《前編》 より

 

【二つとない命を何かにかける】
甲野  今の社会は安全を追い求めるあまり、生きていることに本質的に付随するリスクというのを忘れています。「命が一番大事」なんて身も蓋もないようなことを本気で言っていると、人生、ほんとうにつまらないことになりますよ。逆なんですよ。「二つとない命を何かにかける」から、生命が高揚するわけです。それをただ命を安全に守る、というのでは本末転倒で、それでは命の輝きが鈍ってしまっても無理はないんです。(p.95-96)
 「命を賭ける」なんて聞いても、「一昔前の侍映画のセリフみたい」と思ってしまうチャンちゃんみたいなフニャフニャなパープリン野郎が少なくないだろう。命に危険の及ばない安全・安心状態が保たれている現代日本人というのは、おしなべて輝いて生きていない。ということは、魂の不感症状態。これは、確かに、かなり、ヤバイ。
 「落命してもよし」と言い切るくらいのつもりで、生き切らないならば、「人生は無きに等しい」。
   《参照》   『自分の神さま作ろうよ』 無能唱元 (日新報道)

             【安全の轍】

   《参照》   『宇宙パラレルワールドの超しくみ』 サアラ (ヒカルランド) 《中編》

             【リスクヘッジの陥穽】

 幕末に、薩長相手に大激戦をした越後長岡の河井継之助などは、「世になくてはならぬ人になるか、世にあってはならぬ人になれ」という言葉を残しています。・・・中略・・・。
 個々の人間のスケールがすごく矮小化しているために、逆に全体としての矛盾は大きくなっている。(p.101)

 津久井やまゆり園殺傷事件の犯人は、一般的は「世にあってはならぬ人」に分類されるんだろうけれど、重度の知的障碍者の“魂”の視点で言えば、「命が一番大事」など本末転倒の倒錯見解であることが分かるだろう。“魂”はむしろ次の輪廻に移行できて喜んでいる。この事件に関しては、現実界がどう対応しようと、魂の視点から見て、加害者・被害者の双方とも、生まれる前に同意していたブループリント通りであったと考えていいのではないか。
 福祉関連の利権団体は、自らの利権を守るために、「命が一番大事」などと今後も綺麗事を言い続けることだろう。これこそが真なる叡智を欠いた社会全体としての矛盾の最適例である。
    《参照》   『プレアデス星訪問記』 上平剛史 (たま出版) 《後編》

              【障害児に関する医療】

 

 

【無味乾燥な歴史教育】
甲野  今、学校で親鸞のことを習うとすれば、「浄土真宗を開いた人です」ということを教えるだけでしょう? そんなことを覚えるだけの勉強は、ナンセンスですよ。もうちょっとあの人がどれだけ人として苦しんで、そういう考えをたどってそういう境地にいたったのかということを学ぶようにすべきでしょう。・・・中略・・・。
茂木  おっしゃる通りですね。無味乾燥な事実としてのみ歴史上の人物を取り上げ、その人物が生きた生き生きとした歴史を教えていないのは、現在の歴史教育の在り方の大変な罪ですね。(p.121-122)
 チャンちゃん自身の体験で言えば、高校時代、面白い歴史の先生はいたけれど、その時聞いたエピソードで印象深く記憶に残っているものは何一つない。
 その後、大学生になってから、まさに人間親鸞を描き出していた梅原猛先生の著作が面白くて、どれも分厚い本だったけれど何冊も読んだものである。インパクト最大は『地獄の思想』だろう。
 学校教育になんて、ほぼ期待できない。醒めた公立高校の先生から学ぶくらいなら、インターネットで自主学習した方が遥かにマシである。
 面白くもない学校の歴史なんかより、日本史なら梅原猛さん、世界史なら塩野七生さんの著作に引き込まれた人々は多いに違いない。

 

 

