地域高規格道路064_0402北陸地方整備局管内_新潟南北道路(にいがたなんぼくどうろ) | エコノミライ研究所のブログ

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2015年2月16日に設立した任意団体です。
ありとあらゆる「ミライ」について考える団体ですが、主に
「E」lectric「V」iecle(電気自動車)を通じて
1、生活の未来
2、文化の未来
3、社会の未来
を探求して行きます。

いつも、エコノミライ研究所のブログをお読みくださり、誠にありがとうございます。

 

「高速道路」と簡単にひとまとめしようとしても

1 国土開発幹線自動車道
2 高速自動車国道
3 高規格幹線道路(第四次全国総合開発計画)
4 高速自動車国道に並行する一般国道自動車専用道路
5 国土交通大臣指定に基づく高規格幹線道路(一般国道の自動車専用道路)
6 本州四国連絡道路
7 地域高規格道路
8 その他の自動車専用道路

という分類で考えなければなりません。

 

 リブログ記事ごご覧下さればおわかりのとおり

エコノミライ研究所では、まず、

「2高速自動車国道」の理解を進め、全国に67路線の存在があることを確認しました。

 

 続いての興味は、「高速道路国道」に準ずる自動車専用道路の存在となりまして、

「3 高規格幹線道路(第四次全国総合開発計画)」に関係する道路の存在にクローズアップし、26回シリーズとして紹介してまいりました。

 

(参考:ウィキペディア「国土交通大臣指定に基づく高規格幹線道路(一般国道の自動車専用道路)国土交通大臣指定に基づく高規格幹線道路(一般国道の自動車専用道路) - Wikipedia

 

 それでも、以上のような紹介のみでは、まだ、高速道路の全てを紹介できていないこととなります。

 すなわち、「2高速自動車国道」、「3 高規格幹線道路(第四次全国総合開発計画)」

につづく「6 本州四国連絡道路」について、4回シリーズとして紹介を致しました。

 

(参考:ウィキペディア「本州四国連絡道路」本州四国連絡道路 - Wikipedia

 

 以上により、通行が有料となる「高速道路」をほぼ全域で紹介できたのではないか、と思いますが、例えば地元岡山の美作岡山道路とか隣接する地域で未に覚えのある第二神明道路

そして、首都高速や阪神高速、名古屋高速などのクローズアップができていません。

 

 従いまして、いわゆる「高速道路」の紹介は、まだまだ、続きます。

 

 先回シリーズである本四連絡道路に続くのは、題名に記したとおり

 

地域高規格道路

 

であります。

 

 

 第 64 回目 は、北陸地方整備局管内の 新潟南北道路(にいがたなんぼくどうろ) です。

 

紹介文が長いので、2回に分けてお届けします。

 

新潟南北道路(にいがたなんぼくどうろ)は、新潟県新潟市江南区亀田早通から同市中央区寄居町に至る地域高規格道路である。

概要
日本海東北自動車道の新潟亀田インターチェンジを起点に、国際拠点港湾でもある新潟港西港区(新潟西港)や、新潟駅・万代シテイ・古町など中央区中心部との間の拠点相互間を連結することを目的として指定された、延長8 kmの区間が計画路線に指定されている。
新潟南北道路は新潟亀田IC - 紫竹山IC間の亀田バイパスの一部と紫竹山IC - 寄居町の都市計画道路「万代島ルート線」から構成され、万代島ルート線は4区間(栗ノ木道路・紫竹山道路・沼垂道路・万代場下流橋)が事業化されている。
2022年現在、地域高規格道路としての供用区間は国道49号・亀田バイパスの新潟亀田インターチェンジから国道7号・国道8号新潟バイパスの紫竹山インターチェンジに至る延長2 kmと、柳都大橋を含む「万代橋下流橋」事業の延長1.5 kmの計2区間である。未供用の区間は国道7号および新潟県道464号新潟港沼垂線・栗ノ木バイパス、国道113号・東港線として、それぞれ現道が供用されている。
この他、栗ノ木バイパスの一部連続立体交差化と紫竹山ICの改良を目的とした「栗ノ木道路」「紫竹山道路」の両事業は延長合計2.1 kmの区間において事業中であり、栗ノ木道路と万代橋下流橋を結ぶ沼垂道路も事業化された。一方、事業化されていない西堀前通十番町 - 寄居町間は一部のみ現道が新潟市道として供用されているが、それ以外は未成区間で大部分が街区(住宅地および商業地)となっている。

路線データ
起点 - 新潟県新潟市江南区亀田早通(新潟亀田インターチェンジ)
終点 - 同市中央区寄居町
延長 - 8 km
事業名
亀田バイパス
詳細は「亀田バイパス」を参照
万代島ルート線
紫竹山道路
「栗ノ木バイパス#栗ノ木道路・紫竹山道路」も参照
起点 - 新潟県新潟市中央区鐙
終点 - 新潟県新潟市中央区紫竹山四丁目
延長 - 0.7 km
道路規格 - 第1種第3級(本線)、第4種第1級(地表道路)

栗ノ木道路
「栗ノ木バイパス#栗ノ木道路・紫竹山道路」も参照
起点 - 新潟県新潟市中央区沼垂東二丁目
終点 - 新潟県新潟市中央区鐙
延長 - 1.4 km
道路規格 - 第1種第3級(本線)、第4種第1級(地表道路)

沼垂道路
起点 - 新潟県新潟市中央区万代三丁目
終点 - 新潟県新潟市中央区沼垂東二丁目
延長 - 1.6 km
道路規格 - 第1種第3級(本線)、第4種第1級(地表道路)

