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 イタリアに関する歴史エッセイストとして有名な著者さんによる、若者向け生き方論。若者が読めば本当に参考になるだろう。2010年10月初版。

 

【シェンツァ】
 “外国語は道具として勉強する方がいい”という小見出しの章の中に書かれていること。
 ヨーロッパには、ルネッサンス時代に興った「シェンツァ」という考え方があります。これは英語でいうサイエンスと同じです。
 このサイエンスとはどういうことかというと、まず観察し、そして、それを自分の頭で考え、そして他者に伝えることなんです。他者に伝えるところまでしないとサイエンスにはならない。(p.20)
 サイエンスは、「観察する」、「考える」、「伝える」の3つが揃わないと成り立たないといっている。
 「シェンツァ」の国、イタリアでは、観察することがとても重要視されているらしい。                 【観察するイタリア人】
 
【「伝える」に関して】
 第三者に伝える時には、やはりきちんとした日本語を使って、きちんと論理的に話を進めていくことが必要です。日本語は私たちの母国語ですね、これを正しく使えなければいけません。
 なぜかと言いますと、これはよく息子に言ったことなのですが、どんなに外国語を勉強しても、その水準が母国語の程度から上にはいかないんです。だから母国語をきちんと身につけておかなければいけない。(p.21)
 「早期英語教育云々言う前に、日本人は日本語力を鍛えることが先である」という当たり前のことは、外国語能力が高い方々が共通して言っていることである。                 【外国語は母語以上のレベルにはならない】
                【英語を学ぶのではなく、英語で何かを学びなさい】
                【小学生に英語を教えてはいけない】
 地方(痴呆)行政レベルで早期英語教育を推進している人々というのは、自分ではそもそも本などロクに読まず、貧弱な日本語能力しかないところへもってきて、ジャパン・ハンドラーズからの(日本を支配下に置き続けるための)命令を聞き取る英語力さえあればいいという、日本文化破壊を兼ねた目的に盲従しているだけの、極めてオツムの軽い人々なのである。
 オツムが軽いということは「徳がない」からであり、日本文化における人生教育の基礎は「徳を養う」ことにあるのである。ゆえに、日本語と日本文化に関する見識がない不徳な人間ほど、日本語教育を軽んじ英語教育に偏向するという見解を持つのである。

 

 

【アルテとルネッサンス】
 イタリア語にアルテという言葉があります。これは芸術と訳されることもありますが、アルティザンというと職人のことで、イタリア語でアルティジャーノと言うのですけれど、アルテはその元の言葉で、本来は専門の技術ということです。
 おそらく、職人がひとつひとつの専門を持っていたということからきたのでしょう。
 ところが、ルネッサンス時代は、専門の技術だけではだめだったんです。
 当時、フィレンツェでとくに盛んだったのが工房でした。ミケランジェロもそこで修行しているし、レオナルド・ダ・ヴィンチも工房の出身です。
 だけど、その工房では、ひとつだけを専門にやっていたのではだめなんです。そういう人は助手の助手の助手ぐらいの地位に甘んじるしかなかった。彫刻家であっても、画家などの仕事に通じていることが要求されたんです。
 というもの、彫刻家でも、画家的な視点で人間を見れば、また別な見方ができると考えていた訳です。それが、いわゆるルネッサンス人なんです。(p.45-46)
 複数のアルテ(専門技術)能力を持つ人々こそが、ルネッサンスを成し得るという考え方は、欧米の教育の在り方として、専門科目以外の単位修得を必須と定める制度として継承されているし、今日では、技術革新(イノベーション)にとって専門技術の複数の組み合わせは必須要件であると当たり前に認識されている。
    《参照》   『スタンフォードの未来を創造する授業』 清川忠康 (総合法令) 《前編》
               【“異質な”者同士が集ってこそ生まれるイノベーション】

 ことろで“工房”という単語が出ているので、ピニンファリーナというカロッツェリア(自動車のデザイン工房)で、フェラーリのチーフデザイナーを担当していた奥山清行さんの著作をリンクしておきます。
   《参照》  『フェラーリと鉄瓶』
          『伝統の逆襲』
 
