《前編》 より

 

 

【霊能者であれば誰でも出来るわけではない】
 霊視だけシャープにできる霊能者たちが、必ずといっていいほどごまかされてしまうのが、井戸の障りの水蛇や水龍神、木霊の障りの木蛇や木龍神、神社の霊泉や湖、海に生息する各種の人霊以外の神罰系統に属する蛇や龍神などである。
 これらは一般に、仏教系・キリスト教系の霊能者では、完全に救霊できず歯が立たない。また神道系でも、霊視だけで審神(さにわ)をする霊能者では処理できない。神道の奥義に達し、同時に至心の誠に徹しつつ、霊妙華麗にして神力を備える天津言霊法を自由自在に駆使できねば、完全に救霊することは難しいのである。(p.148)
 この書き出し付近の記述を読んでおけば、一般人でも自分が係っている霊能者のレベルが、どの程度なのかソコソコ分かるだろう。

 

 

【ヨガ霊界】
 健康法のひとつとしてヨガを取り入れる程度なら、何ら問題はない。ところが、超能力開発のためにヨガの修行をするという段階になると、きわめて危険であるといわざるを得ない。
 というのは、ヨガの霊界と霊能をつかさどっているのが、ほとんど蛇だからである。インド系の金蛇、銀蛇をはじめ、各種の蛇。これがヨガ霊界の主宰神であって、ヨガ行者にいろいろな霊能を与えているのである。・・・中略・・・。ほとんどの行者が、インド系の蛇にとり憑かれてしまう。慈善と世を想う熱烈な愛念と、人格神としての神仏に対する心的交流が欠如しているからである。つまり、霊妙な感性である「御魂」の部分が欠如するのである。
 この蛇は、必ずしも邪神界の蛇とはいえないが、人間の御魂の成長と死んだ後のことを考えると、ヨガ霊界に入るのはあまり感心できない。否、危険であるといわざるを得ない。人格神との心の交流なくしては、死後、人格のある高い霊的存在たりうることは難しいからである。(p.153)
 生きている間は至極便利そうなヨガの霊能も、一歩方向を誤ればさまざまな危険をはらんでいるのである。(p.157)
 ちょっとした霊能力を見せられただけで、「凄い」と思ってしまう人々はいっぱいいるけれど、その霊能者や宗教団体に霊能を与えている元が分かったら、殆どドン引きするのである。

 

 

【日本の正神界】
 どうしても霊能力を得たいのなら、天照大御神を中心とする日本の正神界から流れ出る霊流をバックにすべきであろう。日本の正神界では、あまり不自然を好まない。あくまでもありのままの自然を尊ぶ。霊心肉がバランスよく発達し、心身共に澄みきって、至誠と愛念によって神人合一することを望まれるのである。(p.157)
 霊能力に興味を抱いている人に、あえてこの書をもって訴えたい。心の教養と人の道、それから正しい神霊学問を会得せずして霊能力を身につけることは、きわめて危険なことなのである。(p.169)
 チャンちゃんは学生時代、密教に興味を持って京都に通っていたけれど、念力行者系の先達たちの有り様やら末路を見て、こんなにヤバイ世界は、とてもじゃないけど、「いいですぅ・・・」という感じだった。
 当時、先達の皆さんは、深見先生のこの本を読んでいたけれど、“心の教養と人の道、それから正しい神霊学問”というのは、発する動機が違っている人には、そうそう簡単に身につくものではないから、無残な結果にしかならなかったのである。
 くり返すが、その動機が自己顕示欲、所有欲、功名心から発していれば、必ず死後、行者動物霊となってしまうのである。
 霊能力を会得しようとする前に考えていただきたい。どれだけ人や世に対する愛念があるのか。どれだけ人としての誠の道を踏まえて生きようとしているのか。(p.169)

 

 

【プレイボーイの末路】
 プレイボーイを気取って、女性遍歴を重ねることが男の勲章でもあるかのように考えている人が多いが、とんでもない考え違いである。
 そんなことをしていては、相手の女性を傷つけるばかりでなく、自分自身の御魂をも傷つけてしまうのである。
 そのことを、世の中の人はあまりにも知らなさすぎる。悲しむべきことである。(p.186)
 この書き出しは、「生霊の実体」という章にある、“中間まとめ”のような記述だけれど、気になる人は「生霊の実体」の章全体をきちんと読むべき。ブレイボーイさんは、きっと、縮み上がりますよ。
 下記リンクに「頭が回らなくなった男性」のことが書かれているけれど、生霊を受けすぎるとそうなります。
  《参照》   『いい女は、セックスしない』 石崎正浩  なあぷる
             【セックスの落とし穴】
  《参照》   『ガイアの法則[Ⅱ]』 千賀一生 (ヒカルランド) 《後編》
             【天性と霊性を損なう乱脈なセックス】

 

 