万代橋下流橋
「柳都大橋」も参照
起点 - 新潟県新潟市中央区西堀通前通十番町
終点 - 新潟県新潟市中央区万代島
延長 - 1.5 km

歴史
1992年(平成4年)9月11日 : 都市計画道路「栗ノ木線」の名称および起終点を変更、都市計画道路「万代島ルート線」として都市計画決定。
新潟市紫竹山七丁目 - 新潟市寄居町間(延長5.6 km)
1993年(平成5年)4月 : 国道7号の道路橋梁新設および街路整備事業「万代橋下流橋」が事業化(万代島 - 東堀前通十番町間、延長1.3 km)。
1994年(平成6年)12月16日 : 「新潟南北道路」として地域高規格道路の計画路線に指定される。
中蒲原郡亀田町早通(当時)- 新潟市寄居町間(延長8 km)
1995年(平成7年)4月28日 : 早通 - 紫竹山間(延長2 km、亀田バイパスとして供用済み)、万代島 - 東堀通十番町間(延長1 km、万代橋下流橋として事業中)が、新潟南北道路の整備区間に指定される。
1995年(平成7年)8月23日 : 新潟市紫竹山 - 万代島間(延長3 km)が、新潟南北道路の調査区間に指定される。
2002年(平成14年)5月19日 : 万代橋下流橋のうち、宮浦中学校交差点 - 柳都大橋 - 秣川岸通交差点間(延長0.8 km)が供用開始。
2005年(平成17年)4月 : 万代橋下流橋の工区を延伸(西堀前通十番町 - 東堀前通十番町間、延長0.2 km)。
2007年(平成19年)3月30日 : 栗ノ木バイパスの一部連続立体交差化事業「栗ノ木道路」(沼垂東二丁目 - 鐙間、延長1.4 km)が事業化、新潟南北道路の整備区間に指定される。
2008年(平成20年)3月25日 : 万代橋下流橋のうち、秣川岸通交差点 - 東堀通十番町交差点間(延長0.5 km)が供用開始。
2011年(平成23年)4月1日 : 紫竹山インターチェンジ周辺改良事業「紫竹山道路」(鐙 - 紫竹山三丁目間、延長0.7 km)が事業化、新潟南北道路の整備区間に指定される。
2014年(平成26年)3月28日 : 万代橋下流橋のうち、東堀通十番町交差点間 - 西堀通十番町交差点間(延長0.2 km)が供用開始。
2022年(令和4年)3月29日 : 「沼垂道路」(沼垂東二丁目 - 万代三丁目、延長1.6 km)が事業化、新潟南北道路の整備区間に指定される。

路線状況
構造物
とやの橋
柳都大橋

道路管理者
国土交通省北陸地方整備局新潟国道事務所 - 全線

地理
通過する市町村
新潟県
新潟市(江南区 - 中央区)


