多和田葉子の「献灯史」を読んだ! | とんとん・にっき

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多和田葉子の「献灯史」(講談社文庫:2017年8月9日第1刷発行、2020年2月19日第7刷発行)を読みました。

 

文章は平易で分かり易いが、作品の内容はというと、正直言ってこれがなかなか難しい、なんなんだこれは!という、かなりぶっ飛んだ小説です。かなり奥が深い。近未来の日本を描くディストピア(反理想郷)小説、こういう小説の書評を書くのは、僕には無理というもの。この小説が「世界標準」なのか、あるいは「世界先端」なのか?

 

「ノーベル賞に“最も近い”日本人 越境作家、多和田葉子さんが紡ぐ多様な世界」

https://www.sankei.com/life/news/190807/lif1908070001-n1.html

 

昨年、米国で最も権威がある文学賞の一つ、全米図書賞の翻訳文学部門を受賞した『献灯使(けんとうし)』は、大災厄の後に鎖国状態となった近未来の日本を描くディストピア(反理想郷)小説。「(インターネットが発達した)グローバル社会でも言語による情報の壁は依然ある。それを操作する人がいたら鎖国状態にもなりかねない」という問題意識が設定に流れている。

(産経新聞)

 

「献灯使」の主な登場人物は、無名という男の子と、その曾おじいさんに当たる義郎です。無名は身体をあまり自由に動かすことができないけど元気です。義郎も歳はとっていますが元気です。義郎だけでなく多くの老人が、100歳を過ぎても死ぬことができません。身体の弱い子供と、その面倒をみなければならない老人、そういう二つの世代の物語です。この物語では日本は鎖国をしています。また、外来語を使ってはいけないという規則があったりもします。ジョギングは「駆け落ち」と名を変えています。

大災厄に見舞われた後、義郎と無名は「東京の西域」(国立から奥多摩か?」)にある仮設住宅に住んでいます。無名は自分で上手く着替えることができません。寝間着をどちらの足から脱げばいいか悩んでいるうちに、蛸の姿を思い出します。自分の足は八本あるんじゃないか。それが四本ずつ束になって二本に見えるだけじゃないか、と想像する姿は少年らしく楽しげです。二足歩行すら難儀な幼い曾孫を前に義郎は、本来、人類にとって二足歩行自体が最上の完成形でなく、未来においては蛸のようにはって歩くようになるのかもしれないと空想を巡らしたりしています。

 

以下のサイトを見れば、「献灯使」の内容がよくわかります。

多和田葉子「献灯使」特設サイト|講談社文庫http://kodanshabunko.com/kentoushi/

 

「献灯使」多和田葉子
鎖国を続けるいつかの「日本」。ここでは老人は百歳を過ぎても健康で、子供たちは学校まで歩く体力もない──新しい世代に託された希望とは果たして!?

大災厄に見舞われた後、外来語も自動車もインターネットも無くなった鎖国状態の日本で、死を奪われた世代の老人義郎には、体が弱く美しい曾孫、無名をめぐる心配事が尽きない。やがて少年となった無名は「献灯使」として海外へ旅立つ運命に……。
収録作:「献灯使」 「韋駄天どこまでも」 「不死の島」 「彼岸」 「動物たちのバベル」

 

多和田葉子とロバート・キャンベルの対談は見逃せない。

http://kodanshabunko.com/kentoushi/#Talk

 

 

多和田葉子:
1960年、東京生まれ。小説家、詩人。早稲田大学第一文学部卒業。ハンブルク大学修士課程修了。82年よりドイツに住み、日本語・ドイツ語両言語で作品を手がける。91年、「かかとを失くして」で群像新人文学賞受賞。93年、「犬婿入り」で芥川賞受賞。96年、ドイツ語での文学活動に対しシャミッソー文学賞を授与される。2000年、『ヒナギクのお茶の場合』で泉鏡花文学賞を受賞。同年、ドイツの永住権を取得。また、チューリッヒ大学博士課程修了。11年、『雪の練習生』で野間文芸賞、13年、『雲をつかむ話』で読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞をそれぞれ受賞。18年、本書『献灯使』で全米図書賞(翻訳文学部門)受賞。近著に『百年の散歩』『地球にちりばめられて』がある。

 

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