前回の記事

 

‐シリーズ・「韓国人」の日本人観 その3(スネ夫根性と忘れっぽさ)‐

 

 

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‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その7(開化派と甲申政変)‐

 

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‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その20(続・過酷な植民地経営 強行された会社令)‐

 

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‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その24(『三・一運動』弾圧と帝国主義の揺らぎ)‐

 

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‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その26(斎藤実の文化政治と間島の朝鮮人虐殺)‐

 

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‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その28(崩壊する朝鮮経済 日本帝国主義支配の本質)‐

 

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‐近くて遠い国 朝鮮 本編8(過酷な植民地経営の実態)‐

 

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‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その4(過去の歴史を振り返る)‐

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その5(徴兵・徴発・強制連行)‐

 

‐シリーズ 日韓会談と在日朝鮮人 その6(支配と同化が残したもの)‐

 

 

・中長期で国益を「失いつづける」 日本

 

 

『靖国神社を参拝する人々』

 

http://freebies-db.com/free-photo-yasukuni-jinja-sanpai.html

 

今日、多くの日本人は、日本は“経済大国”になったのだから過去のことなどどうでもよいだろうくらいに涼しい顔をするようである。ここに日本的なひとりよがりと錯誤が介在する。

 

つまり、過去の罪意識から忘れ、また相手も忘れているかのように思い込み“経済大国”を鼻にかければかけるほど、韓国人の肚<腹>の底では軽蔑する傾向がある。

 

要するに、今日なお、隣国の弱みにつけ込み、これを踏み台にするか犠牲にして軽蔑し、自分のみが宜しく生きようとする習性━それが日本人だと韓国識者は再認識しつつある<本書の1970年代における話>。そこで、そういう日本人は「道義心や罪意識を考える余裕のない国民である」と断定した。いうなれば日本は、元来“狭小な、貧しき島国、の狭小な了見の民族”と見ている。西欧に向かっては自己をよく見せたくて腰を屈してアクセクするが、すぐの隣国に対しては肚<腹>の底の醜態を見せて恥じないその心象こそ劣等心の裏返しとみる。

 

その一方に、朝鮮人<=韓国人>は日本人に対して、古代文明の先導者という優越意識が伝統的に潜んでおり、いまなお日本人を蔑視する傾向がある。日本人は近代文明の先進性をもつけれども、一皮むけば野卑・残酷・ひとりよがりの民族だという観念を根強く抱いている。

 

※<>は筆者註

 

『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社 99~100頁より

 

 

・究極的には 「自分の住む国」しか論評できない

 

かなり強い口調で批判されています。

 

しかし、過去の悲惨な歴史を鑑みて、また現代までの日本人の「大衆的おこない」を見れば、幾多のなおざりにされた差別問題や、山積する未解決の歴史問題をみて、やはり首を縦に振らざる得ない。

 

何度もいいますが、日本が「ちゃんとしていれば」、このような問題も批判も起こらなかったわけで、そうした厳然たる事実が私たちの社会に横たわっている以上、素直に認めるのが肝要である。

 

無論、私は在日コリアン(朝鮮籍)の友人を持つけれど、両者とも「日本でしか暮らしたことがない」ので、厳密な意味において、韓国人が「日本をどう思っている」のかは知らない。

 

それは、古い書物からではなく、リアルな人間との『つながり』でしか得られないわけで、英語ブロガーのMichikoさんが、現地で韓国の方々と直接の関係をもつ、在韓ジャパニーズの方々のブログに注目されるのごとく、それが「最も正しい情報取得手段」であり、その「解釈」において、各人が歴史書物や幾多の知識を「結合させる」ことにより、さらにアップデートされた認識を獲得することができる。

 

こういう「大体の構図」は提示できますが、実際それを「おこなう」となると、一部の限られた人間しかたどり着けない「高度な境地」となる。もちろん、私は出来ていません。

 

「ネット上の濃密なやり取り」然り「リアルな関係づくり」、その「両方」(これがもっとも望ましいがハードルが極度に高くなる)ないし、日韓という「二国間」ですら、『誤解のない関係』を築くためには、韓国語ないし英語の取得が必須であり、他の国々においても、同様のプロセスが求められる。

 

世界はひろい。

 

一個人が知るには、あまりにも膨大な情報が日夜洪水のようにグルグル回っており、そうした『ビックデータ』を理解し更新しつづけることは、ハッキリいって「不可能」だ。

 

ゆえに、「自分たちが住む国」が一番わかっていて何が問題なのか、どう改善しなくてはいけないのか、上述の「プロセス」と合わせて、常々認識を発展させなくてはいけない。

 

 

<参考資料>

 

・『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社

 

 

<ツイッター>

 

【歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ(ふーくん)】

 

https://twitter.com/XMfD0NhYN3uf6As

 

 

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