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・執り行われる国葬 悲しみに暮れる民衆 怒れる独立運動へ

 

 

『대한제국 고종의 장례 행렬 - 고종의 독살설로 일본 식민 지배의 반대 여론이 높았다.<大韓帝国 高宗の葬列-高宗の毒殺説により日本植民地支配の反対世論が高まった>』 (韓国語Wiki百科より)


https://ko.wikipedia.org/wiki/%EB%8C%80%ED%95%9C%EC%A0%9C%EA%B5%AD_%EA%B3%A0%EC%A2%85

 

 

『사진으로 본 국장- 고종 황제<写真で見る国葬-高宗皇帝>』

 

gogungmuseum

 

https://www.youtube.com/watch?v=BiFfT50Wm_s

 

“朝鮮独立”の錯覚

 

 

李太王<高宗>の葬儀は、四〇日後の三月三日、国葬をもって行なうと発表され、総督府と李王職当局は李王世子御成婚の祝賀準備から、一転して葬儀の用意に忙殺された。

 

だが、朝鮮各層の指導者たちは、同じころひそかに“独立宣言”の決行を企てていた。

 

 

『대한민국 임시 정부 국무원 기념 사진(1919년 10월 11일).<大韓民国臨時政府 国務院記念写真(1919年10月11日)にて>』 (韓国語Wiki百科より)

 

https://ko.wikipedia.org/wiki/%EB%8C%80%ED%95%9C%EB%AF%BC%EA%B5%AD_%EC%9E%84%EC%8B%9C_%EC%A0%95%EB%B6%80

 

武断統治下では朝鮮人の集会は一切禁止されていたが、国葬となれば朝鮮全土から多くの人がソウルに集まってくる。それに便乗して決起をうながそうというのが彼らの計画であった。

 

だが葬儀当日は警戒も厳しく、かつ混乱は不利になるという意見もあって、決行の日は二日繰り上げられることになった。

 

 

 

『사진은 3·1운동 당시 광화문 기념비각 앞에 모인 군중들 모습. 독립기념관 제공<写真は三・一運動当時の光化門記念碑閣前にあつまった群衆たちの姿 独立記念館提供>』

출처<出典> : 법보신문(http://www.beopbo.com)

 

http://www.beopbo.com/news/articleView.html?idxno=203419

 

三月一日、ソウル<旧漢城・京城>のパコタ公園<タッコㇽ公園>に結集した青年、学生など四、五千名は、独立宣言文を読み上げて示威行進を開始した。やがて数十万の民衆が加わり、徳寿宮正面の大漢門の前を通過しながら、一斉に「奉悼、大韓皇帝!大韓独立万歳!」と絶叫した。

 

 

『3·1운동 [三一運動] 기미독립운동[己未獨立運動], 1919』ど(Designerspartyさんフェイスブックより)

 

https://ko-kr.facebook.com/designersparty/photos/a.1151161864927695.1073741992.345549275488962/1288505107860036/?type=3

 

さすがの日本軍警も手の下しようがなく、怒涛のような群衆を避けて警察署に籠城するばかりであった(千葉了著『朝鮮独立運動秘話』)。

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その23(今年で100周年『三・一独立運動』を考える)‐

 

 

『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂 183頁より

 

「きょう、ただいま、わが大韓国は独立する。万歳!マンセ!マンセ!」

 

嵐のような叫び声が、徳寿宮の宮女の耳にも達した。一人の侍女が王宮内で喪に服している王世子李垠<懿愍太子(ウィミンテジャ)>のもとに走り寄った。

 

「太子マーマー、朝鮮は独立しました。お喜び申し上げます。ああ、太子マーマー」

 

侍女は感激のあまり床に泣き崩れた。

 

李垠もこの瞬間、たしかに朝鮮独立が成功したと直感したという。

 

朝鮮民衆の独立宣言をパリ平和会議が取り上げて、承認してくれたにちがいないと思ったのである。少なくとも、この時点ではほとんどの朝鮮人がそう確信した。

 

‐朝鮮最後の『クラウンプリンス』李垠<イウン> その4(日本皇族・方子女王との「ご成婚」)‐

 

「太子さま、日本の姫と結婚式をお挙げにならなくて、ほんとうによろしかったですわ。太子さま、閔甲完嬢もどんなに・・・・・・」

 

政略結婚の寸前に王世子<李垠>が帰国し、思いかけなかった王政復古への希望が生まれて、宮廷の中は沸きたったが、李垠の胸には一瞬微妙な感傷が流れたとか。梨本宮方子姫の顔がうかび「あわれさを感じた」という。もう二度と日本へ渡る必要はない。人質の絆を断ち切り、堅苦しい軍人生活からも解放される。大韓帝国は復活し、自分はこの宮殿の主となる・・・・・・と感じられたのはいうまでもない。