【家康しかみ像】
茂木  どういう絵かというと、武田信玄との三方ヶ原の闘いで負けた家康が、命からがら逃げ帰ってきたときに、あまりの恐怖にうんこを漏らしちゃったときの姿が描かれているんです。うんこを漏らして、顔をしかめているところを絵師に描かせて、それを戒めとしてずっと座右に置いておいたわけです。それを知ったときに僕は、「あ、家康って、ちょっといいな」と思いましたね。(p.123-125)
 そんな絵があるとは知らなかった。こういう絵とエピソードがあったら、三方ヶ原の戦いを含めて、歴史が圧倒的に身近になるのは間違いない。

 

 

【趙州、履物を頭の上に載せ】
甲野  一番弟子の趙州に、「実は昼間こういうことがあったんだが」と南泉が言うやいなや、趙州は足に履いていた履物を頭の上に載せて、その部屋を出て行ってしまった。(p.126)
 禅のこのエピソードは、三島由紀夫の 『金閣寺』 の中に書かれていた。学生だった当時は、完全に意味不明だったが故に、一番よく覚えている場面である。
 甲野さんは、この禅のエピソードが意味することを書いているけれど、三島由紀夫がどのような文脈でどのように書いていたのか、もう一度 『金閣寺』 を読んでみたくなってしまった。

 

 

【飽きちゃうようなら・・・】
甲野  「楽しないでやっていける」ということがひとつの体力であり、その体力のもとになっているのが枯れることのない探求心じゃないでしょうか。何かの趣味をやっていたけど、飽きちゃったというのは、それがその人の根元的な所に結びついていなかったということなんだと思います。・・・中略・・・。「自分のやっていることは、自分が生きているという原点と結びついているんだ」と思える人は、絶対に飽きないじゃないですか。やることはなんでもいいですが、それが絶えず自分という存在の謎に対する問いかけであり続けるということがすごく大事なことだと思うんです。(p.141)
 自分自身の根元的な所に結びついたモノって、明白じゃない人が多いから、このように書いているんだろう。
 自己確認は、代わりにしてあげることができない。

 

 

【経時による純化・熟成】
甲野  『奥の細道』って、普通の人は、芭蕉が行った先々で書いたものだと思っていると思うんですが、あれは帰ってきてからすいぶん経ってから書いたものらしいですね。・・・中略・・・。人に伝えようとする時には、ありのままよりも、自分の中に残っている何かを発酵させて、言葉にしていくほうが伝わるということがある。・・・中略・・・それによってリアルタイムに受けた印象が純化され、心に訴えかけるものに熟成されるということがあるんじゃないでしょうか。(p.193-194)
    《参照》   『ホテルアジアの眠れない夜』 蔵前仁一 (凱風社)

              【旅のよさを実現するもの】

 旅の記録に限らず、これは全てのことについて言える。

 

 

【制約】
茂木  甲野さんが今おっしゃった「制約を受けるからこそ物語が生まれ、自由が生まれるのではないか」という仮説は、まさにわれわれ人間の存在条件を的確に言い当てていると思います。しかしその一方で、「身体という制約からいかにして自由が生み出されるのか」という問いは、とてつもなく難しく知的な問題であり、いまだ未解決ということも同時に言えるわけです。(p.154)
 二元性の世界では、制約をスプリングボードないし圧縮装置のように活用することで、物語を生み、疑似的自由を生むことはできる。しかし、身体という制約を持つ限り、どうしたって本当の自由は生み出せない。なぜなら、身体という物質形態は、二元性世界の形態だからである。そうであれば、どうしたって反対側(反作用)を伴うのだから本当の自由は得られない。仮に、自由を得たと思っても、自分という結界の外側では混乱が生じているのである。
 二元性世界の認識が消えて、“すべては一つである”という体感を得て初めて“本当の自由”が認識されるだろう。その時、認識される“本当の自由”は、二元性世界で生きている人間が思い込んでいる“自由”と同じではない。

 

 