【教養】
 そういうルネッサンス時代の教養が、私は教養というものの原点だろうと考えるのです。
 つまり、ルネッサンス時代の教養というのは、他の人たちの専門分野にも好奇心を働かせるという意味なんです。田舎暮らしを優雅にするためというような、イギリスのジェントルマンの時代の概念とは違うわけです。
 教養は、イタリア語ではクルトゥーラと言います。この言葉の語源であるコルティヴァーレという言葉になると「耕す」という意味です。他のことをやっている、そういう人たちの仕事も、自分は知りませんなどとは言わずに、好奇心を働かせて理解する。そうすると、自分の専門技術だけでは達成できなかったことも達成できるかもしれない、ということなんです。(p.46-47)
 「真の教養は、ルネッサンスやイノベーションを当然のように引き起こすものである」ということだろう。
 英語におけるカルチャー(culture=文化・文明・教養)の語源が、カルティベイト(cultivate=耕す)であることは学生時代に木村尚三郎さんの著作で学んだけれど、ヨーロッパ文明はラテン語を源としているから、イタリア語も英語も当然同じである。しかし、地理的に見て、イタリア語の方がラテン語の語源により忠実な意味あいを保持しているはずである。

 

 

【「好きなことだけ・・」という生き方】
 だから、多くのことに好奇心を持つのは自分を豊かにすることになるだけでなく、独創の出発点でもあると思ってください。
 ところが、自分の気の合う人たちだけとか、自分が好きなことだけしかしないとか、そういうことを言う人がいますね。
 そんなことは、あなた方の若さでは言わないでください。
 そういうことが言える、言ってもいい年齢というのは、まあ、70歳以上です。70歳までの蓄積がありますから、それで適当に楽しむことができますからね。
 でも、15歳とか20歳で「いえ、ぼくはもうこれしか関心がありません」などと言うのは、無刺激、無菌の状態を作ってしまうことになります。蓄積のない、何もない状態のままで行こうというわけですからね。そんなふうに行くと、ちょっと強力な菌が来た時に、まったく抵抗力なくやられてしまいます。
 だいいち、そんな生き方、そんな人生は面白くないですよ。(p.51-52)
    《参照》   『ソーシャル もうえぇねん!』 村上福之 (nanaブックス) 《後編》
              【「好きなことをやりなさい」という大人の不見識】

 

 

【大胆であること】
 著者は、伸びる子に共通する資質として、2つのことを記述している。
 一つは、何にでも好奇心を持つこと。
 それと、もう一つは、大胆であるということです。大胆なこととはあまり恐れないこと、傷を恐れないということです。若い人にしか許されない特権ですから、やっぱり若い人はこれを活用なさるのがいいと思います。(p.54)
 たかが一度の失敗で委縮してしまうような在り方では、到底、人生を楽しめない。自分自身の失敗であれ他者からの誹謗であれ中傷であれ、恐れることなく開放的で大胆であることの大切さを言っているのだろうけれど、著者自身がイタリア人の旦那様と海外で生活していることを念頭に置いて理解した方がいいだろう。
 日本国内の地域社会という狭い社会の中で生活していることだけを前提としているのなら、大胆さの意味も効用も非常に狭小なものになってしまう。「もっと、世界に目を向けて、失敗を恐れないように」という意味があるように感じる。
    《参照》   『英語以前に身に付けたいこと』 坂東眞理子 (日文新書) 《前編》
              【海外に住んでいる日本人の数】

 大胆さついでに書いておけば、今や管理教育となっている日本の小中学校の先生に「いい子」と評価されているようでは、反って危険である。「ざけんな、先公!」とすら言えない(思えない)ような子ばかりなら、日本のお先は本当に真っ暗である。因みに、チャンちゃんの父親は先公だった。
    《参照》   『強育論』 宮本哲也 (ディスカヴァー)
              【しっかりした子は、やばいよ・・・】
 ぜひとも言っておきたいのは、受験についてです。
 もしも、あなた方が私の息子や娘であったならば、私はあなたたちに受験勉強は一切やめさせます。(p.61)
 大切なのは、学校にも企業にも頼ることなく、自分をみがくことです。(p.67)
 大前研一さんも、日本の現在の教育について何等期待できないから、親は自分で子供を鍛えなさいと言っている。
    《参照》   『「知の衰退」からいかに脱出するか?』 大前研一 (光文社) 《後編》
              【お上の教育】
 教育のみならず根本的な生き方を考えた時、既成の社会の枠組みや規範に従って生きるのは、他者の基準に従って生きるということであり、それを続ける限りにおいて、“自分本来の魂の自立”は絶対にあり得ない。
 私たちひとり一人の魂は、ワンネスへ帰還する過程で、この物質過程の地球世界でなければ経験できない、様々な体験を通じて様々な心模様をも体験するために生まれてきたのであって、社会通念(社会意識)に盲従するだけの“波風を立てない愚鈍ないい子”になる為に生まれてきたのではない。
    《参照》   『アセンションの超しくみ』 サアラ (ヒカルランド)  《前編》
                【社会意識(コントロール・グリッド)という檻から出る】