柳都大橋(りゅうとおおはし)は、新潟県新潟市中央区の信濃川に架かる国道7号(新潟南北道路万代橋下流橋、都市計画道路万代島ルート線)の桁橋。
新潟市中央区の中心部、信濃川河口付近を港域とする新潟港西港区(新潟西港)の下大川前岸壁付近と万代島埠頭付近との間に架かる橋長212.1 m、幅員40 mの3径間連続プレストレストコンクリート箱桁橋である。車道は片側2車線の計4車線で、橋梁両端部は引き続き高架橋となっており、西詰(左岸側)は新潟市道川端町入船町線(下大川前通)と新潟市道川岸町下大川前通線(信濃川左岸線)、東詰(右岸側)は新潟港臨港道路万代島埠頭1号線をそれぞれ立体交差でオーバーパスして両詰の交差点に至る。車道両端には自転車歩行者道を備え、車道と並行して両詰の交差点に至る。中間部にはスロープ付きの階段が上下線合計で6箇所設置されており、それぞれ礎町通と、両詰の信濃川沿いの歩道と連絡している。このうち上流側には、信濃川沿いの両詰2箇所にエレベーターも設置されている。
信濃川の最も河口側に位置する橋梁で、約3 km下流側の河口部には沈埋トンネルの新潟みなとトンネルが通り、約350 m上流側には萬代橋が架かっている。
新潟市の都市計画道路「万代島ルート線」ならびに地域高規格道路「新潟南北道路」の一部として、当時の建設省および現在の国土交通省によって「万代橋下流橋」の事業名称で、国道7号の区間として整備が進められた。既に整備済みの西堀前通十番町交差点 - 宮浦中学校前交差点間の1.5  kmが国道7号の単独区間として供用されているが、両交差点以遠の区間は現在事業中もしくは未成区間で[注 1]、国道7号(重用:国道8号、国道17号の全区間と、国道113号、国道350号の一部)の本道は、柾谷小路から萬代橋や萬代橋通り・東大通、明石通を経由する経路が指定されている。また柳都大橋上は国道7号の単独区間で、他の国道は重複指定されていない。
橋梁の桁部は、桁下部がアーチ曲線を模った外観に施工されており、また信濃川河口に近い立地条件を考慮して日本海からの潮風に耐え得るよう、外装には塩害に強く長期間にわたり美しい景観を保つことができる、ファインセラミックス製のタイルによる化粧張りが施されている。これは隣接する萬代橋が6連のアーチ橋で、御影石(花崗岩)による化粧張りが施されているのに倣ったものである。現在の信濃川本川下流部の川幅は約200 mだが、橋長は萬代橋が306.9 mなのに対し、柳都大橋は212.1 mと短くなっている。これは萬代橋の現橋梁の建設当時は、信濃川両岸の埋め立てが開始されたばかりであったことなどから、のちに埋立地となった両詰側の地上部にまで橋梁本体の構造物が及ぶのに対し、柳都大橋は3径間の架橋部分のみを橋梁本体としており、両詰の高架橋や盛り土部などは構造物から除かれていることによるものである。
橋梁部は上下線の車線が大きく分かれた形状となっているが、これは前述の万代島ルート線の当橋梁以東の区間が一部連続立体交差方式(平面拡幅高架併用型)で設計されており、今後栗ノ木バイパス、東港線の高架化などと併せ、橋梁の中央部に高架道路を通すための設計(計画6車線)によるもので、現在は平面道路の部分のみを使用して暫定供用し、橋梁本体の高架道路部は植栽帯として使用している。なお、当橋梁以西の区間(広小路)は平面街路形式で設計されている。
景観デザイン
下流橋の基本デザインに関しては、車道部を平面高架併用とすること、自転車歩行者道を併設すること、桁下部にアーチ曲線を取り入れることなどは既に着工前に決まっていたが、県の万代島再開発と一体的に事業を進めるため、景観デザインの決定を先送りしていた。そして万代島再開発の全体計画が決定したのに合わせ、2000年(平成12年)10月10日に下流橋の景観デザインが公表された。デザインを担当したのは、都市景観デザインを幅広く手掛ける東京学芸大学教授の伊藤清忠を中心としたメンバーで、「萬代橋と万代島再開発との調和」「高齢化社会に対応した設計」の2点をデザインの重要ポイントとした。
隣接する萬代橋はアーチ橋で、御影石による化粧張りが特徴である。下流橋はその兄弟橋であるとともに、新たな新潟の拠点となる万代島再開発にマッチするよう、アーチ曲線などを強調しながら、現代技術を活用し塩害に強いファインセラミックスによる化粧張りが、全国の道路橋梁としては初めて施されることになった。この化粧張りの費用として、各工程のコスト縮減により得られた5億円が活用されることになったが、その萬代橋の建設時の化粧張り費用にも、基礎工事のコスト縮減で捻出された約10万円(当時の額面)が充当されている。
また高齢者、身体障害者、子供たちなどの交通弱者の歩行者事故を防止するためバリアフリーを考慮し、幅5 mの自転車歩行者道と車道との間に、幅1.5 mの植樹帯を確保して自動車交通と歩行者を完全に分離した。また橋上にバルコニーやベンチを設け、両岸にはエレベーターを設置して利便性を向上させた。
歴史
「みなと大橋」建設構想
かつて新潟市中心部の信濃川下流部に架かる萬代橋から下流側約4 kmの間には左右両岸を連絡する手段が存在しなかったため、下流部の周辺住民や港湾関係者らは1919年(大正8年)から約70年間にわたって、萬代橋下流部に連絡路の建設を求める運動を展開し続けてきた。
さらにモータリゼーションが勃興した1960年代以降、港湾地域の関連交通が市内中心部に流入して慢性的な渋滞を引き起こすなど、市民生活や経済活動などの面で大きな障害となりつつあったことから、新潟市内の政財界の一部では自動車交通の増大に対応するため、萬代橋下流部への新橋梁の架橋に向けて協議が進められ、1965年(昭和40年)には政財界関係者が主催した市民大会において、信濃川と万代島を横断する有料道路「みなと大橋」の架橋建設促進が決議された。
その後第一次オイルショックなど紆余曲折を経て、1974年(昭和49年)秋にようやく建設構想の具体案がまとまったものの、事業主体を市が担うのか、あるいは県もしくは国が担うのか調整が付かぬまま、建設を促進していた当時の新潟市長で保守系の渡辺浩太郎は1975年(昭和50年)4月の市長選で落選し、代わって選挙戦から通行料金が必要な有料橋に異論を唱えていた、革新系の川上喜八郎が当選し市長に就任した。川上は同年12月の市議会で「有料橋には強い疑問を持たざるを得ず、在来案による有料のみなと大橋建設は断念したい」と建設事業凍結を宣言した。
この決定により、みなと大橋との接続に対応するため連続立体交差方式で整備された東港線支線(東港線バイパス:後に国道113号の区間となる)の高架橋は、建設凍結から35年以上を経た現在に至るまで万国橋交差点付近で高架桁が途切れたままとなっている。
「万代島ルート線」整備着手
前述の市長選における各々の選挙公約においては、渡辺がみなと大橋を有料道路として建設計画の促進を推したのに対し、川上は「市民が下駄履きで渡れる無料の生活橋」として、みなと大橋に代わる下流橋の整備を進める方針を示していた。しかし川上は、みなと大橋の建設凍結後も具体的な代替案を示すことは無く、公約は履行されなかった。また当時の新潟県知事君健男は「革新嫌い」として知られ、革新市政に移行した新潟市内での公共事業に消極的な姿勢を示すなど、萬代橋下流部の連絡路整備を巡る思惑は複雑化していた。この間も下流部連絡路の建設促進を求める活動は続いたものの、いずれも具体化には至らず、新潟市中心部では交通量の増大が続き渋滞が慢性化していた。
こうした事態を受け、新潟県が1983年度(昭和58年度)から1984年度(昭和59年度)にかけて実施した「新潟港周辺地域整備計画調査」において、萬代橋の下流部を経由する臨港交通施設として「万代島ルート」と「港口部ルート」の2経路が提案された[1]。前者が現在の柳都大橋、後者が新潟みなとトンネルに該当する。港口部ルートは1986年(昭和61年)6月に改訂された「新潟港港湾計画」に基づいて、当時の運輸省が主導する形で港湾施設に該当する「臨港道路」として1987年度(昭和62年度)に事業着手され、水底トンネル形式で整備されることになった。それに対して一方の万代島ルートは、当時の建設省の主導で新潟市の「都市計画道路」として1990年(平成2年)[2]から原案作成に着手。そして1992年(平成4年)9月11日、新潟県は現在の栗ノ木バイパスに該当する都市計画道路「栗ノ木線」の名称と起終点を変更した上で、都市計画道路「万代島ルート線」として都市計画決定し、事業主体は建設省が担うこととなり、国道7号の区間として「万代橋下流橋」の名称で1993年(平成5年)に事業化され着工した。
先述の港湾計画では下流橋東詰側に所在する、万代島地区の再開発も盛り込まれていた。新潟県は下流橋着工の同年に万代島再開発の事業方針を発表し、下流橋はこれら事業とも一体的に整備が進められることになった。なお「万代島地区再開発事業」ではその一環として、のちに朱鷺メッセなどが建設されることとなる。さらに1994年(平成6年)12月16日、建設省は万代島ルート線を含む区間を地域高規格道路「新潟南北道路」として指定し、下流橋は新潟市中心部と郊外とを連絡する幹線道路の1つとして重責を担うことになった。加えて1996年(平成8年)12月には新潟県が2002 FIFAワールドカップの開催地に決定したことから、下流橋はまず橋梁部を含む秣川岸通 - 万代島間について2002年(平成14年)春の供用開始を目指す方針が決まった。
施工
建設省と新潟市は1994年(平成6年)と1995年(平成7年)の2回、橋のイメージや利用方法に関する市民アンケートを実施した。その結果を踏まえて基本形態の検討が行われ、下流橋は万代島ルート線の道路設計に基づいて平面道路と高架道路の併用橋梁とし、橋梁形式は経済性・施工性の観点から比較検討した結果、支点部の桁高が高く、上部アーチの要素がある「3径間連続プレストレストコンクリート箱桁橋」を選定した。こうして基本形態が決まり、橋梁の躯体は1998年(平成10年)10月に本格着工した。
下流橋の上流側に隣接する萬代橋は、新潟市内の道路橋梁では初めてケーソン工法(ニューマチックケーソン工法)が用いられ、人力掘削で開削してケーソンが構築された橋梁であるが、下流橋の基礎工にもニューマチックケーソン工法が採用されることになった。しかし、信濃川の地下に橋脚の基礎部として構築される2基のケーソンの作業面積は約720 m2、掘削深度は地下26 mと大規模であることから、作業効率の向上によるコスト縮減や作業員の安全性向上を目的として、遠隔操作による無人化施工を採用した。これは函内に複数の監視カメラを設置して、その映像を地上の操作室から確認しながら各種機器・重機を遠隔操作して掘削・排土作業を行うもので、これにより作業の効率化と高気圧下における労働環境の改善が図られた。またケーソンを垂直沈下させる際も24時間体制で沈下状況が管理された。基礎工・下部工は2000年(平成12年)10月に完工したが、無人化施工によって約2か月の工期短縮と約2000万円の費用削減が図られた。
上部工は場所打片持架設工法(片持架設用移動作業車架設)で行われた。橋脚を支点として橋桁を徐々に張り出すように架設してゆく工法で、橋脚の間隔が長い橋梁で桁下の道路や航路などの空間を確保しながら桁を架設する場合に有利な架設工法である。2001年(平成13年)12月にすべての桁が架設され、12月21日に中央径間の連結式が行われた。3径間の橋桁を支える橋脚の支間(隣り合う橋脚の中心間との距離)は、両岸2径間が54.8 m、中央部1径間が100.0 mと長大で、それぞれ桁下部は萬代橋に倣い、アーチ曲線を描いている。信濃川を航行する船舶の航路確保を考慮し、かつ都市景観にも配慮したデザインが取り入れられている。
各工程ではこの他、コンクリート構造物の大型・長尺化やプレキャストコンクリート製品の活用、建設発生土の有効活用、再生材を利用した舗装・路盤工の活用等によってコストダウンが図られ、これらにより合計で約5億円の費用削減効果があった。
名称は「柳都大橋」に決定
建設当時、新橋梁の名称は事業名称の「万代橋下流橋」が主に使用されていたが、正式名称は一般公募によって広く募集することになり、行政関係者と新潟市にゆかりのある学識経験者や文化人、市民代表などから組織される「名称選考委員会」が選考を担うことになった。
2000年(平成12年)10月18日に開かれた第1回選考委員会で、一般公募の応募要項と選考基準などが決定、名称募集は新潟国道事務所と新潟県、新潟市の3者主催により実施されることになった。選考基準は「末永く」(時の移り変わりの中で、いつまでも誰からも愛され、親しまれる名称であること)「ゆかり」(市民の願いや橋のゆかり・成り立ち・意義などが込められた名称であること)「調和」(橋のデザインや周辺の地域に調和した名称であること)の3点で、10月20日から約2か月間にわたって応募を受け付けた結果、郵送とインターネットで合計11,934通の応募が寄せられた。
そして2001年(平成13年)1月25日に開かれた第2回選考委員会における審査の結果、名称は「柳都大橋」に決定し、翌1月26日付の新潟日報朝刊紙面などで発表された。かつて新潟市の中心部には堀が巡り、畔にはヤナギが植栽されていた。「柳都」は、水と柳が織りなす街並みを表した新潟市の雅称である。この橋が新潟の更なる発展に尽くすとともに、賑わいのある、水と緑の豊かなまちとして未来へと続くことを祈念して命名された。「柳都大橋」は選考委員の間でも圧倒的に支持され、選考委員の一人で新潟市出身の作家藤沢周は「自分の中でイメージが固まった時に『柳都』という言葉が飛び込んできて、これしかないだろうという感触を受けた」と選評を述べている。この名称で応募した新潟県138人、東京都・三重県各1人の計140人が「名付け親」として認定された。
「柳都大橋」開通
橋梁部を含む秣川岸通交差点 - 宮浦中学校前交差点間は2002年(平成14年)5月19日、新潟みなとトンネルと同日に開通し、萬代橋をはじめとする新潟市中心部の橋梁の交通量分散に貢献した。また上流側の自歩道のエレベーターは、同年8月1日に供用を開始した。
暫定的に西詰側の取付道路となった秣川岸通(まぐさかわぎしどおり)は、かつて「他門川」という信濃川の分流が流れていた場所である。江戸時代中期、上流部から運ばれた土砂によって中州が生成され、現在の下大川前通付近の中州は「秣島」と呼ばれた。馬が食べる草が生えていたことから名が付いたと言われている。のちに下流側の「榛島」(はんのきじま)と陸続きになり、明治時代初頭には新潟県令に就任した楠本正隆の主導によって、開化の礎として宅地開発が進められた。その際に整備された街路が、現在の礎町通と下大川前通である。
他門川は第二次世界大戦中に川幅が狭められ、戦後は引揚者による商店街「鏡橋マーケット」が建てられた。だが1950年代に入り、新潟市周辺で地盤沈下が深刻化すると、他門川は流れがほとんど無くなり、それに加えて生活排水の流入などによって水質悪化が著しくなった。当時の市内中心部には他門川の他にも、広い範囲で堀が張り巡らされていたが、堀のある小路は道幅が狭隘で、自動車等の通行に障害が出はじめ、また1955年(昭和30年)10月1日未明に発生した新潟大火では消火活動の大きな障害となり、中心市街地が広範囲で罹災するなど防災上の問題も生じた。
新潟市では1964年(昭和39年)に第19回国民体育大会(新潟国体)の開催を控えていたこともあり、水質が汚濁した堀を淘汰して中心市街地のイメージ向上と防災機能の強化を図るため、堀の埋め立てに順次着手し、他門川も道路拡張のため1963年(昭和38年)に埋め立てられた。柾谷小路と秣川岸通が交わる鏡橋交差点は、この他門川に架かっていた柾谷小路の「鏡橋[5]」に因んだものである。
1972年(昭和47年)、他門川流域跡の下流部には片側2車線ずつの市道2本が開通し、道路に挟まれた中州には市営の集合住宅「他門川住宅」が建設された。しかし2000年(平成12年)、万代島ルート線の整備に合わせて他門川住宅は撤去され、秣川岸通は柾谷小路から下大川前通まで直通する4車線の市道として再整備された。
万代橋下流橋
万代島ルート線の秣川岸通以西は旧市街地を経由する区間で、万代橋下流橋の経路は既存の市道「広小路」(新潟市道広小路通線)の拡幅によって整備が進められる計画であったが、その区間の多くは街区となっており、建物の撤去や移転を要するため、整備は長期にわたった。
特に難航したのが経路上の住吉町地内に所在した「第四銀行住吉町支店」の処遇に関する問題だった。同支店は1927年(昭和2年)10月に竣工した鉄筋コンクリート造2階建(一部3階建)の新古典主義様式で、周辺地区のランドマークに数えられる建造物の1つであった。第四銀行は万代島ルート線の整備にあたり、同支店を移転して建物を撤去する意向を示したが、市民から「昭和初期の貴重な建造物を残してほしい」と保存を求める強い要望が寄せられたことを受け、国土交通省と新潟市、第四銀行は周辺住民と市民団体を交えて処遇に関する議論を進めた。移築して保存すべきとする意見、移築せずに現在地内で保存すべきとする意見、万代島ルート線の建設そのものに反対する意見などさまざまな意見が挙がったが、議論の結果、移築して保存する方針が固まった。まず住吉町支店を2002年(平成14年)3月18日、旧支店から約250 m下流側の上大川前通十二番町へ新築移転させ、空き家となった旧支店の建物は新潟市が取得、約9億4000万円を負担して解体工事が進められ、2004年(平成16年)に開館した新潟市歴史博物館(みなとぴあ)の敷地内で復元移築された。翌2005年(平成17年)には国の登録有形文化財に登録されている(第15-0186号)。
拡幅された広小路
2008年(平成20年)春に、広小路の東堀前通十番町交差点 - 住吉町交差点間の拡幅と、住吉町交差点 - 秣川岸通交差点間の道路新設が完了して直通化されたことにより、柳都大橋は広小路を経由して東堀通や西堀通などからも直接通行できるようになった。また、この区間に整備された自転車歩行者道は、車道との間を植栽帯で分離するだけでなく、自転車道と歩行者道の間も柵や植栽帯で分離されており、交差点やバス停部など自転車と歩行者の動線が交差する箇所では自転車道に横断歩道が設置されている他、分離部には交差点ごとに注意喚起のための路面標示が設置されている。
残る西堀前通十番町交差点 - 東堀前通十番町交差点間の延長0.2 kmでは、古町通十番町交差点付近の2棟の地権者との交渉が難航していたため、国土交通省北陸地方整備局は2012年(平成24年)3月12日付で土地収用の手続きを開始した。なお、同事業で収用手続きが取られたのはこれが初めてである[9]。同区間は2014年(平成26年)3月28日に開通し、これをもって「万代島下流橋」事業の全区間が開通となった。また西堀前通十番町以西は現在「新潟島道路」(仮称)の調査区間となっており、事業化区間は無い。
なお、新潟市が2008年(平成20年)3月に公表した市域内の交通網整備に関する短中期計画「にいがた交通戦略プラン」と、2012年(平成24年)2月13日に公表した中央区中心部の交通網整備の指針「新たな交通システム導入方針」においては、将来的には萬代橋を公共交通主体とした上で、自動車交通を万代島ルート線など近隣の道路へ誘導する旨が記されている。
沿革
1960年代半ば、萬代橋下流をルートとする有料道路「みなと大橋」の建設構想が浮上する。
1970年代に「みなと大橋」の建設が決定、併せて東港線の高架バイパスが着工。しかしその後、オイルショックや市政の交代などで建設が中断される。
1992年(平成4年)9月11日 - 都市計画道路「栗ノ木線」「広小路通線」の名称および起終点と「東港線」の計画の一部を変更し、都市計画道路「万代島ルート線」として都市計画決定。
新潟市紫竹山七丁目(紫竹山IC) - 新潟市寄居町(延長5.6 km)
1993年(平成5年) - 「一般国道7号 万代橋下流橋」として事業化。
新潟市東堀前通十番町 - 新潟市万代島(延長1.3 km)
1994年(平成6年)12月16日 - 万代島ルート線が新潟南北道路の一部として地域高規格道路の計画路線に指定される。
1995年(平成7年)4月28日 - 万代橋下流橋の区間が地域高規格道路の整備区間に指定される。
2001年(平成13年)1月25日 - 橋の名称が公募選考により「柳都大橋」に決定。
2002年(平成14年)5月19日 - 柳都大橋を含む秣川岸通交差点 - 宮浦中学校前交差点間(延長0.8 km)が供用開始。
2005年(平成17年)4月 - 万代橋下流橋の工区を延伸し延長0.2 kmを追加、起点を西堀前通十番町に変更。
新潟市西堀前通十番町 - 新潟市万代島(延長1.5 km)
2008年(平成20年)3月25日 - 東堀前通十番町交差点 - 秣川岸通交差点間(延長0.5 km)が供用開始。
2014年(平成26年)3月28日 - 西堀前通十番町交差点 - 東堀前通十番町交差点間(延長0.2 km)が供用開始。
交通量
24時間あたりの自動車交通量
2015年6月 : 22,900台


