多和田葉子の「ゴットハルト鉄道」を読んだ! | とんとん・にっき

多和田葉子の「ゴットハルト鉄道」を読んだ!

 

 

多和田葉子の「ゴットハルト鉄道」(講談社文芸文庫:2005年4月10日第1刷発行、2020年4月1日第7刷発行)を読みました。

 

ゴットハルト鉄道という名前の鉄道があるわけではない。ゴットハルトは峠の名前で、鉄道の名前ではない。でも日本語では、列車はごっとごっとと走るので、「ごっとはると」、を鉄道の名前にしてしまった。意識してそうしたわけではないが、今ふりかえってみると、そういうことなのだろうと思う。ゆっくり鈍行で移動していくうちに、文庫本化に辿り着くことができたことをうれしく思う。

(「著者から読者へ」)

 

変幻自在、越境する言葉のマジック!

 

“ゴット(神)ハルト(硬い)は、わたしという粘膜に炎症を起こさせた”ヨーロッパの中央に横たわる巨大な山塊ゴットハルト。暗く長いトンネルの旅を“聖人のお腹”を通り抜ける陶酔と感じる「わたし」の微妙な身体感覚を詩的メタファーを秘めた文体で描く表題作他2篇。日独両言語で創作する著者は、国・文明・性など既成の領域を軽々と越境、変幻する言葉のマジックが奔放な詩的イメージを紡ぎ出す。

 

・・・少し目が闇に慣れてきた。トンネルの内壁に床の間のような祠のような空間がぽっかり開いている。薄明りに照らされて、中には小さなマリア様の像が立っている。そんなはずはない。マリア様など立っていない。そう思った時、列車はスピードを落とし始め、やがて憂鬱なブランコのように動きを止めた。・・・

(「ゴットハルト鉄道」)

 

スイスに実在するとおぼしき鉄道にのって、トンネルの闇を通る「わたし」の眼に映った幻想ともいえる一瞬の光景。注意しなければ読みすごしてしまいそうなささやかな一節。・・・「そんなはずはない」とは、文脈からするとマリア像の存在を否定しているようにみえるが、スイスの鉄道の「トンネルの内壁に床の間のような祠のような空間」があることそのものをも指していると受け取りたくなる。白昼の青空に星が見えるはずがないと知りつつ茫然としていたのと似たトランス状態が「わたし」をつつむ。半醒半睡のこの入眠状態は、多和田葉子のほとんどの作品におなじみのものである。

(室井光広「解説」より)

 

本書の三扁は、能的な狂女ものという共通項でつながっているとみなしていいだろう。「ゴットハルト鉄道」の「わたし」には「職業がない」と記される。「無精卵」の主人公についても「仕事らしい仕事もしていない女」とある。「隅田川の皺男」のマユコは黙って会社をやめてしまう。「わたし」と女とマユコのほんとうの職業は、物狂いなのではないかといいたくなる。彼女たちは「わが身を空家にして、神や精霊に宿を貸す者」に限りなく近いのである。

 

物狂いのモノとは、「数千年の根柢がある」日本語において、精霊を、そして言葉そのものを意味する。「ゴットハルト鉄道」には「私の生活は、言葉でできている。・・・言葉でできていないものが、この世の中にあるのかどうか」という妹=巫女のつぶやきがある。

 

「無精卵」の女は、物狂いの少女の助けをかりるような形でいわば「狂い咲き」し、「他人の字を書いていく時にしか感じられない背筋の熱くなるような喜び」を味わっている。女は書くことに従事するが、「それは日記でも手紙でもない。詩や物語を書きたいと思ったことはない。ただ文章を退屈せずに続けて書きつらねていきたいと思った。書いているという状態をずっと続けること。それだけが、目的だった」。メディア=巫女たらんとする女は「誰か自分以外の人間が考えたことを筆記している感覚。それを自分に口述している・・・」というような振舞を、「修行みたいなものだろうか」と思う。女の振舞は、文字通り「くるふ」に重なる舞である。

 

妹の力を負託された彼女たちは、ひとしく”奥ゆかしき”女たちである。それはもちろん、男流的視点にたった形容ではなく、やはり「数千年の根底がある」日本語の原義「奥行かし=奥へ行きたい」に基づくものだ。奥行かし(知りたい。見たい。聞きたい)と願う妹たちは、あやしのアルキミコとなって漂泊し、越境する。妹たちがたどる奥の細道はこんなふうだ。「道の表面をすべっていくのではなく、町の細い道を細い方へ細い方へと歩いていきたい。道そのものが、皮膚の暖かさを漂わせてくるまで細い道に入り込んでいきたい。その皮膚は乾いていて皺が多いが、だからこそ、その暖かさには押しつけがましいところがない」。(隅田川の皺男)


多和田文学のキャラクターたちを形容するにふさわしい言葉を今次もうひとつ見つけた。――あやかしの歩行巫女(あるきみこ)。(略)アルキミコたちは男流的押しつけがましさを軽くいなしながら、奥を幻視する。閉じ込められた奥ではどんなあやしの幻術がおこなわれるのか。それは決して「偉大なもの」ではなく、たとえば本書に何度か使われている言葉をかりて簡単にいうなら「壁」を、皮膚の暖かさをもつ皺のイメージにも重なる「襞」に変異させるような術だ。

(室井光広「解説」より)

 

目次

ゴットハルト鉄道

無精卵

隅田川の皺男

 著者から読者へ

 解説 室井光広

 年譜 谷口幸代

 著書目録 谷口幸代

 

多和田葉子:
小説家、詩人。1960年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。ハンブルク大学大学院修士課程修了。文学博士(チューリッヒ大学)。1982年よりドイツに在住し、日本語とドイツ語で作品を手がける。1991年『かかとを失くして』で群像新人文学賞、1993年『犬婿入り』で芥川賞、2000年『ヒナギクのお茶の場合』で泉鏡花文学賞、2002年『球形時間』でBunkamuraドゥマゴ文学賞、2003年『容疑者の夜行列車』で伊藤整文学賞、谷崎潤一郎賞、2005年にゲーテ・メダル、2009年に早稲田大学坪内逍遙大賞、2011年『尼僧とキューピッドの弓』で紫式部文学賞、『雪の練習生』で野間文芸賞、2013年『雲をつかむ話』で読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。2016年にドイツのクライスト賞を日本人で初めて受賞し、2018年『献灯使』で全米図書賞翻訳文学部門、2020年朝日賞など受賞多数。著書に『ゴットハルト鉄道』『飛魂』『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』『旅をする裸の眼』『ボルドーの義兄』『地球にちりばめられて』『星に仄めかされて』などがある。

 

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