 

 

【歴史エッセイストとしての著者のやり方】
 史料というのはすでにあるわけで、私でも、オックスフォード大学の世界的な権威でも、読むものは同じなんですね。だから、私がどこに特色を出せるかと言えば、誰でも読める史料というものを自分はどう解釈するかっていうところなんです。そこにしかないわけです。
 そういう時に、白紙というか、偏見なく史実に対するというやり方はやはり役に立ちましたし、これからもそのやり方で行こうと思っています。(p.34)
 著者は、高校生の頃からイタリアに興味があり、イタリアの専門家である大学教授が授業をしている大学に入ったことが記述されている。そして、その後もイタリア人と結婚してイタリア暮らしをしながら、「どこに行くのでも、文庫本を一冊持っていることが私の習慣です」(p.91) とあるくらいだから、専らの興味は美食と噂話程度というような、そんじょそこらの日本の凡庸なオバちゃんたちとは大違い。
 あなたにとって師匠は誰かと聞かれた時、私は、私が書いた男たち全員と答えます。一作書くごとに世界が広がっていき、私が育っていくのです。私は学者ではありません。学者の方たちが自分の知っていることを書いたり話したりするのに対して、私の場合は私が知りたいことを書く、ただそれだけ。その本を年代も職業も関係なく、いろいろな方が読んでくださっていますが、共通点は、自分がいる世界の外に少しでも好奇心のある人、ですね。その日本の読者の前に、私は昔の西洋の男たちを生かして見せたい。生きているように見せるためには私が勉強しなければなりません。(p.88-89)
 司馬遼太郎さんは、「日本には歴史研究か歴史小説しかない。君はその中間を行こうとしている、だから大変なんだ」と、おっしゃいました。ヨーロッパには歴史エッセイと言われる分野があります。日本ではエッセイというと身辺雑記のように思われていますが、本当はそうじゃないんです。勉強した結果を小説ではなく、学術論文でもないものに書く。それが歴史エッセイです。賞の選考で悩まれ、本屋さんも並べる棚に悩んだという私の本ですが、読者と私はそんなことに関心などなかったと思います。(p.90-91)
 読者としては、まったくその通りだろう。
 と書きながら、エクセルに記録している既読書一覧で、読んだことのある塩野さんの著作を調べてみたら、『再び男達へ』(文芸春秋)、『イタリア遺聞』(新潮社)、『21世紀にどう入っていくか』(協和発酵編)と『混迷の時代に ネットワーク社会の遠心力・求心力』(WAC)という出井伸之さんとの対談の4冊しかなかった。いずれもネット上にこの読書記録を始めた2006年以前に読んだものばかりで、塩野さんにとっては傍系のような著作ばかり。ビジネスマンだった当時は、歴史エッセイという人文書を楽しむだけの時間的な余裕はなかったのだから仕方がない。しかし、4冊のタイトルから分かるように、企業家やビジネスマンたちは塩野さんの著作からヒントを学び取ろうとしていたのである。
 塩野さんの読者層はかなり広いだろうと想像できるけれど、オッサン主体の人文書愛好家が多いような気がする。そのことから考えると、この『生き方の演習』という若者に読者層を絞った著作は、異質な著作である。しかしながら、塩野さんの著作を数冊以上読んだことがある方なら、若者向けに書かれた、この『生き方の演習』という著作の内容に、「我が意を得たり」とまで行かなくてもと、殆ど同意できるような気がする。そんな方は、活字量の多くない僅か100ページほどのこの本を、そっと子どもの部屋に置いておこうと考えるんじゃないだろうか。

 

<了>