栗ノ木バイパス(くりのきバイパス)は、新潟県新潟市中央区万代島地内の万国橋交差点から、同区紫竹山三丁目地内の紫竹山インターチェンジに至るバイパス道路である。万代島から同区明石二丁目に至る区間は新潟県道464号新潟港沼垂線、明石二丁目から紫竹山三丁目に至る区間は国道7号(国道8号・国道17号・国道49号・国道403号・国道459号重複)に指定されている。
全線が新潟市の都市計画道路「万代島ルート線」、ならびに地域高規格道路「新潟南北道路」の計画路線および整備路線に指定されている。
なお国道区間のうち、同区沼垂東二丁目 - 同区鐙の延長1.4 kmの間は栗ノ木道路(くりのきどうろ)、鐙 - 紫竹山間の延長700 m の間は紫竹山道路(しちくやまどうろ)の事業名称で、バイパスの一部を連続立体交差化する事業が進められている。
概要
路線としては、北側の万国橋交差点 - 栗ノ木橋交差点間は県道464号、明石通・新潟県道3号新潟新発田村上線(旧7号・新発田街道)と交差する栗ノ木橋交差点以南は国道7号となる。
問題点
栗ノ木バイパスは全線6車線だが、紫竹山ICを除いて全て平面交差となっており、また市街地を経由する上、右左折車線の不備な箇所があるなどといった問題から渋滞が慢性化している。また紫雲橋交差点から紫竹山交差点、紫竹山ICにかけての区間は緩やかなカーブになっているのに加え、交差点や合流・分岐が近接していることから最大で片側5車線が設けられている区間があり、交差点では新潟県道5号新潟新津線や新潟市道紫竹山鳥屋野線などが多重にクランクして接続するなど道路構造が非常に複雑で、特に朝・夕のラッシュ時、両交差点ではバイパス上の右折車線の流れが著しく悪く、迷い運転や接触事故も多発している。国土交通省新潟国道事務所では2010年(平成22年)春から秋にかけ、紫雲橋交差点付近と紫竹山ICの周辺部で方面別に標識と路面を色分けする「カラー連携標示」を導入し、方面標識の表示内容を詳細化するなどして交通の整流化を図っているが、抜本的な改善には至っていない。
また信越本線と白新線及び上越新幹線をアンダーパスで立体交差する箇所は、4.7 mの桁下高[注 1]を確保するため標高0 m以下の窪地状になっており、降雨時には冠水を防ぐためポンプによる排水を行っている。だが稀に排水能力を超える豪雨となった際にはアンダーパス部が冠水によって通行できなくなる場合があり、近年では1998年(平成10年)8月4日、1999年(平成11年)8月12日、2008年8月28日(平成20年)に上下線とも、2011年(平成23年)7月28日にも上り線(万国橋方面)のみで冠水が発生し、栗ノ木橋交差点 - 笹越橋交差点間で通行止が実施された例がある。この対策の一環として新潟駅連続立体交差化事業と連動し、栗ノ木道路事業による嵩上げが行われる。
歴史
バイパス名称の「栗ノ木」とは、新潟市江南区亀田地区と鳥屋野潟周辺部から信濃川の新潟港西港区(新潟西港)万代島埠頭付近に通じていた栗ノ木川(くりのきがわ)に因むものである。栗ノ木バイパスはその流路跡を活用する形で整備されたもので、今日においては中央区中心部と新潟バイパス・亀田バイパスとの間を連絡する幹線道路の一つであるが、現在もバイパス上の交差点名には「万国橋」「栗ノ木橋」「笹越橋」「紫雲橋」などのように、かつての橋梁名が残されている。
栗ノ木川
「亀田郷」および「鳥屋野潟」も参照
栗ノ木川は鳥屋野潟南部のいわゆる亀田郷(現在の新潟市江南区の全域と東区・中央区の各南部)から鳥屋野潟を経て信濃川下流部に注ぐ河川であった。亀田郷はかつて「地図に無い湖」とも揶揄された程、非常に水捌けの悪い地域であったが、1892年に鳥屋野潟の排水を強化するため、笹口(現在の笹越橋交差点付近)地内から東へ分流して通船川へ通じる分水路として新栗ノ木川(しんくりのきがわ)が開削された。当時の新潟市周辺は湿地帯で道路網が乏しく、舟運が主たる交通手段であったため、ともに昭和時代初期まで沼垂周辺の水上交通の要を担っていた。
1948年(昭和23年)、戦前から進められていた農地整備事業の一環として鳥屋野潟東端部に建設された栗ノ木排水機場が稼働を開始し、栗ノ木川と新栗ノ木川は亀田郷地域の広域排水を担う事になった。これによって新潟市周辺の乾田化が進み、生産性が大幅に改善された上に、米の品質も大きく向上した。それに加えて都市開発が急速に進捗し、宅地開発も進められたが、当時の新潟市は下水道の整備が立ち遅れており、栗ノ木川も生活排水の流入によって著しい水質悪化に陥っていた。さらに1964年(昭和39年)6月16日に発生した新潟地震の影響で、栗ノ木川の下流部は津波によって浸水し、約1か月にわたって冠水が続く深刻な被害を受け、栗ノ木排水機場も設備が一部損壊するなど機能低下に陥った。震災後、栗ノ木川沿岸の住民は水害の抜本対策として新潟県と新潟市に対し、栗ノ木川を埋め立てるよう陳情を行った。
栗ノ木川の埋め立てと道路建設
これらを受けて県は震災復旧事業の一環として鳥屋野潟西部に新たな排水路の新設と、栗ノ木川下流部を埋め立てて道路を整備する方針を決定した。これによって既に老朽化が進んでいた栗ノ木排水機場は廃止され、それに代わる排水経路として1967年(昭和42年)に鳥屋野潟西部から信濃川へ直接排水する親松排水路が開削され、合流部の親松排水機場が稼働を開始。栗ノ木川は農業排水路としての役目を終え、その翌年に同川の地下に下水道が整備されると完全に役割を終えた[2]。そして埋め立て後の道路は急速な自動車社会の進展に合わせ、6車線の都市計画道路「栗ノ木線」として整備する方針が決定し、栗ノ木川は川幅を狭め、笹口以北の本流を廃止して埋め立てられ、流路は新栗ノ木川に統合された。道路は1968年(昭和43年)に着工し、南側から順次供用を開始。1975年(昭和50年)の万国橋交差点 - 笹越橋交差点間開通により全線が開通した。
埋め立てと道路建設に際し、栗ノ木川の旧流路に架かっていた橋梁は順次撤去されたが、主要道路の交差点の名称にはかつての橋梁名が残された。当時の橋梁の躯体が残存している箇所はごく少ないが、かつて東港線に架かっていた万国橋跡には、現在も旧河口側に当時の欄干が残っている。
沿革
1967年(昭和42年)10月12日:新潟県が新潟市の都市計画道路「栗ノ木線」として計画決定。栗ノ木川の笹口から河口までの下流部堰き止めが開始される。
1968年(昭和43年):道路建設事業が着工。
1973年(昭和48年)11月22日:紫竹山IC - 紫雲橋交差点間が、国道49号として開通。
1973年(昭和48年)12月:紫雲橋交差点 - 笹越橋交差点間が開通。
1974年(昭和49年)4月20日:紫竹山IC - 紫雲橋交差点間が国道7号・国道113号に指定。
1974年(昭和49年)4月22日:紫竹山IC - 紫雲橋交差点間が国道8号・国道17号の重複区間に指定。
1975年(昭和50年)4月1日:全線開通。
1992年(平成4年)9月11日:新潟県が栗ノ木線の名称及び起終点を変更し、都市計画道路「万代島ルート線」として計画決定。
1993年(平成5年)4月1日:紫竹山IC - 栗ノ木橋交差点間が国道403号・国道459号の重複区間に指定。また国道113号の区間変更に伴い、同区間が重複区間から除外される。

