西村賢太の「下手に居丈高」を読んだ! | とんとん・にっき

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shita


「カバー著者肖像」、上/31、32歳時、下/現在。

初出/「週刊アサヒ芸能」2012年11月15日号~2014年4月3日号

単行本/2014年9月刊。連載時タイトル「したてに居丈高」を改題。


西村賢太の文庫本、なるべく買っておき、暇な時に読んでいます。

毎回同じようなことを書いていますが、僕にはこれがけっこう面白い。


お得意な言い廻し…。

「根がこれ人一倍のロマンチストにできている私は・・・」「根がスタイリストにできている私は・・・」「生来頭が弱く、根がきわめて小心にもできているがゆえに・・・」「これは病的に短気な質にできている私には…」「こう見えて根は随分と律儀にできているだけに・・・」「根が機嫌窺いにできてるだけに・・・」「私はこう見えて根がひどい寂しがりにもできているから・・・」「根がどこまでも駄々っ子根性にできている私は…」


とどのつまり、どこまでも一私小説書きの私にとり、自分の小説以外のことはこの世の全般に亘って、まったくもってどうでもいいことなのである。


大正時代に長篇私小説「根津権現裏」で文壇に現れ、一時は新進作家として活躍したもののすぐと凋落し、昭和7年に芝公園のベンチで狂凍死した作家だが、自分で言うのも僭越至極ながら、私の”藤澤淸造狂い”は知る人ぞ知るところとなっている。


藤澤清造の「根津権現裏」は、かなり前に買ってありますが、怖れ多くてなかなか手が付けられない。


阿部公彦(英文学者)の「解説」、どうでもいいことを長々と書いていますが、さすがに最後はしっかり〆ています。以下、その要点を末尾から…。


私にとっての本書の最大の魅力は、絶妙な話芸の間からときおりのぞく西村氏の小説執筆に向けた執念のようなものである。執筆の「行程」を説明するときのみならず、自身の体調や体質を描くとき、文壇や編集者や読者に対して不満や怒りをあらわすとき、誰に向かうものでもない深い怨念をはき出すときにも、必ずそれが「書く西村」とつながっている。・・・これだけ軽妙にこちらを楽しませてくれるサービス満点の書きぶりなのに、「ここにまちがいなく西村賢太がいる!」とばかりに、痛くてこちらに痣が残りそうな触感とともに伝えてくるその揺るぎなさは感動的なのである。


本のカバー裏には、以下のようにあります。


世の不徳義を斬り、返す刀でみずからの恥部をえぐる。この静かで激しい無頼の流儀――。煙草とアルコールをかたわらに、時代遅れな゛私小説゛の道を突き進む孤独な日々は、ひとつの意志と覚悟に満ちている。したてに「落伍者」を自認する、当代きっての無頼派作家は現世の隙間になにを眺め、感じ、書いているのか。軽妙な語り口でつづられる「週刊アサヒ芸能」連載の傑作エッセイ集。


西村賢太:
1967年7月東京都生れ。中卒。

著書に「どうで死ぬ身の一踊り」「暗渠の宿」「二度はゆけぬ町の地図」「小銭をかぞえる」「廃疾かかえて」「随筆集 一私小説書きの弁」「人もいない春」「苦役列車」「寒灯・腐泥の果実」「西村賢太対話集」「小説にすがりつきたい夜もある」「棺に跨がる」「けがれなき酒のへど 西村賢太自選短篇集」「一私小説書きの日乗 憤怒の章」「薄明鬼語 西村賢太対談集」「随筆集 一私小説書きの独語」「(やまいだれ)の歌」「無銭横町」「痴者の食卓」「東京者がたり」「風来鬼語 西村賢太対談集3」「形影相弔・歪んだ忌日」「一私小説書きの日乗 遥か道の章」「蠕動で渉れ、汚泥の川」「芝公園六角堂跡」など。

また、文庫版「根津権現裏」「藤澤清造短篇集」「田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら他」を編集、校訂、解題。


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