前回の記事

 

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・「敗戦ショック」 自決と弾圧の日本軍

 

 

『秘録 大東亞戰史 朝鮮篇』 富士書苑 31頁より

 

 

日本軍の出動

 

<1945年>八月十四日の夜、第十七方面軍井原参謀長が、京城<旧漢城・現ソウル>同盟通信社から終戦の詔書<玉音放送>原稿の入っていることをつたえられた時、はじめて終戦の決定を知った。

 

軍は非公式に、終戦の情報を入手していたが、デマであると一蹴し、決戦へ驀進を期していた。当時、最終の御前会議まで決戦を主張しつづけていた阿南陸相の決意に一貫していたのである。

 

北鮮<北朝鮮-当時の差別的呼称>の戦場にただちに植弘参謀が停戦伝達にとんだ。

 

入営前、警官の職にあったものは、十五日夕除隊し、(全鮮約四千名)警官に復帰している。また朝鮮人入営者にも、全員除隊の命を発した。

 

血気にはやる青年将校に痛憤<大いに憤慨すること>のあまり自決するものあり、平壌<ピョンヤン>では第五空軍の第一六戦隊長以下将校六名、六七式重爆撃機にのり、思いきりとんだ後、平壌飛行場内で自爆し、京城<旧漢城・現ソウル>でも少年航空兵特攻隊員が愛機とともに自爆した。

 

十六日、朝鮮建国準備委員会の活躍により、京城市内が騒然たる革命の暴風につつまれた時、はじめて軍司令部は<遠藤>総監、呂運亨氏<ロ・ウニョン-朝鮮の独立運動家>との工作を知り、わかき参謀は軍を無視した総督府を叱責し、各地の軍隊は、日本人保護に必要な地点に出動した。

 

朝鮮人側の迫害になやんでいた僻地の日本人は、軍隊の援護によって都市に集結してきた。不法な接収をとりもどし、無秩序の民衆運動の弾圧をおこなった。

 

また軍としては、来るべき武装解除後にそなえて、九千名の将兵を警察官に転属させる措置を講じ、特設警備隊として銃剣をもつたまま警察官の服装をあたえて、各地に赴任させた。

 

井原参謀長は、全軍に命を下し、武力は最悪の事態にかぎり発動し、また「絶対に軍隊を一己コ小隊以下にするな」とつたえ、京城の部隊では町を歩く時は、どんな場合でもかならず三人以上と厳命された。

 

それは民衆の日本軍隊にたいする軽侮の念をなくし、あくまで流血をふせごうとするにあつた。

 

しかし一方、日本軍が治安の指導権をにぎろうとしたためかえって混乱を来したところも少なくはなかった。日本軍は力をもつも、朝鮮の政情や、民間の動きにうとい。

 

通常民間人に接していないために、政治的折衝がまずい。

 

忠誠北道では気概のある坪井幸生警察部長は、道内治安の全責任をもち、日本軍に関与せしめなかったのは特記されよう。

 

各地で日本軍は、「治安維持は責任をおう。軍は最後に引揚げる」と提言したが、北鮮で軍がまっ先に武装解除、抑留され、南鮮<南朝鮮-韓国>でもいち早く引揚を命ぜられた。その短い生命の見通とおしもなく、軍が威力を発動せんとし、一般日本人もまた従来の観念<帝国臣民>から、この軍に頼ろうとしたためことに北鮮では悲劇を大きくした。

 

※<>は筆者註

 

『秘録 大東亞戰史 朝鮮篇』 富士書苑 31~32頁より

 

 

・国破れれば 「善良無垢な被害者」に成りすます?

 

 

朝鮮半島38度線と軍事境界線の違い』(※画像本体資料)

 

https://hakata.win/38dosen

 

1945年2月1日日本大本営による「本土作戦に関する統帥組織」の再編で、従来の在朝鮮日本軍の総称であった「朝鮮軍」を解体し、三八度線以北の日本軍関東軍の指揮下におき、以南の軍隊大本営直轄野戦軍である第一七方面軍の指揮下としました。

 

‐近くて遠い国 朝鮮 本編1(その歴史と38度線)‐

 

詳細は『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』(第3巻 勁草書房)54頁に記されています。

 

‐シリーズ・明かされる『満鮮史』 その13(日本敗北 戦後の動乱の中で)‐

 

ともかく、前回の記事で『神様から奴隷』に堕ちた旧宗主国の民は、19世紀の干渉時代から半世紀以上に渡って、我が物顔で朝鮮半島に君臨し、肩で風を切る生活を満喫していたのですが、それまで散々やりたい放題を行なってきたツケは、相当なヘイトとして民衆から向けられることになりました。

 

私も人間なので、明成皇后を殺害後に犯され燃やされたり、『三・一独立運動』で大量の虐殺行為を行った国の構成員へ「お礼参り」が行われることに、何ら躊躇を厭わないし、相手方の立場になれば、絶対に許すことは出来ないのは当然だ。

 

それを今さら「朝鮮人の迫害」がどうたらこうたら、ラリってんじゃねーぞという話です。

 

すべては『自分たちの選択』の結果であり、各人が社会の構成員として、時の大日本帝国の植民地政策を支持し、多かれ少なかれが「その恩恵」を受け、人の頭を踏みつけながら生活をしてきた責任は、甘んじて受け入れなければならないでしょう。

 

もし懲罰を受けるのが嫌なら、せめてもの手向けとして、朝鮮に全財産を置いていき、裸足で逃げ出すのが筋というものだ。

 

しかしながら、こうした意識が最初からなかった軍現地日本人にしろ、旧来の『帝国意識』を引っ提げ、目まぐるしく変動する歴史の動きに追いつけませんでした。

 

 

<参考資料>

 

・『秘録 大東亞戰史 朝鮮篇』 富士書苑

 

・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房

 

 

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