栗ノ木道路・紫竹山道路
栗ノ木バイパスの交通量は前述の通り増大しており、短間隔で平面交差を繰り返す上、前述した紫竹山IC周辺部の構造的な不備もあいまって、長年にわたり渋滞が慢性化している。
事業化に至るまで
こうした状況下、国と新潟県・新潟市の3者は1992年(平成4年)9月、栗ノ木バイパスに該当する都市計画道路「栗ノ木線」の名称と起点・終点を変更し、紫竹山IC - 寄居町間の延長5.6kmを都市計画道路「万代島ルート線」として計画決定し、翌1993年(平成5年)には柳都大橋の建設が決定。道路を高規格化して栗ノ木バイパスと東港線の各一部を連続立体交差化し、柳都大橋へ直通させる方針も打ち出された。さらに国は1994年(平成6年)12月16日、亀田バイパスの新潟亀田IC - 紫竹山IC間と万代島ルート線全線の延長8kmの区間を「新潟南北道路」として地域高規格道路に指定した。しかし一方、周辺環境の悪化を懸念する地元住民の一部が栗ノ木バイパスと東港線の立体交差化に反対する旨を唱えるなど、計画は難航した。
その後紆余曲折を経て、栗ノ木バイパス北側と東港線の立体交差化は当面見送り、まず渋滞が著しい栗ノ木バイパス南側について連続立体交差化を実施する方針が決定し、「栗ノ木道路」の事業名称で2007年(平成19年)度に事業化された。さらに紫竹山ICの完全立体化と、紫雲橋交差点 - 紫竹山IC間の複雑な道路構造を解消する方針も決定し、「紫竹山道路」の事業名称で2011年(平成23年)度に事業化された。
事業内容
計画では現在の栗ノ木バイパスと、東側に並行する新潟県道5号新潟新津線を、JR線のアンダーパス部南側(現在の馬越交差点付近)から紫竹山交差点にかけての区間で道路を統合した上で、栗ノ木バイパスの路盤を全区間にわたって嵩上げする。2022年(令和4年)10月1日21時から翌2日6時30分ごろにかけて新潟県道5号新潟新津線の馬越交差点 - 紫竹山交差点間が国道7号栗ノ木バイパスとして紫竹山IC方面に向かう一方通行の道路に切り替えられた[3]。アンダーパス部以南の区間は一部連続立体交差方式(平面拡幅高架併用型)で整備し、中央部に上下線の高架道路(ともに片側2車線)を、その両側には上下線の地表道路(ともに片側2車線)と自転車歩行者道を設ける。高架部はアンダーパス部と紫竹山ICの間を直通するため、中央区中心部からバイパスへは信号処理なしで直進可能となり、区間内には現在の笹越橋交差点付近にダイヤモンド型のインターチェンジが設置される。高架部に並行する地表部は現在の笹越橋、紫雲橋、紫竹山の各交差点で各道路と接続するのに加え、鐙地内では現在栗ノ木バイパスで分断されている都市計画道路網川原線が接続する。笹越橋交差点と鐙地内に新設される交差点の間には、上下線を連絡するUターン路が1箇所ずつ設けられる。廃止される馬越交差点に代わり、付近には横断歩道橋が設けられる。栗ノ木バイパスと新潟新津線の間を流れている栗ノ木川は道路中央部の高架下へ移設し、流路は道路横断箇所等を除き露天のままとして蓋は掛けない。また、現在矢板を使用している断面は護岸ブロックとする。
紫竹山ICは新潟・亀田両バイパスと、栗ノ木バイパスの高架部のみの結節点となるため、地表部の紫竹山IC以南は亀田バイパスの水原・新津方面への直通のみとし、新潟バイパスへの流入・流出は不可能となる。そのため黒埼・曽和方面へは弁天インターチェンジから、新発田方面へは新潟新津線の紫竹跨道橋付近に新設されるハーフインターからのアクセスとなる。紫竹山ICは現在、亀田バイパス方面から新発田方面への接続は対向する本線(黒埼・亀田方面)を一時停止方式で横断してからオンランプへ合流する平面交差となっているが、この間にオンランプを増設して平面交差を解消し、全方面のランプが完全立体化される。それと合わせ、新発田方面から栗ノ木バイパス方面へのオフランプは現状の多重合流を避けるため、ランプが北側へ延伸される。紫雲橋・紫竹山両交差点付近では、市道紫鳥線と新潟新津線を直通化させるなどの改良が行われる。
なお前述のJR線のアンダーパス部については冠水対策として、現在進められている新潟駅連続立体交差事業の進捗に合わせ、在来線の高架化後にバイパスの路盤を嵩上げして冠水を防ぐ工事が実施される予定である。
栗ノ木道路・紫竹山道路とも全面竣工時期は未定だが、今後栗ノ木バイパス沿線では道路の移設や新設に加え栗ノ木川の流路移設などといった大規模な工事が計画されている。

