第170回芥川賞選評! | とんとん・にっき

第170回芥川賞選評!

 

第170回令和5年下半期芥川賞決定発表

芥川龍之介賞

東京都同情塔  新潮12月号  九段理江

 

芥川賞選考経過

第170回芥川龍之介賞選考委員会は1月17日に東京・築地の「新喜楽」で開かれました。

小川洋子、奥泉光、川上弘美、島田雅彦、平野啓一郎、堀江敏幸、松浦寿輝、山田詠美、吉田修一の9委員が出席して討議を行い、頭書の通り受賞を決定いたしました。

 

受賞作以外の候補作は次の4作品です。

安堂ホセ「迷彩色の男」(文藝秋季号)

川野芽生「Blue」(すばる8月号)

小砂川チト「猿の戴冠式」(群像12月号)

三木三奈「アイスネルワイゼン」(文學界10月号)

これらの作品は2023年6月1日から2023年11月末日までの6か月間に発表された中から予選を通過したものです。

 

以下、芥川賞選評

ここでは、受賞作「東京都同情塔」に限って載せます。

 

「迷彩色の男」小川洋子

ある事柄に名前が付く。トランスジェンダー、フェミニズム、多様性・・・。するとそれまで薄ぼんやりしていた世界の一部が不意に輪郭を持ち、見えているようでいなかったものの存在を意識できるようになる。自分の視界が深まったかのような錯覚に陥り、その言葉を便利な道具として使ってしまう。やがて言葉は膨張し、それを共有できる者とできない者を、容赦なく分断してゆく。

「東京都同情塔」は、そうした言葉のいびつさが招く恐ろしさを描いている。共感の行きつく先には、犯罪者に同情を寄せるための塔が建設される。しかもザハ・ハディドが設計した国立競技場から生み落とされる、という形で。

ただ、どうしても私は、建築家の牧名沙羅にも、塔で働く拓人にも人間的な息づかいを感じることができなかった。思考のための言葉ではなく、心からにじみ出てくる声なき声を聞きたかった。九段さんが小説の可能性を押し広げてゆく書き手であるのは間違いない。そのエネルギーに敬意を表したい。

 

「レミゼラブル2・0」島田雅彦

「東京都同情塔」は生成AIとその基盤である大規模言語モデルに対する批評意識を中心に据え、現実を大いに反映した脳化社会のディストピアに生きる憂鬱を語った作品である。並列的に独自のターミノロジーを持つ建築への言及もあり、語り手の過剰な批評が大半を占める印象だ。とりわけゴシック体で書かれた部分は人間や社会の方がAI化してゆくような逆転現象が示唆されている。作者は実際に生成AIを創作に活用したそうだが、AIにユニークなコマンドを出しさえすれば、生成されたテキストは人並みになる。ただ、私が思うに、このディストピアに生きる当事者たちの狂気や抵抗をもっとアクションとして作品に盛り込んでいたら、より多くの読者のシンパシーを獲得できたはず。

 

「「人間性」の外部」松浦寿輝

他方、「東京都同情塔」に出てくる生成AIの言語は、徹頭徹尾「人間そっくり」だが、同時に徹頭徹尾「非人間的」でもあるという怖さがある。主人公の名前自体が牧名=マキナ=機械であるこの小説の、「地」の文そのものにそもそも何やら不穏な「非人間性」が漂っており、人間と人間が建造したこの世界に対する作者の醒めた批評的自意識が感知される。

ここ二、三十年、PC的言説が全面化し、弱者や少数者の擁護が声高に提唱され、ひいては動物の権利回復までも主張され、世界はどんどん「優しく」なってきている。その行き着く先は、犯罪者を「同情されるべき人々」と見なし、都心にそびえる塔に集めて優雅な暮らしをさせようという極端な発想であろう。フーコーが分析した「一望監視システム」の刑務所は中央に監視塔がそそり立ち、周縁に囚人房が配されていたが、作者はその真逆の異常空間を構想し、現代社会を諷刺的に撃とうとしている。

詰め込まれた観念の重量に比して、リアリティのある細部が稀薄なのが物足りないが、そのこと自体がしかし、九段氏の小説作法の個性的な持ち味なのかもしれない。

 

「選評」山田詠美

「東京都」同情塔。硬質でAIっぽい文章が続く中、時折、叙情的なパートが魅力的に浮き上がる。「葉の一枚一枚の音が、翻訳されるのを待っている秘密のメッセージに聞こえる」とか。世界的建築家サラ・マキナさん、哀しくて憐れでチャーミング。東京都知事にも読んでもらいたいこの発想。同情塔へのパス、欲しいです。

 

「幻想的な構造計算」平野啓一郎

私が推したのは、「東京都同情塔」だった。バベルの塔の神話を主題に、言葉と物との関係の混乱とあるべき理想とを、自ら構想中の塔と同化するように倒錯的に模索する女性建築家の造形が冴えており、また、彼女が、まさに政治的に正しく、明確で冗長な言葉で現実の「全地の表」を覆い尽くそうとする「文章構築AI」と呼応し合う構造は犀利だった。

