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 日本と日本人の活性化を希求する内容の記述に満ちている。
 クオリアについては、『人は死ぬから生きられる』  茂木健一郎・南直哉 の中に書いてあるけれど、“脳が感じる質感のことである” 

 

 

【記号的消費からクオリア消費の時代へ】
 ここ数年東京において、高級ホテルが次々にオープンしている。バブル経済の頃とは利用者の様子が違ってきているという。
 つまり、人に見せびらかすために、あるいは自己顕示欲のために泊まるのではなく、上質の経験をするために利用する。そういう人たちが圧倒的に増えていることを感じます。つまり、大きな流れとして、記号的消費の時代からクオリア消費の時代へと移り変わっているのです。(p.34)
 “感性の時代へ” とか “女性の時代へ” と言われる時代推移の方向性を、著者は “クオリア” という用語で捉えている。
 この様なクオリア消費の傾向は、既に多くの日本人が往来している海外市場でも起こっている。
   《参照》   『 NAKATA MODE 』 高橋英子・宇都宮基子  小学館

              【文化の流れ】

 

 

【味覚における繊細さ:日本人とフランス人】
 「すきやばし次郎」 という寿司屋の名店に、ジョエル・ロブションという名高いフランス料理のシェフがときどきやってくると、二郎さんは喜ぶのだという。ジョエルさんは、二郎さんがその日一番自信のあるネタを必ずおかわりするからなのだという。
 アメリカやイギリスの食文化に関する鈍感さは、多くの人々が語ってもいるし記述されてもいる。
   《参照》   『伝統の逆襲』  奥山清行  祥伝社  《後編》

           【「ミリ」がわからず、「美味しい」がわからないアメリカ人】

   《参照》   『ボストンで暮らして』 久野揚子 大和書房

           【ボストンの料理は “日光の手前” 】

 日本人のもつ感性とフランス人の感性には似ているとことがあると前述しましたが、実は決定的に違う部分があるのです。それはその感性の素晴らしさを堂々と語れるか否か。フランス人は自分たちの文化に対して、もう傲慢なほどに自信を持っています。 「世界中で俺たちの文化が一番だ」 という自信。そしてそれを自らの言葉で世界中に発信している。一方の日本人は、自らが発信することが苦手です。シャイな性格なのか、はたまた黙っていることに美学を見いだしているのか、ともかく国際的にみればどうも発信する力が弱いのです。(p.56)
 クオリア立国で大切なことは、世界基準という実態のないものに惑わされずに、日本本位の良さをアピールすることです。(p.59)
 文化に世界標準などと言うものはありえようもない。 “日本固有の良さをいかに語るか” がポイントである。ところが、量的・論理的な欧米各国の言語に比べたら、明らかに質的・感覚的な日本語は、世界に向けて説明責任を果たしづらいと考えている。
   《参照》  日本文化講座⑩ 【 日本語の特性 】 <後編>

 しかし、欧米各国の言葉といっても当然のごとく違いはあって、論理的なドイツ語、実用的な英米語、音楽的なイタリア語、詩的なフランス語とそれぞれに特徴を表現することができるのではないだろうか。ならば、その中で最も感覚的といってもいい詩的なフランス語を話すフランス人が、世界に向けて自国の文化を語っているのならば、日本人だって、それが無理と決めつけることはよくない。

 そもそも、日本人とフランス人に味覚における繊細さを解する共通点があるということは、日本語とフランス語には、繊細な領域を表現しうる言語であるという共通点もあるのではなかろうか。

 

 

【イギリスの桂冠詩人と日本の勅撰和歌集】
 桂冠詩人というのは、その時代を代表する詩人を国が指定して、その詩人に国の大事なことを詠んでもらうというものです。(p.84)
 しかし日本の思想はそうではない。 『古今集』 の序において、紀貫之が 「やまと歌は、人の心を種として」 と言っているように、俳句でも和歌でも、すべての歌は民衆の心のなかにある。一人の天才を生み出すことをせず、すべての日本人の創造性を認めていく。この思想はほんとうに素晴らしいものです。(p.85)
 天皇の命によって編纂された 『古今集』 などの勅撰和歌集には、天皇から庶民まで全ての人々の中から集められた優れた歌が編纂されている。このような日本文化の特徴を渡部昇一先生は “和歌のまえに平等” と表現していた。
  《参照》  日本文化講座 ⑤ 【 言霊・天皇 】
            【和歌の前に平等】

 このような勅撰和歌集を評価するのに、支配・被支配とか階級とかの差別の否定という社会制度的理解を超えて、 “日本人の創造性の仕組み“ として捉えた著者の視点は素晴らしい。

 

 

【衆知を集めて独創性を生み出していく日本人】
 かつて 「日本人は創造性に欠ける」 とよく言われてきました。そかしそれはまったくの間違いです。日本人はたった一人の人間に創造を託すのではなく、衆知を集めて独創性を生み出していく。(p.85)
 これに関するビジネス環境下での具体例は、下記の書籍に詳細に記述さている。
   《参照》   『ひらめきの導火線 トヨタとノーベル賞』  茂木健一郎  PHP新書

              【「ひらめきは個人に宿る」 は 「フィクション」 である】

 

 

【自働化】
 自動車工場などの生産ラインの停止ボタンを押す権限について、欧米では生産量をコントロールする管理権として経営者だけがその権限を有する。つまり労働者は機械扱いなのである。これでは責任感も維持できないどころか、人間としてのプライドすら持てないことだろう。
 トヨタが目指しているのは 「人偏のついた自動化」。つまりは 「自働化」、言うなれば人間回帰ということになるでしょう。日本人の 「ものづくり」 の本質はそこにあるわけです。(p.101)
   《参照》   『日本化するアメリカ』  ボーイ・デ・メンテ  中経出版

              【日本の自動車メーカーが与えたインパクト】

 著者が言う “日本人の 「ものづくり」 の本質” とは、 “働く者の自ずからなる意欲の喚起“ といえるだろう。それは、 ”脳を活性化させる仕組み“ なのである。
    《参照》   『ソニーな女たち』 多賀幹子 (柏書房)

              【アメリカの職場】

 

 

【脳を活性化させる仕組み】
 こうした日本人の 「ものづくり」 への姿勢こそが、脳を活性化させる源になる。人間の脳というのは、本気にならなければその能力を発揮しません。「私はこの仕事で自己実現するんだ」 「私はこの仕事に一生を懸けるんだ」。本気でそう思ったとき、脳は素晴らしい働きを始める。 「仕事なんて金を稼ぐためのものだ」 「俺には仕事以外に趣味があるから、仕事は適当にやっていればいいんだ」。そう思った瞬間に、脳は創造することを止めてしまう。どちらをとるかは自分次第です。でも、せっかく私たちは脳という素晴らしい臓器を有しているのですから、最大限に使わなければ損だと思うのですが。(p.105)
 ほんと、そう思う。
 脳が鋭敏に機能している時と、そうでない時って、人生の輝きが全然違う。例えば、恋愛中はおそらく誰でも世界がピッカピカに輝いている。脳がキャッピキャピに活動している証拠。ならば、人生を懸けるものに恋愛を投影しちゃえばいい。
 世界を相手にしているビジネスマンたちは、いつだって日本を愛している。自分の会社の発展のみならず、日本が発展してほしいと思っているし、日本文化を伝えたいし守りたいと思っている。地方でポヨヨ~ンと生きている日本人には、もっと日本に恋してよ、と思う。