【霊界と現界は表裏一体】
 ここまで、霊界のことについてさまざまに述べてきたが、これらは私一人で解明したわけではない。最初に述べたように、その根本となるところは、わが師・植松愛子先生が示唆してくださったのである。植松先生はこう語られた。「霊界と現界は表裏一体であり、神界はまったく別の世界にある。そして、現界にあることはすべて霊界にあり、霊界にあることはすべて現界にある。霊界は、苦しみも楽しみも、すべてこの世と同じ仕組みになっているのよ」
 この言葉をヒントに私は研究を深めたのだが、まさに先生のおっしゃるとおり。簡単な言葉に含まれる真理に、改めて驚嘆させられた次第である。先生のおっしゃった内容は、いまだかつて誰も解けなかったことである。
 最後に申し上げるが、宇宙は刻一刻広がりつつあり、また人間社会や文明も刻一刻進歩していることはご存じのことと思う。しかし、霊界もまた刻一刻広がりつつあり新しい霊界がドンドン形成されていることは余り知られていない。(p.224)
 ここ数十年の間の現界(現実の世界)だけを見ても、大きく変わって来ていることは誰でも分かる。“霊界と現界は表裏一体”ということは、霊界も現界の変化に連れて大きく変わりつつあるということ。
 これがいい方向だけの変化であるならいけれど、必ずしもそうではない。霊界はイメージの世界だから、現実界の人間がIT機器の発達によって先導されているヴァーチャル(仮想現実)な世界に囚われれば、死後、そのヴァーチャルな世界に入ってしまう。この点を捉えて小説にしていたのが、鈴木光司の『ループ』。
    《参照》   『ついに、愛の宇宙方程式が解けました』 保江邦夫 (徳間書店) 《後編》
              【+α:ネットの仮想空間に気持ちを向けない】

 せっかく最奥極微神界の波動が降りている日本に生まれ、高貴な正神界に籍を置きながら、そこから離れてループ界(機神界)に入ってしまうのは、御魂とすれば最悪である。

 

 

【こんなはずじゃない】
 かつて、まぶたが閉じてしまう奇病を患っている方が私のところに見えたことがあった。霊視してみると、
「こんなはずじゃない。こんなはずじゃない」
 と、まっ暗闇の中でさまよっているおばあさんの姿が見えた。このお婆さん、生前は天理教の熱心な信徒であった。天理教といえば“ひのきしん”といって、体施、物施、法施を徹底する宗教である。このお婆さんもご多分にもれず、人一倍“ひのきしん”を実践していた。だから当然、死んだら極楽浄土に行けると思っていた。ところが、行った先はまっ暗闇、そこで、
「こんなはずじゃない。こんなはずじゃない」
 と言っていたのだが、このお婆さんは、この世でもあの世でもよく暮らしたいという心、つまり過度の“自分が救われたい”という欲望の想念で体施、物施、法施を行っていたのである。
 霊界とは本来神が裁くものではない、自分が自分を裁くのである。つまり、自分の想念に相応した霊界へ行くのである。“われよし”の心はまっ暗である。だから、お婆さんはまっ暗な霊界に行ってしまったのである。(p.234)
 “われよし”の心で行われるのであるなら、体施、物施、法施もこんな結末である。
 「自分の」「自分の家族の」、何でもかんでも「自分の○○」で始まる“われよし”の御利益希求を基とした信仰って、どれほどのものであるのか、このお婆さんの話からよく分かる。
 “われよし”だと全体が良くならない。
 その思いは“人や世に対する愛念”に重ならない。補集合である。

 

 

【娑婆即浄土の人】
 娑婆即浄土にしようと思ったら、まず慈悲の心、あたたかい愛の心を持つこと。次に明るい心を持つこと。三つめは、物事に対する執着心をなくし、さっぱり軽やかで重みのない心になること。この三つの心が重要である。この三つの心を体得しなければ、決して極楽浄土に行くことはできない。逆にいえば、これさえ体得していれば、誰でも必ず極楽浄土へ行けるということである。
 修行をするにしても何をするにしても、明るく前向きに取り組む心、世の中がよくなってほしいという慈悲の心、きっとよくなるだろうというプラスの想念を持ち、執着心を捨てれば、娑婆即浄土とすることができる。このように、娑婆即浄土の人となって初めて悪因縁が切れ、因果が晴れるのである。つまり、悪因縁とは霊障も含めた本人の性格と性質に住んでいるからである。そして、このような心の状態を保ち続けるならば、守護神、守護霊がどんどん後押ししてくださるようになる。

  心だに誠の道にかないなば
    祈らずとても神や護らむ  菅原道真 

 心が誠の道と、神明の加護に値する姿勢をもって、娑婆即浄土にかなっていれば、神様はお祈りしなくても助けてくれる、という歌である。これが神人合一の極意なのである。 (p.240-241)
 「この世(娑婆)を天国(浄土)にしよう」と思って「三つの心」を守って生きている人は、「神人合一」の道を歩んでいる。
    《参照》   『大天運』 深見東州 (たちばな出版) 《後編》
              【神人合一】

 

 

【守護霊の役割】
 先祖霊のなかでも特に格の高い霊が、私たち一人ひとりに密着して守護しているわけで、守護霊はいわば、私たちの個人教授といえよう。・・・中略・・・。
 しかし、守護霊は何でもかんでも教えるわけではない。人として努力する方向を、必要最小限だけ教えるのである。・・・中略・・・。
 あまり教えすぎると、人間は努力しなくなってしまう。教育者としての守護霊の最大の眼目は、人間として正しい道を歩ませること、努力することにある。それゆえ、あまり口をはさまないのである。
 いろいろなことを囁き、さまざまなことを見せてくれる霊が憑いているようだったら、疑ってかかるべきである。(p.259-260)
 守護霊との交流の仕方は、深見先生の他の著作の中のあちらこちらに書かれている。

 

 

<了>

 
   《参照》  深見東州・著の読書記録