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 良書である。男女を問わず、セックスやオナニーをしたくてたまらない人々に読んで欲しい本である。

 

 

【セックスの落とし穴】
 セックスは快楽があるため、とてもいいことのように感じるが、その後の感覚をよく観察すると、思考も十分ではないし、集中力なども落ちてしまう。眠気も生じる。東洋的な思想では、セックスで放出される精液などは性エネルギー、あるいは生命エネルギーの宝庫とされている。だから、タオイズムに含まれる仙道の「房中術」は、厳密には「接して漏らさず」を基本としている。
【房中術】
 仙道で使われる主に男性のための養生術。セックスをすることにより女性から「陰の気」を吸収し、自分の「陽の気」を練り合わせて、心身を強固にする。因みに女性は気を吸われるので長く付き合うと気が抜かれて虚弱になってしまう。 (p.75)
 若いうちは精気を漏らしても比較的回復は早いが、高齢になってからセックスに耽っていたら、女性は間違いなく腑抜けになる。集中力がなくなり急速に記憶力が衰え、アルツハイマーに近い状態になってしまうだろう。
 高齢でなくとも、過剰に耽れば以下のようになる。
 私には、しすぎることによって活力がなくなり、まるで別人のようになってしまった不幸な友人が数人いる。その中の一人は、なかなか優秀で女性によくもてた。ところが、もてることをいいことにたくさんの女性と付き合った結果、まさに別人のようになってしまった。頭が回らない、以前の活動的な姿もない、かっこよさもみじんも見られなくなってしまった。「後悔してもしきれない」と彼は言っている。私は、人をそこまで変えるセックスに価値はあるのか?と考えざるをえない。 (p.90)
 著者は40歳なので、友人というのは、その世代の働き盛りであるはずの同世代なのであろう。高度なハイテク時代の最先端ビジネス環境では、頭が回らないと、本当に使い物にならなくなってしまう。ビジネスマンだけではない。スポーツマンであっても同様である。頭の回らない集中力なき一流選手などいるはずはないのだから。
 近年、20代でも、あきれるほど頭の回らない若者に出会うことが結構ある。メディアのセックス情報を鵜呑みにして、10代の頃からセックスに耽りすぎた者たちなのであろう。そう書くのは、セックスは脳を破壊する、という以下の記述が根拠である。


【セックスでバカになるって本当だった】
 さて、性ホルモンに関して、興味深いデータがある。性ホルモンの影響を調べる実験で、ごく若いネズミに性ホルモンが与えられた。その結果、なんと、ネズミの脳の発育が止まってしまったのである。・・(中略)・・知能が発達しないということだ。バカになるといってもいい。 
 若い脳は発育途中でまだ安定していない。そこに性ホルモンの強力な影響があると多大なダメージを受けてしまうのである。
 現代社会では、青少年にも性的な情報が多量に与えられている。性は低年齢化してきているし、オナニーなどは小学生の雑誌にはもう当たり前のように出てきている。これらの情報によって過剰に刺激され、性ホルモンが分泌された場合、脳に重大な影響が出る可能性は否めない。 (p.46)
 エクスタシーを感じているときの脳波は、1ミリボルトもの電位を生じるのである。通常の脳波の数十倍から100倍近くの強さになる。この電位の振幅は脳波計を振り切るほどの大きさなのだ。
 このような大津波は、脳に対して大きなショックを与える。簡単にいえば、脳細胞を破壊してしまうのである。・・(中略)・・。先ほどの脳の発育が止まるのと同じで、一言でいえばバカになるのである。
 昔はよく「セックスのしすぎはバカになる」などといわれたが、実はこれもあながち迷信とはいえないのである。あなたはバカになってまでセックスしたいと思うであろうか。 (p.50)
 著者の肩書きはサイエンスライターとあるけれど、まっとうな見識のある方のようだ。なのに、大手出版社からは出版されていない。なあぷるなどという聞いたことのない出版社である。
 「セックスで美しくなる」とかそれに類する見出しの中刷り雑誌広告を良く見かけるけれど、そういった見出しが売上を伸ばすからである。性は商品化されている。そのような記事を雑誌に編集している大手出版社が、著者のような書物を扱うことなど、決してないのである。
 大手メディアの使命は、若者達を馬鹿者達に仕立て上げることにあるのである。罪深いことである。

 

 

【人間を人間たらしめるもの】
 人間の脳は、古皮質脳、旧皮質脳、新皮質脳の3層に分かれている。性欲(セックス)、食欲、睡眠欲といった全生物共通の働きは、古皮質脳が司っている。人間と他の生物を分かつのは、大きな新皮質脳の存在である。その新皮質脳の中でも前頭連合野といわれる部分は、高度な精神活動を司る部位として知られている。この部位に発達している神経を専門家はA10神経と呼んでいるのであるが、この神経にだけは、オーバーヒートを防ぐオート・レセプター(自動制御受容器)という機能がないのである。
 前頭連合野が司るのは、高度な精神活動といわれているので、より高次な精神活動による快楽に関しては際限がないといえるのである。逆に言えば、ほかの快楽に関しては際限があるということができる。いや際限があるだけではない。刺激を多く繰り返すと快楽物質に対する感受性が低くなるので、快楽そのものが低下してしまうのだ。つまり肉体的な快楽といった低次な喜びは先が見えているのに対して、精神的な快楽は無限の可能性があるのだ。 (p.196)
 渡部淳一の小説の先には何もないとことを、以前ブログの中で書いたけれど、それは、この本の著者が書いている脳の構造を私も知っていたからだ。おそらくこの著者も、脳について精緻に記述されていた某著者の 「密教三部作」 を読んでいるのだろう。
 人間は高次な精神活動に生きてこそ、真に社会に貢献できるのである。生殖目的以外のセックスはエゴの欲求である。エゴの欲求は社会に資するいかなるものをも生み出さない。それを知っていながら繰り返すというのであるならば、もはやエロスではなくタナトスに支配された精神なき動物である。
 
 過剰なセックス情報に振り回されて、高度情報化社会を生き残るのに必要な冴えた頭脳どころか、使い物にならない頭の悪さを獲得してしまう前に、若者達はこの書籍を読んでみてはどうだろうか。私がここに書き出した以外にも、重要な指摘がいくつも記述されている。

 

 

 
<了>