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 『意識のかたち』 に書かれていたことのポイントが、分かりやすくまとめられている。後半は実践的なノウハウが記述されている。

 

 

【ゆるめる】
 建物のあらゆるパーツを微動だにしないようにつぎ合せていく剛構造に対し、三重の塔や五重の塔などに見られる、各パーツをゆるゆるに連結する構造を柔構造と呼び、これをヒントに近代建築の柔構造工法がうまれたというのです。(p.14)
 薬師寺の塔には、釘など一切使用されておらず、全体の大きさに比べると驚くほど小さな礎石に、ちょっとした穴が掘ってあって、そこに長い柱が一本ポコッと乗っているだけである。地震や風に対しては揺れながらその衝撃を吸収しつつ千数百年間倒壊することなく保たれてきた。
 人間の場合も、塔の柔構造と同じような “ゆるゆる” の体をしている人はちょっと違う。
 赤ちゃんがものすごく柔らかい身体をしているのは皆さんご存知ですよね。その赤ちゃんがたっちをして、手を離して歩けるようになると実は身体は固まり始めるのです。 ・・・(中略)・・・ 。
 でも、世の中には身体が普通の人のように固まらなかった人たち、年齢の割に身体はゆるんだまま育つことができた人たちがいます。誰かというと、野球であればイチロー、 ・・・(中略)・・・ 、ゴルフならタイガー・ウッズ、 ・・・(中略)・・・ 。そういう人はスポーツに限らず、あらゆる分野にいます。会社の経営でも優秀な経営者は、そうでない人に比べると必ず身体が緩んでいます。(p.241)
 ということで、この書籍は、 “ゆるゆるの体“ をつくる目的で記述されている。
 ゆるゆるの体であれれば、身体意識に秀でるようになり、あらゆる分野で極意を身につけたセンスのいい人にもなれるし、外宇宙の星の波動でさえも地上に降ろせる究極のメサイアにもなれることだろう。
 私の知っている範囲で、このような “ゆるゆるの体” を持っている人に、菱研の 深見東州 所長がいる。福祉ゴルフを主催しながら、「体が柔らかすぎて、なかなかゴルフが上達しない」 と言っていたのを聞いたことがある。スポーツ以外では、直ぐに極意を掴んでしまうからなのだろう、洋の東西を問わずいろんな芸術を会得して実践している ウルトラ傑出したシャーマンさんでもある。
 体が “ゆるゆる” だから、心も “ゆるゆる” になるのだろう。 「恕(ゆる)す」 ことの重要性をしたためた深見所長の “書” が、大英帝国博物館に展示されてもいる。
   《参照》   『テンダー・ラブ』  日野原重明  ユーリーグ
              【愛の陰には恕しがあってこそ】

 

 

【極意とは極まった意識である】
 呼吸法では、しばしば下腹部にある “丹田” で呼吸するという表現がなされるけれど、 “丹田” の肉体内の位置は不明である。野球の場合も “腰で打つ” と言われる場合があるけれど、その “腰” は肉体の腰ではない。
 極意とは身体の各部分に存在する意識ではないか。下丹田にせよ 「腰」 にせよ、身体の中に存在する格別に優れた能力や心境を提供してくれる意識の中心があり、それらが極意である、という考えに行きついたのです。(p.71)

 

 

【中丹田】
 ラーメン屋の中には、お客さんの好みに合わせて、100通りくらい茹で加減を調節しているという “茹で名人” がいます。 ・・・(中略)・・・ 。
 そのようなことができるのは、胸に非常に強い身体意識が形成されているからです。西洋ではこの場所に 「ハートがある」 といいますが、東洋ではここには中丹田と呼ばれるものがあり、これが熱い情熱、思いやり、深い愛情をもたらすと言い伝えられてきました。
 この意識があれば、ラーメン屋でも蕎麦屋でも、お客さんの好みを見極め、お客さんに喜んでもらえるものを提供したくなるのです。(p.78)
 中丹田、ハートと言われる部分は、おそらく胸にある愛情のチャクラと言われている、アナハタ・チャクラのことなのであろう。この部分が覚醒している人は、自ずからきめ細やかなサービスができ、そもそも愛情のチャクラなので、同じ材料、同じ調理法を用いながら、料理の味は自然とよくなってしまうのである。
 ミシュランの三つ星を目指すなら、中丹田の身体意識が発達していさえすれば、サービスも味も一線を越えられるはずである。
 スポーツ、芸術、料理の世界などでいわれるセンスとは、実は身体意識のことなのです。(p.80)

 

 

【星と身体意識】
 天の気は、身体意識の届いている位置によってその質が変わってきます。その位置が低ければ低いほど気の質は低く、高ければ高いほど気の質は高くなります。たとえていうと、天の川には質の高い清浄な気があふれている。だからそこまで身体意識が届くと、その空間に存在し、ひしめいている気が、まさに身体意識をパイプとして下りてくるのです。(p.147-148)
 一般的には、雲、星、宇宙の果て、さらにその外と遠くなるにしたがって、気の質が純粋かつ神聖になってきます。(p.232)
 古代人たちが星に関する神話を残しているのは、星にまで届く身体意識を持っていたからなのだろう。現代人の多くは、体が硬くなり身体意識が鈍ってしまっているけれど、外宇宙の星々ですら身体意識の中に取り込んで自在に操ることのできる人々が日本には何人かいる。

 

 

【身体意識と視覚意識】
 ここで 「本当」 にイメージするということいがキーワードになります。 ・・・(中略)・・・ 。たとえば灼熱の太陽に照らされて、自分一人砂漠に放り出されている状況をイメージしましょう。この時に、のどがからからになった感じがして、苦しい、寝ているのがつらい、という人はイメージの仕方が上手な人です。このようなイメージの仕方を、私は 「身体意識」 でイメージすると称しています。それに対して映画のワンシーンをただ思い浮かべるようなイメージの仕方は 「視覚意識」 でイメージすると言います。
 もし、皆さんが星を 「身体意識」 でイメージすることができれば、あの清涼かつ荘厳な気持ちよさに必ず浸ることができるはずです。その時には、星からの “気” が自分の身体に降り注いでいると考えて良いわけです。(p.232-233)
 
 

  高岡英夫・著の読書記録

     『「ゆる」身体・脳革命』

     『からだには希望がある』

     『意識のかたち』

 

<了>