ハン・ガンの「別れを告げない」を読んだ! | とんとん・にっき

ハン・ガンの「別れを告げない」を読んだ!

 

ハン・ガンの「別れを告げない」(白水社:2024年4月10日第1刷発行)を読みました。

 

国際ブッカー賞受賞作家、待望の最新長編!

韓国で発売後1か月で10万部突破のベストセラー!

いま生きる力を取り戻そうとする女性同士が、

済州島4・3事件を生き延びた母親の知られざる情熱をたどり、

再生に向かう愛の物語。

私が経験したことのすべてが結晶になる。

 

記憶と哀悼を抱きしめ痛みがつなぐ未来

「今日的でリアルな生きがたさを抱えた二人の女性の結びつきが、激甚な歴史の痛みを通過して、生死をまたぐ愛の状態にまで昇華される。」

(「訳者あとがき」より)

 

作家のキョンハ(「私」)は2014年の夏、虐殺に関する本を出してから、何かを暗示するような悪夢を見るようになる。何度も脳裏に浮かぶ黒い木々の光景がずっと気がかりで、よい場所に丸木を植えることを思い立つ。ドキュメンタリー映画作家だった友人のインソンに相談し、それを短編映画にすると約束して4年が過ぎた。一人っ子のインソンは、認知症の母親の介護のため、8年前に済州島の村の家に帰り、4年間母親を看病して看取った。キョンハがこの夢の話をインソンにしたのは母親の葬儀の時だった。インソンはその後も済州島の家にとどまることに。キョンハはその間に家族や職を失い、ソウル近郊の古いマンションに引っ越してきた。心身は疲弊し、遺書も何度か書いた。その年の12月、キョンハのもとへ、インソンから「すぐ来て」とメールが届く。インソンは病院にいた。木工作業中に指を切断してしまい、苦痛のとぎれることのない治療を受けているところだった。インソンはキョンハに、済州島の家に今すぐに行って、残してきた鳥を助けてほしいと頼む。大雪の中、キョンハは、済州島のインソンの家に何とかたどりつく。4・3事件を生き延びたインソンの母親が、夢でうなされないように布団の下に糸鋸を敷いて寝ていた部屋にも入る。夢とも現実ともつかない中でインソンがあらわれ、鳥を仲立ちにして静かに語り合う。そこで初めてキョンハはインソンがこの4年間ここで何をし、何を考えていたのかを知る。認知症が進んだ母親の壮絶な介護、そして、母親が命ある限りあきらめず追い求めた真実への執念も…。

 

これが母さんの通ってきた場所だと、わかったの。悪夢から目覚めて顔を洗って鏡を見ると、あの顔にしつこく刻み込まれていたものが私の顔からも滲み出ていたから。信じられなかったのは、毎日太陽の光が戻ってくるということだった。夢の残像の中で森へ歩いていくと、残酷なほど美しい光が木の葉の間から分け入ってきて、何千、何万もの光の点々を作っていたもの。骨たちのかたちが、その丸の上でゆらゆらしていたよ。滑走路の下の穴の中で膝を曲げていた背の低い人の幻影を、その人だけではなくて、そのそばに横たわったすべての人が肉をまとい、顔を持っている。そういう幻影をあの光の中で見たの。(「第Ⅲ部 炎」より)

 

ハン・ガン:

1970年、韓国・光州生まれ。延世大学国文科卒業。2005年、二つの中扁小説をまとめた「菜食主義者」で韓国最高峰の文学賞である李箱文学賞を受賞。同作で16年にアジア人初の国際ブッカー賞を受賞。17年、「少年が来る」でイタリアのマラパルテ賞を受賞、23年、本書でフランスのメディシス賞(外国小説部門)を韓国人として初めて受賞し、24年にフランスのエミール・ギメアジア文学賞を受賞した。本書は世界22カ国で翻訳刊行が決定している。他の邦訳に「ギリシャ語の時間」「すべての、白いものたちの」「回復する人間」「そっと静かに」「引き出しに夕方をしまっておいた」がある。

 

訳者略歴

斎藤真理子:

翻訳家。パク・ミンギュ「カステラ」(共訳)で第1回日本翻訳大賞、チョ・ナムジュ他「ヒョンナムオッパへ」で<韓国文学翻訳院>翻訳大賞受賞。訳書は他に、ハン・ガン「回復する人間」「すべての、白いものたち」「ギリシャ語の時間」「引き出しに夕方をしまっておいた」(共訳)、パク・ソルメ「もう死んでいる十二人の女たちと」「未来散歩練習」、ペ・スア「遠きにありて、ウルは遅れるだろう、パク・ミンギュ「ピンポン」、チョ・セヒ「こびとが打ち上げた小さなボール」、ファン・ジョンウン「誰でもない」「年年歳歳」「ディデイの傘」、チョン・イヒョン「優しい暴力の時代」、チョン・ミョングァン「鯨」、チョン・セラン「フィフティ・ピープル」「保健室のアン・ウニョン先生」「声をあげます」「シソンから」、チョ・ナムジュ「82年生まれ、キム・ジョン」「サハマンション」、李箱「翼 李箱作品集」など。著書に「韓国文学の中心にあるもの」、「本の栞にぶら下がる」、「曇る眼鏡を拭きながら」(共著)がある。

 

朝日新聞:2024年6月1日