旧道
国道49号
新潟市中央区紫竹三丁目(紫雲橋交差点(県道・東側)) - 新潟市中央区沼垂東二丁目(沼垂東二丁目交差点):新潟県道5号新潟新津線
国道7号・国道8号・国道17号・国道113号
新潟市中央区紫竹三丁目(紫雲橋交差点(県道・東側)) - 新潟市中央区沼垂東二丁目(沼垂東二丁目交差点):新潟県道5号新潟新津線
新潟市中央区沼垂東二丁目(沼垂東二丁目交差点) - 新潟市中央区明石二丁目(栗ノ木橋交差点):新潟県道3号新潟新発田村上線
当初、この旧道区間は国道49号のみが指定されていたが、1974年(昭和49年)に国道7号、国道8号、国道17号、国道113号が新潟バイパス経由の区間に指定変更された際、同区間もこれらの国道の重複区間とされた。翌年の栗ノ木バイパスの開通に伴い、国道指定から外れている。
※国道403号、国道459号はバイパス開通後の指定のため、旧道は存在しない。
接続するバイパスの位置関係
国道7号
(新潟方面)現道 - 栗ノ木バイパス - 新潟バイパス (村上方面)
国道8号、国道17号
(新潟方面)現道 - 栗ノ木バイパス - 新潟バイパス (京都、東京方面)
国道49号
(いわき方面)亀田バイパス - 栗ノ木バイパス - 終点(新潟方面)

