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・ソ連との戦争 「絶望」の中で

 

 

『秘録 大東亞戰史 朝鮮篇』 富士書苑より

 

 

樹立されていた避難計画

 

咸北が戦場になるのを予想していた軍としては、一般日本人の避難計画も樹立していた。これは羅津の例をとると、<昭和>二十年四月に第十九師団防衛会議で現地の軍、憲兵隊長、府尹<府の長官>の集合の際に、軍司令官から極秘命令として示達されたもので、「その時期は、司令官から府に通告する。咸北のものは、茂山、恵山鎮を経て平南にでる。羅津の場合、鉄柱洞、鹿谷、会寧、茂山、恵山鎮から鴨緑江岸にそって南下し平南の成川にでる」というコースであった。

 

これはこの年<1945年>の七月に改めて道防衛本部から第九十八号計画として指示されていた。羅津、雄基の人々に、この危急の時、当局が指示したのはこのコースであった。

 

しかしこの方面の人々は、かならずしも、みなこの会寧、茂山に向かったのではなくて、相当数の人達は、南下する軍人達にまじって、海岸づたいに清津方面にむかっていた。

 

 

阿吾地人造石油工場の撤退

 

<ソ連>国境近くでいちばん日本人の多かった町は阿吾地<あごち>の灰岩で、ここには日本窒素系の人造石油の工場がある。

 

<1945年>八月九日午前二時頃、工場の夜勤者は雄基方面に当って、照空燈の光が交錯し、爆弾の炸裂音がさかんにきこえそのたびごとに火焔<かえん>のたち上がるのをみたという。午前六時頃、空襲警報発令全員工場に集合、「ソ連と開戦」がはじめて通達された。

 

午後一時頃、空襲警報の頻繁なために、運転が停止し、午後三時頃、「工場の諸装置は、敵侵入の場合、利用されないように処置せよ」という知事命令がでて工場の各現場では、重要図面の埋没隠匿とか、重要機器の主要部分取りはずし秘匿とかの諸処置をおこなった。

 

この頃「ソ軍の灰岩より数里の下汝坪<かじょうひょう>まで来り、第一線部隊と対峙中」との情報が入り、ついで「落下傘部隊降下の算大なり」とか「阿吾地爆撃さる」などの報知とともに、最初の負傷者が附属病院にはこびこまれた。

 

午後六時頃、婦女子の待避命令が来夜<きよる>に入って社宅部隊の避難計画がたてられ、工場では、全員にあらかじめ用意してあった竹槍が渡され、最後の場合の斬込準備が命ぜられた。

 

深夜、「ソ軍は阿吾地駅より一里の地点に迫った」という情報に病人や老幼者をはこぶ車を手配しようとしたが、牛車は全部警察や憲兵におさえられ、わずかに工場のトラック一台と乗用車一台だけが役立つという状態であった。

 

十日午前四時頃待避許可がでて、第一線陣地の江八嶺<こうはちれい>の背後を目標に、従業員を除いて社宅の者全員進発<軍隊が出発すること>、午前六時半、従業員もグラウンドに集合し、工場にむかって訣別の挨拶をした後、社宅部隊のあとを追った。

 

午前八時、従業員部隊は、社宅部隊においつき、そこで家族単位に編成しなおして、炎熱の中を、時に敵機の襲来をうけながら江八嶺<こうはちれい>の嶮<けん=高くけわしい>をこえた。

 

病人も老人も子供もあえぎあえぎ歩くこの蜿々<えんえん>たる徒歩行進を、第一線部隊のトラック、乗馬部隊、警察憲兵のトラック、牛車がこれを蹴ちらすように追いこして行った。

 

阿吾地の人達は、途中で野宿四泊、<1945年8月>十四日会寧にたどりついた。

 

記録はその時に六千名の日本人は全員灰岩工場から撤退したことになっているが、あとに二人の日本人女性がのこっていた。有地よし子さん(二六)と伊藤和子さんである。

 

「私は、故郷<日本>にかえっても身寄りがないので、ソ軍がくるまでいてその時いさぎよく死のうと思ってのこりました。私がのこるというと、親しかった伊藤和子さんものこるといってきかないので二人でおりました。あとは静かなものでした。朝鮮人が物資をすこし掠奪しただけです。十一日に慶興から二人の逃亡日本兵が灰岩を通って、私達がいるのにおどろいていましたが、その兵達<へいたい>はまだ阿吾地駅はなんともないといっていました。十三日朝、ソ軍の飛行機が一台通っただけでした。その朝、阿吾地の菅原憲兵隊分隊長がトラックに乗ってやってきました。私達にここに止まってはいけないといって、そのトラックで工場の人達の避難している沙谷<さこく>にはこばれました。そこで工場の人達にあって、灰岩工場が無事であることを申しましたら、十四日朝トラック二台で引返して避難者のために食糧や衣類をとりに行って、みんな助かったといっていました」

 

※<>は筆者註

 

『秘録 大東亞戰史 朝鮮篇』 富士書苑 20~21頁より

 

戦争の雌雄が決した状況で、これ以上の死傷者を出さないためにも、日本が「植民地朝鮮」から手を退かなければならないのは時間の問題であった。

 

 

<参考資料>

 

・『秘録 大東亞戰史 朝鮮篇』 富士書苑

 

 

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