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 興味深い個所だけ、個別に書きだそうと思ったのに、結果的には 既掲載の齋藤孝さんの読書記録に紐付くような個所が殆どになってしまった。

 

 

【たけしファン】
古館 : たけしさんのファンだという、浅草で飲んでいるおやじさんに、「何でたけしさんのファンなんですか?」 って聞いたら、「だってよ、お前みたいにちょっと小難しいことを気取って言わないからよお」 「ああ僕、気取りがありますよね」 って話しているうちに、最後になんて言ったかというと 「要はよ、たけしっていうのはよ、俺と似てんだよ」。 (p.44)
 浅草で飲んでいるおやじさんのように、年齢的にたけしさんに近くなくても、たけしさんが好きな人々は多いはずである。それは、人間に内在する多面性を覆い隠さず、そのまま、つまり “心が欲するがままのスッピン状態“ で出演しているからなのだろう。
 スター(星)やアイドル(偶像)が、遠くの宇宙や聖空間にあるのとは真逆に、地に落ちた人間的なたけしさんだからいいのである。たけしさんもきっと “日本” を心の中に抱いている人である。
   《参照》   『俺の彼』  島田洋七  徳間書店

              【愚問】

 

 

【日本語はスポーツである】
齋藤 : 実はあの 『声に出して読みたい日本語』 という本は、もともとは、 『日本語暗誦テキスト』 というタイトルだったんです。「技」 というのは無意識に出なければならないので、暗誦することで技の基本を作る。 ・・・(中略)・・・ 。
古館 : あの本がずいぶん売れて反響が出てきたころ、先生の雑誌の 『AERA』 で、武道の話をされていた中に、「日本語はスポーツである」 っていう話があって、なるほどなあって思ったことがあるんです。
 それは、日本語を暗誦していくと、頭だけでなく身体にしみついていき、その結果、スポーツと同じように、考えなくても即座に 「技」 が出てくるようになるということを知って、本当にそうだなあって思って、より興味を持ったんです。(p.46-47)
 好きで小説をたくさん読んでいるような人々は、自分も書いてみたいと思う時があるはずである。意図せずとも表現する様々な 「技」 が溜まるからである。それはたくさん食べたから出てしまう生理と何ら違いはない。入力過少の段階では、自ずからなる創造という出力を生じない。
 小説に限らず、本を読まない人々の 「技」 はたかが知れている。彼らの単調な 「技」 から繰り出される創造性にさしたる期待はできない。

 

 

【股関節と肩甲骨】
古館 : 股関節と声に出すこと、股関節と言語って言うのは、関係があるんじゃないですか。先生も 「齋藤メソッド」 でこうやって股関節を開く運動に行くじゃないですか。
齋藤 : そう、股関節に行きますね。股関節はかなり重要だと思っているんです。股関節が今の若い子は圧倒的に硬くなっているんですね。それと、股関節と同時に肩甲骨かなと思う。その二つが硬いと、全体的に身体が外に開かなくなるんですよ。どうしても閉じる感じになる。イチローが準備運動でやっているような相撲の肩入れやシコをやると、股関節と肩甲骨が柔らかくなるんです。そうすると、息が深くなって、声に外へ向かう張りが出てきます。(p.50)
   《参照》   『運のつき』  養老孟司  マガジンハウス

            【脳の訓練の半分は、体を動かす訓練】

 股関節や肩甲骨を中心に、身体が硬くなると、頭のよさが発揮できないのみならず、人間が生来持っている超能力すら失われるのである。
   《参照》   『からだには希望がある』 高岡英夫 (総合法令) 

             【ゆるめる】

 

 

【糖分は頭の燃料】
古館 : 先生は甘いものが好きだそうですが、先生みたいな学者さんの頭の使い方って、普通とちょっと違うと思いますよ。僕が大好きな養老孟司先生も、対談でしゃべっているときはやたらと甘い物を食うんですよ。 ・・・(中略)・・・ 。
齋藤 :  ・・・(中略)・・・ 今も、出してもらったシュクリームを、スタッフの分まで食べちゃったし。
古館 : だから、学者さんってすごいな、フル回転してるなと思う。(p.62)
 頭を使うということは、ダイエットにいいはずである。本も読まず何も考えず甘いものばかり食べていたら、そりゃあ太ることだろう。頭脳労働者の中にデブが少ないのは一般則である。
 アメリカ企業では、デブはその姿かたゆえに、そして、それに連動する心理性格ゆえに、上級職に昇進できない定めになっている。