多和田葉子の「百年の散歩」を読んだ! | とんとん・にっき

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来るもの拒まず去る者追わず、
日々、駄文を重ねております。

 

多和田葉子の「百年の散歩」(新潮文庫:令和2年1月1日発行)を読みました。

 

新しい世界文学は、この街から始まる。

クライスト賞、全米図書賞(「献灯使」)を次々受賞、ノーベル賞の期待も高まる注目の著者が、愛するベルリンを歩き、描く物語!

 

ベルリン、僕は一度も行ったことのない街です。「百年散歩」は、作者がベルリンの街の、合わせて10の人名のついた通りを散歩するというもので、小説なのか、エッセイなのか、不思議な作品です。独特の言葉遊びは随所に見られ、出てくるあの人は最後まで姿を現しません。

 

多和田葉子は、1982年、大学卒業直後に渡独し、24年間ハンブルグに住んでから、ベルリンへ移った。その間、たくさんの土地を、彼女は旅してきた。ドイツ語で書く作家として、日本語で書く作家として、つまりは二言語で書く作家として、ドイツ各地、世界各地に招待され、いまもその旅は続いている。

 

「わたしは都会の木が好きだ。それぞれが孤独に大陸を歩いて横切って、やっとベルリンに到着したように見える。・・・そぞろ神にそそのかされて、ついベルリンまで来てしまった木もあるだろう。そしてわたしのようになぜ来たのか説明はできないけれどもベルリン以外のどんな町にも住みたくないといつのまにか思い込んでいる木もあるだろう。」

(「トゥホルスキー通り」より)

 

本のカバーには、以下のようにあります。

豆のスープをかき混ぜてもの思いに遊ぶ黒い〈奇異茶店〉。サングラスの表面が湖の碧さで世界を映す眼鏡屋。看板文字の「白薔薇」が導くレジスタンス劇。カント、マルクス、マヤコフスキー。ベルリンを幾筋も走る、偉人の名をもつ通りを、あの人に会うため異邦人のわたしは歩く。多言語の不思議な響きと、歴史の暗がりから届く声に耳を澄ましながら。うつろう景色に夢想を重ね、街を漂う物語。

 

目次

カント通り

カール・マルクス通り

マルティン・ルター通り

レネー・シンテニス広場

ローザ・ルクセンブルク通り

プーシキン並木通り

リヒャルト・ワーグナー通り

コルヴィッツ通り

トゥホルスキー通り

マヤコフスキーリング

 

 

それそれの書き出し部分を載せておきます。

 

カント通り

わたしは、黒い奇異茶店で、喫茶店でその人を待っていた。カント通りにある店だった。店の中は暗いけれども、その暗さは暗さと明るさを対比して暗いのではなく、泣く、泣く泣く、暗さを追い出そうという糸など紡がれぬままに、たとえ照明はごく控えめであっても、どこかから明るさがにじみ出てくる。

 

カール・マルクス通り

チカチカする。地下でグノームたちがふるうツルハシが鉱石にぶつかる度に飛び散る火花が地下鉄の窓から見える。ちかっちかっ。ここはUの世界。Untergrund´地面の下。

 

マルティン・ルター通り

線香花火のようにちりちりと小さい黄色い怒りを四方に飛ばす、そんな花があった。微熱があるのか、紅色の天鵞絨(ビロード)の顔をほんの少し右に傾けている薔薇もある。

 

レネー・シンテニス広場

窓のあたる雨滴の音を聴いたような記憶のしみを残して目が醒めたのに、どうやら雨はどこかで雪に変わったようだった。カーテンをはらいのけると、赤いはずの向かいの煉瓦屋根は白く、まんべんなく雪をのせた黒い枝が妙にくっきりと浮かび上がって見えた。

 

ローザ・ルクセンブルク通り

何の用事はないのだけれど、ただ兎を抱いたように暖かく柔らかい春の日なので、とでもいうような顔をしてぶらぶら歩いていた。本当は用事がないわけではない。そのことにわたし自身気づかないふりをしている。

 

プーシキン並木通り

トレップタウアー公園駅で環状線を降りると、熱気と湿り気が一気に引いて、さわやかな外気に包まれた。駅の外に出るとキオスクがあって、男たちがビールを飲んでいた。

 

リヒャルト・ワーグナー通り

石で固められた地表から、八本の細い柱になって水が噴き上げている。水は天をめざし、わたしの背丈くらいの高さに達するとそれより上へは昇れないのか丸まって、菊の花を不器用に真似たような形をとる。

 

コルヴィッツ通り

まだ就学前と思われる子供が不思議な歩き方をしている。まるで月の表面でも歩いているよう、羽毛でふくらんだダウンジャケットが宇宙服で、ヘルメットのかわりに白い毛糸で編んだ帽子を耳まですっぽり被っている。

 

トゥホルスキー通り

誰だって見上げてしまう。頭上にいっせいに吹き出したAOBA。あおぎみる、というと上にいる偉い人みたいだけど、葉っぱには血が一滴も流れていないから、「血筋」なんていう血なまぐさい言葉は思い浮かばない。

 

マヤコフスキーリング

シュトラーセと一口に言ってもいろいろで、真っ直ぐに伸びている通りもあるし、くねくね曲がっている通りもあり、また途中で枝分かれしている通りもある。袋小路もあるし、途中で何度も名前を変える長い通りもある。

 

 

多和田葉子:

1960(昭和35)年、東京生まれ。早稲田大学文学部卒。1982年、ドイツ・ハンブルクヘ。ハンブルク大学大学院修士課程修了。1991(平成3)年『かかとを失くして』で群像新人賞、1993年『犬婿入り』で芥川賞、2000年『ヒナギクのお茶の場合』で泉鏡花賞、2002年『球形時間』でドゥマゴ文学賞、『容疑者の夜行列車』で谷崎潤一郎賞、伊藤整文学賞を受賞。その他の作品に、『海に落とした名前』『尼僧とキューピッドの弓』『雲をつかむ話』などがある。日独二ヶ国語で作品を発表しており、1996年にはドイツ語での作家活動によりシャミッソー文学賞受賞。2018年『献灯使』で全米図書賞(翻訳文学部門)受賞。2006年よりベルリン在住。

 

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