100分de名著「宮本常一 忘れられた日本人」! | とんとん・にっき

100分de名著「宮本常一 忘れられた日本人」!

 

6月の100分de名著は「宮本常一 忘れられた日本人」です。

 

 

 

 

 

 

プロデューサーAのおもわく:

「民衆史」「生活誌」という独自の概念を生み出し、戦後の民俗学や歴史学に決定的な影響を与えた宮本常一(1907-1981)。柳田国男、折口信夫と並び称される民俗学の巨人です。宮本が20年来の研究の傍らで取りこぼした聞き書きを編纂し、彼独自の民俗学のあり方や方法を示した代表作が「忘れられた日本人」(1960)です。ここ数年、宮本常一についての様々な研究書や読み物が相次いで出版され、一般の人々の間でも関心が巻き起こっています。そこで「100分de名著」では、代表作「忘れられた日本人」を読み解き、奥深い宮本の思想に現代の視点から新しい光を当て直すことで、私たちの根底にある「生活意識や文化」をあらためて見つめなおします。

宮本常一は、日本列島をすみずみまで歩き、多くの人々から夥しい数の話を聞き取りました。列島各地の歴史や事情に精通し、農業、漁業、林業等の実情を把握することで、その豊かさや価値、問題点を明らかにしていったのです。そうした調査の中で、宮本は、出会った物象の底に潜む生活意識や文化の奥深さに触れることになります。彼は、既存の民俗学の方法だけでは、そうした事態はとらえきれないと考え、紀行、座談、聞き書き、随筆など、さまざまな手法を用いて、民衆の生活意識や文化を浮かび上がらせようとした。その試みの集大成が「忘れられた日本人」という書物なのです。

この書物を読み解くと、伝統が色濃く残る集落には、「寄合」「共助」「世間師」など、現代社会が失ってしまった共同体運営の知恵にあふれています。また、ごく日常的な営みにも現れる日本人ならではの感受性が歴史を通じてどう育まれていったかを知ることもできます。いわば「忘れられた日本人」は日本人の心性の原点を探りだす著作なのです。

民俗学者の畑中章宏さんは、「忘れられた日本人」を現代に読む意味が「近代化の中で表面的には忘れ去っているようにみえるが、無意識のうちに我々を規定している生活や文化の基層に触れることができること」だといいます。畑中さんに「忘れられた日本人」を現代の視点から読み解いてもらい、「私たちは何者なのか」を深く考えていきます。

 

各回の放送内容

第1回 もうひとつの民俗学

柳田国男が創始した民俗学の流れに沿いながらも、宮本常一は新しい形の民俗学を立ち上げようとした。その特徴を一言でいえば「もの」を入り口にすること。柳田が目には見えない民間伝承、民間信仰を元にして「心」を手掛かりに日本人を明らかにしようとしたのに対し、宮本は、風物、技術、生業、慣習、日常のさりげない行為、民具など、目に見える「もの」に注目することで、民衆の生活意識の根本を明らかにしようとする。第一回は、宮本常一が立ち上げようとした「もうひとつの民俗学」の構想を明らかにすることで、「忘れられた日本人」という書物で彼が何を浮かび上がらせようとしたのかに迫っていく。

第2回 伝統社会に秘められた知恵

「寄合」「子どもさがしにみられる共助」「女性たちの相互扶助」……まだ伝統や慣習が色濃く残っている集落には、人々の絆をよりよい形で保持し、納得のいく形で方針が決定される巧みなシステムが働いている。何日も何日も話し続け反対意見や不満を全て吐き出させることでみんなが納得できる落としどころを探っていく「寄合」はその典型例だ。そこには私たち現代人がよってたつ民主義システムが失ってしまった知恵があふれている。第二回は、地域社会に根付く「民俗的システム」がどのようなものなのかを明らかにし、効率性の名のもとに現代社会が見失ってしまったものを浮き彫りにしていく。

第3回 無名の人が語り出

宮本常一が光を当てようとするのは常に「無名の人」だ。「忘れられた日本人」では、文字を知らない庶民や何ら業績を残したことがない「物乞い」など、歴史の片隅に追いやられた人たちが鮮やかに描かれる。従来の歴史学では、庶民はいつも支配者から搾取され、貧困で惨めな、反抗のみを繰り返してきた存在として描かれてきた。しかし、為政者を中心に書かれてきた「大きな歴史」は、文字によって記録に残されていない「小さな歴史」によってこそ成り立っていることを私たちは忘れてしまっていると宮本はいう。第三回では、宮本常一の「無名の人」に関する聞き書き、論考から、私たちが「進歩」の名のもとに切り捨ててきた「もうひとつの日本人たち」の歴史に迫っていく。

第4回 「世間師」の思想

宮本常一が対象にした共同体は、旧来の説のように固定的で閉鎖的なものではない。それは、村を離れて放浪した人たちが得た新しい知識や刺激がもたらされることで、既存の知と入り混じり常にダイナミックに変貌にしていく動的なものなのだ。かつての日本では、「世間師」を呼ばれる人たちが集落に存在し、「旅」を通じて新たな刺激や知恵を集落にもたらしてく仕組みが働いていたという。その営みは、宮本自身が民俗学という学問を通じて実践しようとしていた、地域社会を豊かにしていこうという営みとも重なり合う。第四回は、「世間師」や「伝承者」と宮本が呼んだ人々が共同体にもらたらした豊かなものに迫っていくとともに、宮本が「民俗学」を通して何を成し遂げようと考えていたのかを明らかにしていく。