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・「朝鮮」も「日本」も すべて忘れたい・・・

 

 

欧州旅行━「人間として旅を」

 

 

「朝鮮も日本も見えない遠い国で静かに暮らしたい」

 

李垠殿下の心には次第に現実から逃避したいという願望が広がっていった。

 

いくら目かくし教育によって成人したとはいえ、独立運動や震災のさなか無数の同胞が虐殺され、朝鮮人蔑視の暴政が続くに至って、日本の皇室教育を受けて麻痺しきった彼でさえ、その“覚めた部分”に一抹の疑惑が生じたのだ。

 

‐朝鮮最後の『クラウンプリンス』李垠<イウン> その6(高宗国葬と三・一運動『幻の独立』)‐

 

‐朝鮮最後の『クラウンプリンス』李垠<イウン> その9(悲哀に満ちた太子の人生)‐

 

日本側からは警戒され、朝鮮同胞からは“反逆者”視されるという、奇妙なサンドイッチであった。そこで彼は、幽閉された日本が嫌になったらしい。

 

そこへちょうど、彼の海外旅行の番が回ってきたのに気づいた。つまり、自己の人間解放的な旅を欲したのだ。すでに他の皇族方も数人、欧州旅行中であった。彼はさっそく、海外旅行を宮内省へ申し込んだ。

 

が、宮内省は、それを容易に認めようとしなかった。

 

「皇族の方々のご洋行が、ちょっと多いような気がするんです」

 

と、李殿下の番に限ってケチをつけたという。これを交渉したのは李王職嘱託<しょくたく=仕事を一任すること>の篠田治策(<しのだ・じさく>のちに京城帝大総長)であるが、篠田とて洋行には反対したようである。

 

 

『篠田治作』 (Wikiより)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%A0%E7%94%B0%E6%B2%BB%E7%AD%96

 

しかし、何事にも側近の言うままに従っていた李垠殿下も、この洋行問題のときだけは、意地を張って申し込んだ。

 

日本側が李王垠<りおうぎん=李垠>の洋行を抑制した理由の第一は、彼の身分を外国人がどう受け取るかという危惧であった。

 

プリンス・オブ・リーをプリンス・オブ・コリア(朝鮮王)と解されては困る。

 

それでは日本の合併政策の根幹がゆらいでしまうのである。そこで彼は、「私は王として行くのではない。人間として旅に出たいのだ。外国でどんな待遇をうけても構わない。日本には“お忍び”という言葉があるではないか」と再三、申し入れた。

 

それほど彼は、日本を離れてみたかった。

 

しかし、日本側にとっては李殿下の私的洋行も困るらしく、承知しなかった。

 

そのために側近の篠田までが宮内省の態度に憤慨した。そこで李殿下の面子の問題もあり、大正天皇のご病気を理由に、自分から洋行を辞退したのである。

 

宮内省が、李殿下の海外旅行を許可したのは二年後であった。

 

ところが今度は、欧州旅行中はプリンス・オブ・リーを用いず「カウント・リー」(李伯爵)の名刺を持つことを命じた。そして旅行目的は欧州軍事視察とし、金大佐と佐藤中佐の二武官を随行させた。

 

むろん屈辱的な仕打ちであったが、李殿下はこれを承知した。

 

皇族の一員といわれながら海外旅行の自由もなく、それを実現させたかとみると、監視つきのニセ伯爵に仕立てて出発させたのだ。それでも彼は、重苦しい日本の空の下を離れたいばかりに、自己の正当な名を伏せて、ニセ伯爵になりきったのである。

 

 

『箱根丸 Hakone Maru (1921)』 (欧州航路‐大正期)


http://jpnships.g.dgdg.jp/taisho/taisho_route_oshu.htm

 

一九二七年五月、李王垠夫妻は随員七名を従えて横浜港から船出した。

 

だが、乗船箱根丸の行手には険悪な綱が待ち構えていた。

 

 

『上海バンド Shanghai of To-day 1927年より 当館蔵』 (横浜開港資料館より)


http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/120/index.html

 

上海の<大韓民国>臨時政府の闘士たちにとって、箱根丸の上海寄港は「千載一遇の好機」であった。彼らは“李王垠拉致決死隊”を組織したのだ。いわば「恥知らずの裏切り者」を奪い、世界の注視を集めて反日独立運動を一気に盛りあげようという秘策が練られていた。

 

リーダーは臨時政府の警務局長の金九<キム・グ>で、その名は剛胆なテロリストとして日本官憲に知れわたっていた。

 

しかし、上海の日本領事館は密偵を放って金九らの不穏な動きを探知した。

 

 

『八雲 (装甲巡洋艦)』 (Wikiより)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E9%9B%B2_(%E8%A3%85%E7%94%B2%E5%B7%A1%E6%B4%8B%E8%89%A6)

 

そのあげく東シナ海の日本軍艦を上海に急派させ、埠頭一帯に厳重警戒を布いた。そして箱根丸が入港するや、いち早く李垠を水雷艇「八雲」に移乗させ、予定した黄浦江遊覧は中止された。

