて、水滴と化す。その霙の路を踏みしめながら、また藤澤清造の言葉を思いだしていた。

”能登の風土は懐かしいが、そこにいる人間どもが嫌だ。こすっからい奴ばかりだから、嫌なんだ”

と述懐し、そして事実、満十六歳で上京したのちには母親の危篤時に一度帰ったきり、あとは終生七尾に戻ることのなかった藤澤清造に、ひたすらの想いを馳せていた。(「廻雪出航」より)

 

清書作業を終えたら、まずはこの額を作り直すことを期した貫太は、今一度、件の額内をまじまじと見やる。

やはり、くり抜きが深い。これが深過ぎて、空洞の中で裏打ち付きの書簡が自らの重みにたわみ、その結果で生じたズレである。

確と原因を究明した彼は、何がなしスッキリした心持ちでもって仕事机代わりのテーブルに戻ると、清書用の原稿用紙に、震えをおびた下手糞な文字を書き始める。(「黄ばんだ手蹟」より)

 

けれど季節と云い場所と云い、そして時刻の頃合と云い、今はそれが舞っていても決して不自然な状況ではなかった。

イヤ、むしろここでこそ横切っていって然るべきである。

なので、生来が大甘にできている貫太は仕方なく、眼前の少しくとろりとやわらかくなった青空に目を据えて、脳中でその鳥影を形成する。

恰も初手の出発と此度の始動を重ね合わせたその表象として、見たところの、群れから取り残された蝙蝠だか燕だかの黒点を頭の中で翻えさせる。(「蝙蝠か燕か」より)

 

西村賢太: 
1967(昭和42)年7月、東京都江戸川区生れ。中卒。新潮文庫版「根津権現裏」「藤澤淸造短篇集」、角川文庫版「田中英光傑作選 オリンポスの果実/さよなら 他」を編集、校訂、解題。著書に「どうで死ぬ身の一踊り」「暗渠の宿」「二度とはゆけぬ町の地図」「小銭をかぞえる」「廃疾かかえて」「随筆集 一私小説書きの弁」「人もいない春」「苦役列車」「寒灯・腐泥の果実」「西村賢太対話集」「小説にすがりつきたい夜もある」「一私小説書きの日乗」(既刊7冊)「棺に跨がる」「疒(やまいだれ)の歌」「下手に居丈高」「無銭横町」「痴者の食卓」「東京者がたり」「形影相弔・歪んだ忌日」「風来鬼語 西村賢太対談集3」「蠕動で渉れ、汚泥の川を」「芝公園六角堂跡」「夜更けの川に落葉は流れて」「羅針盤は壊れても」「瓦礫の死角」「雨滴は続く」などがある。2022年2月5日、急逝。

 

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