前回候補作が太宰作品を更新したように、本作は三島由紀夫の「金閣寺」の影響が顕著で、しかもそれをほとんど感じさせないほど、荒唐無稽ながら力強い斬新な世界を構築している。ザハ・ハディドの新国立競技場が建っていた世界というパラレル・ワールドの設定も蠱惑的で、更にはバベルの塔と「同情塔」という、すべてが現実にはアンビルドである三つの建築が、この虚構世界を支えている光景には、幻惑的な構造計算がある。

新しい才能による圧倒的な受賞作だった。

 

「選評」奥泉光

「バベルの塔の再現。シンパシータワートーキョーの建設は、やがて我々の言葉を乱し、世界をばらばらにする」と九段理江「東京都同情塔」は書き出される。旧約聖書に即して考えれば、言葉が乱された状態は人間存在の条件であり、異なる言語を持つからこそ、互いが「対話」を通じて世界を創造していくことが可能になるわけだが、東京都同情塔に象徴されるこの日本では、生成AIがなすような言語の平準化が押し広がり、人間は対話性を失い、まさ世界がばらばらになりつつある。これは現実に起こっている事柄であり、作者の批評性が光る。ただ近未来SF風の枠組を用いつつこの文体で書くなら、犯罪者が「幸福に」暮らすという塔の具体的な成り立ち、仕組みについても描いてほしいとの、些かないものねだり的な感想を抱いたものの、受賞作にふさわしい緊密な質感を備えた作品だと評価した。

 

「選評」吉田修一

「東京都同情塔」アンビルドの女王と呼ばれた建築家ザハ・ハディドの国立競技場が完成し、理想主義者の塔が建つ東京が舞台。ある意味、傷つかなかった東京を描くことで、現実の傷ついた東京を浮かび上がらせる。作者の考えや思いを一方的に押し付けてくるようなものが多い新人作品の中にあって、本作はキャッチーな舞台設定や登場人物たちといったエンターテイメント性と批評性とのバランスが大変良く、作品の中に読者の遊び場がきちんと用意されている。おそらくこれは作者と登場人物(特に主人公の建築家)との距離感のバランスがよいためで、何かを押しつけられるような感覚なく、読者は自身の想いや声が作品の中にも届くような気がするのだと思う。さらに一方で鋭い批評性もあり、主人公がコンクリートの像となって後世に残るという壮絶な叫びのようなラストでは、近づきすぎたその読者たちの立ち入りを冷たく拒むような印象も残す。今後もさまざまな題材を貪欲に吸収して、多様な世界を書いていける作家だと思う。

 

「耐える」川上弘美

選考をおこなう時に、この作者は小説を書き続けてくれるだろうか、ということを、いつも考えます。考えますが、実際のところ、どうやって、書き続けられるかを判断したらいいのか、いまだにわかりません。

とはいえ、思うことは、少しあるのです。ずっと書きつづけている身近な作家たちを見ると、どうしてもこうしても小説を書くのだ、書きあげるのだ、という欲望にまみれている、ような気がします。これ、けっこう意地汚い欲望です。くいしんぼうが、少しでもおいしいものを欲望するのと、似ている感じです。それから、たいがいの作家たちには、「伝えたいこと」という結論めいたものは、ない、ような気もします。小説で何かを伝えるのではなく、小説を書いている間に何かを考え、その考えによって小説が進み、小説が進むとまた違うことを考え、いろいろ考えて何がなんだかわからなくなりながらも、わからなくなっている自分に対してわかったふりはせず、慎重に書いてゆく。というような、すっきりしない、ぐるぐるだらだらもにょもにょした時間に耐えて、みんな小説を書いている、のではないか。

「東京都同情塔」の作者も、書きながら、いろいろ、考えたのだろうな、と思いました。なぜなら、小説の言葉が、文章が、読者であるわたしに、よかったらいろいろ考えてみて、と語りかけてくるからです。「考えてみて」の先には、正解はありません。なぜなら、作者は正解をだしてほしいのではないからです。作者はたぶん、ただ、考えてほしいのです。作者と違う考えでもいいし、いっそのことまったく関係ないことを考えるのでもいい、でも、考えてみて、と。すっきりしない時間に耐えて、この小説を結実させた、作者の小説完成欲の強さに、たいへん惹かれました。一番に推しました。

 

「なにかがはみ出してくる」堀江敏幸

九段理江さんの「東京都同情塔」は、作品自体の構造計算と建築をめぐる発語をAIという機械(machina/牧名)に委ねる着想に支えられている。ザハ・ハディドの国立競技場と東京都同情塔。二つの仮定の上に立つ一対の世界には、鉄筋コンクリートの重さがない。紋切り型の言葉の牢獄を前に、「私自身が外部と内部を形成する建築」だとする建築家の自己認識が鈍い光を放つ。近未来ではなく、現代日本を地上百数十メートルから見下ろしたうつろな緊張感が読後に残る。

 

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