 

数日後、上海の万国公園の草むらから朝鮮女性の変死体が発見された。

 

他殺と見て捜査するうち、被害者の夫が日本側の密偵に買収され、“拉致決死隊”を密告したことが明るみに出された。その報復として女が殺害されたのである。夫はのちに捕えられ、臨時政府によって処刑されたという(閔甲完著『百年恨』)。

 

※閔甲完嬢(韓国皇后にあたった人物)について

 

‐朝鮮最後の『クラウンプリンス』李垠<イウン> その4(日本皇族・方子女王との「ご成婚」)‐

 

彼が所望した欧州旅行は“日本人も朝鮮人も見えない遠くの国へ”の自己解放的な旅であったが、思いがけないところで独立志士らしい朝鮮人につきまとわれた。

 

たとえば、ヘーグ<オランダのハーグ>のホテルに止宿したとき、“黄色い顔の男”がしつこく面会を求めた。これを側近が拒んだところ、男は漢方医だと称し「李殿下に東洋の霊薬を献上したい」と、明心丹と書かれた小箱を渡して帰った。

 

これを受け取った李王垠は、遠い異国の同胞の貢ぎ物に関心しながら自室で開いたところ、箱の底から一通のいかめしい建白書が現われた。

 

「殿下御駕を万里の外に進め欧州諸国と歓を通ず、慶賀すべし。然れども韓国王室の名を喧伝し我が韓国の実在を陳ぶるに非ざるは遺憾なり。先に光武帝<亡父・高宗>密使を送り祖国奪還を企て挫折せるを殿下忘却せるに非ざれば、新聞記者に向いて我は日本皇族に非ず韓国皇帝なりと宣言すべし。殿下の御意甚だ弱く、日本軍人を先頭に各国を巡覧す。痛恨に思う者豈に臣のみならんや。すべからく大義名分を正し鴻意をもって事に当るべし。嗚乎━洪武帝地下にて慟哭を成さんか!」(張赫宙著『李王家秘史・秘苑の花』による)。

 

読み下すうちに李王垠は、怖くなって身が震えたようである。

 

この点に関しては彼はすでに、臆病者になりきっていた。万一、この建白書が日本側に発見されたならば“謀反的行為”と見なされ闇に葬られかねないのだ。

 

今や彼には、その父祖の意思を顧みる余地はなく、ただ日本皇室に気がねし、オロオロする身であった。

 

※<>は筆者註

 

『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社 208~211頁より

 

 

・「現実」を直視し あらたな段階へ

 

 

日本皇室の桎梏、宮内省(当時)の無礼、その陰にある大日本帝国の傲慢を見れば、私は彼らを到底ゆるすことができない。

 

当然であろう。

 

ひとりの人格や生き方を、こうも狂わせ、他国や首脳に対する敬意が微塵もない存在が、戦後において「反日」などというお守り言葉でガードしたところで、傍から見れば「片腹痛い」姿でしかない。

 

同時に、無知は頑固で恐ろしい。

 

Only a good man dies young

 

先日、アフガニスタンで医療活動に従事されていた中村哲氏が、何者かに銃撃され、その尊い命を犠牲にされた。

 

私自身も、世間知らずなので、この方の御功績は、関係各位のブログを通じて学ばさせていただいた。

 

2003年11月 米軍ヘリが用水路建設作業現場を銃撃したことがある。
2004年5月27日には イラクで、ジャーナリストの橋田信介氏が甥の小川功太郎氏とともに殺害された。
2008年8月26日、ペシャワール会の伊藤和也氏が、テロ集団に誘拐され、銃撃されて亡くなった。
 

2019年12月4日、アフガニスタンで、医師の中村哲氏が銃撃され亡くなった。

橋田信介氏はアメリカのイラク侵略や自衛隊イラク派兵に批判的だった。
中村哲氏は医療活動だけでなく、用水路建設事業もしておられ、2018年にはアフガン政府から勲章を授与された。アフガニスタンのタリバンは中村哲氏銃撃を否定している。Cui bono。誰の利益になるのか。

 

マスコミに載らない海外記事 『「貧しいと、人は死ぬんですね」アメリカ合州国の医療費を知ったイギリス人が息をのむのをご覧あれ』


http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-7a4f01.html

 

シリアのホワイトヘルメットや、中東のISを養い、『平和』と『融和』こそが最大の敵である国は、この事件を一体どう見つめているのか気になるところ。

 

 

<参考資料>

 

・『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社

 

・Cluttered talk blab blab blab 『Only a good man dies young』記事


https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12553183114.html

 

・マスコミに載らない海外記事 『「貧しいと、人は死ぬんですね」アメリカ合州国の医療費を知ったイギリス人が息をのむのをご覧あれ』


http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-7a4f01.html

 

 

<ツイッター>

 

【歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ(ふーくん)】

 

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