【身体的な暗黙知に根差した文化の危機】
茂木  グーグルに象徴されるようなウェブ2.0を推進している人たちは、要素還元主義では身体性の問題を扱えないことは重々承知したうえで、それを逆手に取るように、今コンピューターで取り扱えるシンプルな情報だけで、できるところまでやってやろうという発想を推し進めたと言えます。その結果、グーグルのような巨大な存在ができてしまい、その前でみんな頭を垂れている。おそらくグーグルは現代の黒船だと思います。日本では「身体性が大事だ」ということも一つの暗黙知として知られているので、意外と納得されやすい。しかし新しい文明の前に、われわれの身体的な暗黙知に根差した文化が果たして生き残れるのかどうか。そういう意味でわれわれは瀬戸際に立っているというのが、僕の現状認識です。・・・中略・・・。
甲野  たしかに難しい問題だと思いますが、結局、技とか技術というのは情報というよりは、感覚として伝わるものですからね。その場合、伝わる相手には伝わるし、伝わらない相手には伝わらないということになると思うんですね。 (p.181-182)

茂木  お話をうかがっていると、現代の文明の趨勢に対する対抗軸というのは、やはりひとりひとりの肉体しかないんだなということが本当に実感されますね。(p.190)
 “技とか技術というのは情報というよりは、感覚として伝わるもの”であるなら、コンピュータが進化してアンドロイド化した人間の感覚としての伝授が可能になるか、脳が自然進化した人間の感覚としての伝授が可能になるかのいずれかで、結果は分れるだろう。
 前者は、いうならば機神界が目指す進化であり、後者は、自然界(日本神霊界)が目指す進化だろう。
    《参照》   『神界からの神通力』 深見東州 (たちばな出版) 《後編》

              【霊界と現界は表裏一体】

 前者は、後者の進化を阻止するために、明治以降は教育をコントロールし、今日では日本国土の周波数をコントロールすることで、YAP(-)遺伝子を持つ日本人の覚醒を阻んでいる。

 

<了>

 

  養老孟司・著の読書記録

     『マンガをもっと読みなさい』

     『日本のリアル』

     『江戸の知恵』 養老孟司・徳川恒孝

     『虫眼とアニ眼』 養老孟司・宮崎駿

     『バカなおとなにならない脳』

     『記憶がウソをつく!』 養老孟司・古館伊知郎

     『ほんとうの環境問題』 養老孟司・池田清彦

     『考えるヒト』

     『笑いの力』 河合隼雄・養老孟司・筒井康隆

     『希望のしくみ』 アルボムッレ・スマナサーラ・養老孟司

     『寄り道して考える』  森毅・養老孟司

     『生と死の解剖学』

     『運のつき』

     『オバサンとサムライ』

 

  茂木健一郎・著の読書記録

     『響きあう脳と身体』

     『心と脳に効く名言』

     『化粧する脳』

     『それでも脳はたくらむ』

     『自分の頭で考えるということ』

     『日本のクオリア』

     『脳を鍛える読書のしかた』

     『今、ここからすべての場所へ』

     『フューチャリスト宣言』 梅田望夫・茂木健一郎

     『脳を活かす生活術』

     『脳を活かす仕事術』

     『女脳』 矢内理絵子・茂木健一郎

     『脳が変わる生き方』

     『天才論』

     『涙の理由』 重松清・茂木健一郎

     『クオリア立国論』

     『人は死ぬから生きられる』 茂木健一郎・南直哉

     『ひらめきの導火線 トヨタとノーベル賞』

 

  齋藤孝・著の読書記録

     『くすぶる力』

     『段取り力』

     『キミは日本のことを、ちゃんと知っているか!』

     『家族はチームだもっと会話をしろ!』

     『読書力』

     『日本語トーク術』

     『喫茶店で2時間持たない男とはつきあうな!』

     『「頭がいい」とは、文脈力である。』

     『人生讃歌』

     『会議革命』

     『身体感覚を取り戻す』

     『気の力』

 

  高岡英夫・著の読書記録

     『「ゆる」身体・脳革命』

     『からだには希望がある』

     『意識のかたち』

 

  内田樹

     『日本辺境論』

     『下流志向』

     『大人のいない国』