亀田バイパス(かめだバイパス)は、新潟県新潟市を通る国道49号(重複:国道403号・国道459号)、新潟県道586号水原亀田線のバイパス道路。
本項では、亀田バイパスとともに一本の路線として機能する供用済の横雲バイパス(おううんバイパス)、および事業中の阿賀野バイパス(あがのバイパス)の合わせて3路線についてまとめて記す。
概要
新潟都市圏のバイパス網のうち、阿賀野市から新潟市江南区を経由して同市中央区に至る、延長26.8 kmの区間を構成しており、終点の紫竹山ICで新潟バイパスと直交するほか、茅野山ICでは新津バイパスに接続する。茅野山IC - 紫竹山IC間は連続立体交差方式となっており、他の区間でも一部が盛土構造となっている。
亀田バイパスのうち新潟亀田IC - 紫竹山IC間は、新潟南北道路として地域高規格道路に指定されている。
阿賀野バイパスは、旧北蒲原郡安田町の区間を安田バイパス(やすだバイパス)として、旧同郡水原町から京ヶ瀬村に至る区間を水原バイパス(すいばらバイパス)としてそれぞれ整備事業が進められていたが、この3町村が2004年(平成16年)に新設合併により「阿賀野市」となったことに伴い、両事業の総称として「阿賀野バイパス」の通称名が付与され、現在はそれぞれの区間を「安田区間」「水原区間」とも称している。
 