 

 

『守正王一家 長女・方子女王の納采の儀に際し、記念撮影』 (Wikiより)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%A8%E6%9C%AC%E5%AE%AE%E5%AE%88%E6%AD%A3%E7%8E%8B

 

東京の梨本宮家は、新聞の号外でソウル<旧漢城・京城>の独立示威運動を知った。

 

守正王は「困ったことになりおった」と終日つぶやき、同宮家は喪中のように陰鬱に閉ざされた。

 

「やっぱり・・・・・・やっぱりお式を挙げなくてよかったのです」

 

伊都子妃が最初から抱いていた不安が、早くも形となってあらわれたのである。

 

「なに、もう少し情勢を見よう。情勢は必ず変化するから」

 

「いいえ、こうなっては仕方ありません」

 

とはいったものの、この先いかなる悲運に見舞われるか、なに一つ予測はつきかねるのであった。「三・一運動」または「バンザイ事件」と呼ばれた朝鮮の独立運動はそれから半年にわたって半島各地で蜂火をあげたが、実際の動きは三月のうちに鎮圧されてしまった。

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その24(『三・一運動』弾圧と帝国主義の揺らぎ)‐

 

日本軍警の銃剣が乱舞し、民衆の鮮血は朝鮮全土を赤く染めた。逮捕、拷問、処刑が日夜をとわず繰り返され、すべての監獄は超満員となった。

 

 

『山縣伊三郎 当時の朝鮮政務総監』 (Wikiより)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%B8%A3%E4%BC%8A%E4%B8%89%E9%83%8E

 

「今回ノ騒擾ニ対シ官憲ノ取レル過度ノ鎮圧方法ヲ憂ヒ、而モ自ラ之ヲ軍人諸官ニ命令スルノ権ヲ有セザルコトヲ嘆ゼリ」 

 

(『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂 216頁より)

 

民衆を「弾圧する側」であった、時の総督府政務総監ですら、自らの行いに恐怖した。

 

日本の官憲側のひかえめの資料でも、1919年3月1日から5月末までの間に、7509人が殺され、1万5961が負傷し、4万6948人が検挙、その多くが虐殺された。

 

朝鮮独立運動がほぼ鎮圧された三月の末、李垠青年は東京へ舞い戻る運命となった。

 

つまり三月一日の真昼“王朝復興”への感激は一場の夢にすぎない。そして、中断された婚儀は、李王家の「一年喪」を待って、翌一九二〇年(大正九年)四月二十九日と決定した。

 

※<>は筆者註

 

『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社 197~199頁より

 

 

・血と業火の惨劇 あの頃「何が起きた」のか

 

 

1919年3月1日に行われた「朝鮮独立運動(三・一独立運動)」に対して、宗主国側の日本は、ありったけの軍事力を持ってして「鎮圧」に乗り出した。

 
徒手空拳で示威行進する人々に、憲兵・軍隊が無慈悲に発砲し、それは群衆を「解散させるため」の威嚇などではなく、体制に逆らった意味『射殺すること』自体が目的だった。

 

憲兵が、群衆を分遣所の内庭に集めて、一斉射撃をして「虐殺」したことも、稀ではなく、水原郡提岩里<スウォングンチェンアㇺリ>では、日本軍が村人を教会堂にあつめ、出入り口を閉ざし、外から銃火を浴びせた。その上で、教会堂を放火して生き残った人々もろとも一人残らず焼き殺した事件も凄まじい。

 

さらには、街頭で「万歳」を叫んだだけで、突如として背後からサーベルで巡査に切り殺された青年しかり、夫が運動に参加したとして殴られた婦人。まして検挙された人々には、天井から吊るし、焼け火箸を押し付けたり、針をさしたり、鼻から水を注入するなどの拷問が平気で行われた。

 

‐シリーズ・朝鮮近代史を振り返る その25(発展する独立運動と巧妙化する支配システム)‐

 

後に、2代目総督の長谷川好道に変わって、『文化政治』を創始した3代目総督・斎藤実によって、朝鮮支配はより「悪質・巧妙化」し、後の李垠と方子の婚儀と並行して、皇室の“くさび”民衆の“分断”という「両面政策」により、日本の永久統治を確立させるべく、あらゆる処置がなされたのは言うまでもありません。

 

 

<参考資料>

 

・『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社

 

・Youtube動画 『사진으로 본 국장- 고종 황제<写真で見る国葬-高宗皇帝>』

 

https://www.youtube.com/watch?v=BiFfT50Wm_s

 

・『朝鮮の歴史 朝鮮史研究会編 編集代表 旗田巍』 三省堂

 

 

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