西村賢太の「棺に跨る」を読んだ! | とんとん・にっき

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西村賢太の「棺に跨る」(文春文庫:2016年4月10日第1刷)を読みました。単行本は、2013年4月に文芸春秋社から刊行されています。


本の帯には「<秋恵もの>完結篇!」と大きくあり、そして「カツカレーから諍い、最終破局まで―平成の私小説家、彫心鏤骨の連作集」とあります。これでこの本「棺に跨がる」のほぼすべてを言い表しているように思います。


本のカバー裏には、もう少し詳しく、以下のようにあります。

カツカレーの食べかたを巡って諍いとなり、同棲相手の秋恵を負傷させた寛多。秋恵に去られる事態を怖れた彼は、関係の修復を図るべく、日々姑息な小細工を弄するのだが―。「どうで死ぬ身の一踊り」の結末から始める特異な手法で、二人の惨めな最終破局までを描いた連作私小説集。<秋恵もの>完結編。 解説・鴻巣友季子


文庫本の解説者・鴻巣友季子は、以下のように書く。

「秋恵もの」とは、定職もなくモテない主人公の男(多くは北町寛多という名)が一度だけ同棲した女性「秋恵」との、日々悪化する関係を描いた、ゆるやかな連作シリーズで、寛多の暴力癖やひねくれ根性を含め、人間の卑劣さ、醜悪さ、みみっちさ、いじましさ・・・要するにあなたの奥底にもきっとあるイヤ~な部分を、泥浚いするがごとく味わい尽くせる作品集である。


鴻巣友季子の解説のタイトルは、「虫歯を噛みしめるような快感」です。西村賢太の私小説を読む「快さ」はそれに近い、と鴻巣はいう。こらえ性がなく、暴力癖があって、自尊心の高い男が、その性分ゆえにますますダメになってゆく。にぶく疼く虫歯は苦痛だし、鬱陶しいし、できれば忘れていたい。とはいえ、どうでも去らない痛みなら、もういっそ、ぎりぎりと噛んで痛んだ部分を痛めつけ、もっともっと痛い思いをしてやれ、歯ごと砕いてやれ…というような自滅的快感である。


あまり読みたくないが、虫歯を執拗に噛むところから笑いが生まれる。笑いは、痛みとの距離をつくる。虫歯をいかにスタイリッシュに噛むかというところに、西村文学の本領はあるのだ。と、このように鴻巣友季子はいいます。そして、そこに日本文学の私小説の再生もある、と続けています。

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