 

 

 

 日本には、大変、多くの高規格道路の存在があります。それだけ、道路行政の複雑さも存在しているであろうことも、容易に想像することができます。

 

 いろいろと、調べてみることで、新たな「発見」があります。

 

 このシリーズ

 

でも、また、新たな「発見」があれば良いな、と思いつつ、紹介しています。

 

 このシリーズ、是非、お楽しみ下さい。

 

  

  エコノミライ研究所所長 楊田芳樹

 




<おまけ>

この文書の最後に、これまで掲載してきた三訂版シリーズのリンクを貼っておきます。

 

以下のコンテンツが、EVユーザーの皆様、そして、EVに興味をお持ちの皆様にも、お役に立つことができれば幸いです。

 

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道01】E5道央自動車道 2021-01-05 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道02】E5A札樽自動車道 2021-01-12 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道03】E38(E61)道東自動車道 2021-01-19 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道04】E61十勝オホーツク自動車道 2021-01-26 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道05】E4東北自動車道 2021-02-02 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道06】E4A八戸自動車道 2021-02-09 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道07】E4A青森自動車道 2021-02-16 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道08】E46釜石自動車道 2021-02-23 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道09】E46(E7)秋田自動車道 2021-03-02 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道10】E46山形自動車道 2021-03-09 07:00:00


[三訂版]【日本の高速自動車国道11】E49磐越自動車道 2021-03-16 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道12】E7日本海東北自動車道 2021-03-23 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道13】E13東北中央自動車道 2021-03-30 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道14】E17関越自動車道 2021-04-06 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道15】E18上信越自動車道 2021-04-13 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道16】E6常磐自動車道 2021-04-20 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道17】E14館山自動車道 2021-04-27 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道18】CA東京湾アクアライン 2021-05-04 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道19】E51東関東自動車道 2021-05-11 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道20】C3東京外環自動車道 2021-05-18 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道21】E50北関東自動車道 2021-05-25 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道22】E20(E19)中央自動車道 2021-06-01 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道23】E1(A1)名神高速道路 2021-06-08 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道24】E88京滋バイパス 2021-06-15 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道25】E19長野自動車道 2021-06-22 07:00:00

 

【三訂版】【日本の高速自動車国道26】E1(AH1)東名高速道路 2021-06-29 07:00:00

 

【三訂版】【日本の高速自動車国道27】C4首都圏中央連絡自動車道 2021-07-06 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道28】E67東海北陸自動車道 2021-07-13 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道29】E1A新東名高速道路 2021-07-20 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道30】E52中部横断自動車道 2021-07-27 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道31】E8北陸自動車道 2021-08-03 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道32】E1A伊勢湾岸自動車道 2021-08-10 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道33】C2名古屋第二環状自動車道 2021-08-17 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道34】E23東名阪自動車道 2021-08-24 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道35】E23伊勢自動車道 2021-08-31 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道36】E26近畿自動車道 2021-09-07 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道37】E25西名阪自動車道 2021-09-14 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道38】E1A新名神高速道路 2021-09-21 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道39】E26阪和自動車道 2021-09-28 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道40】E42紀勢自動車道 2021-10-05 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道41】E27舞鶴若狭自動車道 2021-10-12 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道42】E2A(AH1)中国自動車道 2021-10-19 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道43】E2山陽自動車道 2021-10-26 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道44】E29播磨自動車道 2021-11-02 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道45】E29鳥取自動車道 2021-11-09 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道46】E73岡山自動車道 2021-11-16 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道47】E73米子自動車道 2021-11-23 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道48】E54尾道自動車道 2021-11-30 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道49】E54松江自動車道 2021-12-07 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道50】E74広島自動車道 2021-12-14 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道51】E74浜田自動車道 2021-12-21 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道52】E74山陰自動車道 2021-12-28 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道53】E32徳島自動車道 2022-01-04 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道54】E11(E56)松山自動車道 2022-01-11 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道55】E11高松自動車道 2022-01-18 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道56】E32(E56)高知自動車道 2022-01-25 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道57】E3九州自動車道 2022-02-01 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道58】E10宮崎自動車道 2022-02-08 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道59】E34長崎自動車道 2022-02-15 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道60】E35西九州自動車道 2022-02-22 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道61】E34(E10)大分自動車道 2022-03-01 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道62】E77九州中央自動車道 2022-03-08 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道63】E10(E78)東九州自動車道 2022-03-15 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道64】E65新空港自動車道 2022-03-22 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道65】E71関西空港自動車道 2022-03-29 07:00:00

 

[三訂版]【日本の高速自動車国道66】E2A関門橋 2022-04-05 07:00:00

 

[三訂版]<とりあえず最終回>【日本の高速自動車国道67】E58沖縄自動車道 2022-04-12 07:00:00

 


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