前回の記事

 

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・「神様」から「奴隷」へ 天国と地獄の朝鮮半島

 

 

朝鮮史研究会 編 編集代表 旗田巍 『朝鮮の歴史』 三省堂  261頁より

 

 

解放の嵐の中に

 

━朝鮮引揚史 その二━

 

戦いは終った。解放に躍動する朝鮮の黎明。しかし混乱の日々、邦人の身辺は多難の様相を呈していく。同胞相擁すべく、日本人世話会が次々に誕生した。

 

元京城日本人世話会 森田芳夫

 

 

民族解放の驚喜

 

最も確実な終戦の報を総督府が入手したのは、<1945年>八月十四日午後十一時であった。

 

ポツダム宣言受諾に関する詔書<天皇の発表>の原稿全文が同盟通信京城支局に電話で報ぜられ、それが総督府の西広警務局長に伝えられたのである。

 

※実際の調印式(戦争終結)は9月2日

 

翌一五日午前六時、遠藤政務総監は呂運亨氏<ロ・ウニョン-朝鮮の独立運動家>を、総監官邸に招いた。呂運亨氏は当時の朝鮮人側左派に連携をもつ民族主義運動の巨頭である。

 

遠藤総監は、終戦を告げ、政治犯の釈放決定を語り、治安維持に協力を求めた。

 

呂運亨氏はこれを託した。

 

翌一六日から、呂運亨氏を委員長とし、安在鴻氏<アン・チェホン-朝鮮の独立運動家>を副委員長とする「朝鮮建国準備委員会」が発足し、檄がとび学徒隊、治安隊の結成準備がはじまつた。

 

政治犯のデモに始まり、解放に驚喜する民族の嵐は、中保与作氏<なかやすよさく>の「掠奪と赤色の劫火」に記されているので、ここには省略しよう。

 

十六日正午、呂運亨氏が徽文中学<きぶんちゅうがく>広場に集まった数千の熱狂せる群衆に、朝鮮建国準備委員会結成の経過と抱負をのべ、その中で「朝鮮日本両民族がたがいにわかれるこの日に気持ちよくわかれ、誤解からおたがいに血を流さぬよう」に説いたこと、その日午後三時から、副院長安在鴻氏が京城<旧漢城・現ソウル>放送局から放送した中に、

 

「国民各位、男女老幼はこの間、言語動静を格別注意して、日本人住民の心事感情を刺激することのなきよう尽力せねばならぬ、四十年間の総督政治はすでに過去のことである。まして朝鮮、日本両民族の政治形態がいかに変動しても、自主互譲、アジア諸民族としてのつながれた各自の使命をはたさねばならない。日本にいる五百万朝鮮同胞<在日コリアン>が、日本国民諸君とおなじく受難の生活をしていることをおもう時、朝鮮在住百幾十万の日本住民諸君の生命、財産の絶対確保が必要であることを聡明な国民諸氏が十分に理解せられることをうたがわない」と叫んだ言葉は、日本人の胸中にも深くきざみこまれたことであった。

 

※<>は筆者註

 

『秘録 大東亞戰史 朝鮮篇』 富士書苑 30頁より

 

 

・朝鮮在住の日本人を憂いた 民族独立運動家の『演説』

 

 

同 8頁より

 

‐近くて遠い国 朝鮮 本編9(「朝鮮解放」までの道のり)‐

 

‐近くて遠い国 朝鮮 本編10(独立と強いられた分断)‐

 

大日本帝国滅亡後朝鮮半島情勢については、上述の記事にてお話させて頂きましたが、今回の呂運亨・安在鴻両氏の演説は素晴らしいものがあり、政治要人に相応しいビジョンを感じましたが、現実問題として日本人はそれまで「支配者民族」として、さんざん肩で風を切るような生活を送り、反面日本に住まわれる在日朝鮮人の方々は、関東大震災で虐殺をされたり、多くの過酷な労働環境で、命を落とされたりさまざまな理不尽を受けてきたわけで『単純に比較できることではない』と、私自身は思いますが、後の世に禍根を残さないためになされた、朝鮮の独立運動家らの演説に、称賛の声を贈らせていただきたいと思います。

 

 

<参考資料>

 

・朝鮮史研究会 編 編集代表 旗田巍 『朝鮮の歴史』 三省堂 

 

・『秘録 大東亞戰史 朝鮮篇』 富士書苑

 

・Cluttered talk blab blab blab 『現代語訳 Japanese Instrument of Surrender』記事

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-11765035490.html

 

 

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