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 GM(米)やボルシェ(独)のチーフ・デザイナー、そして、ピニンファリーナ(伊)のデザイン・ディレクターという著者の肩書を表紙に明記すれば、10倍の冊数が売れたであろうに・・・と思う。この表紙は地味すぎるし著者個人のブランド力をまったく活用していない。出版社は、本文に記述されている主要なポイントをまったく読まずに表紙を勝手にデザインしたに違いない。杜撰すぎる。
 世界中の職人技を見てきている著者の具体的な記述から学べる点は多い。

 

 

【器用さ比べ】
 職人の匠の技という部分で、イタリアと日本は非常に似ているし、共通する点が多い。ここまで器用な 「ものづくり」 に携わる人間がいる国は、世界中を見渡してもイタリアと日本ぐらいである。韓国に行っても、中国に行ってもそれほど器用ではないし、アメリカにも、イタリア人や日本人ほど器用な人間は皆無、ドイツなどは一般的に極端に不器用だ。手先の器用さは日本人の特性なのだろう。 (p.31-32)
 戦前の技術はドイツからが多かったのだから、ドイツの工業力が不器用なドイツ人によって発揮されていたという事実は、意外!!!である。これについては、下記リンクを辿れば答えがある。
             【ヴォルフスブルク】

 

 

【「真似するな、盗め」】
 職人の世界では、徒弟制度の下、「真似するな、盗め」 といわれるように、日本人は真似をせずに盗むのである。盗んで、完全に自分のものにしてしまう。少なくとも今の中国は、真似をして終わり、その先がない。この違いは天と地ほどに大きい。日本が今後進んでいく 「ものづくり」 の方向は、すでに示されているように思う。 (p.38)
 ここに記述されている “盗め” という表現を中国人や韓国人が読んだら、文字通りに解釈してしまうことだろう。 「それなら中国人とまるで同じじゃないか・・・」 などと言うに違いない。
 日本人が “真似するな、盗め” という場合の “盗め” とは、 “口頭で教えてもらうのではなく、深い洞察力と修練を以て親方の作業工程の中からポイントを掴みとれ” という程の意味である。これを読むかもしれない中国人や韓国人のみなさん、くれぐれも誤解しないでください。日本人はあなた方のようにアンモラルな民族ではありませんから。

 

 

【冷遇されている日本の職人たち】
 日本の職人は、冷遇されるか、ありがたさのあまり一気に人間国宝まで上り詰めてしまうかの両極端で、本来持ち得ているポテンシャルをうまく生かしているケースは皆無といっていい。
 先述のように、職人ならではの大きな特徴は、生産しながら開発していけるという能力だが、その点を理解する人がいない。だから知識労働者であるはずの職人が、日本では肉体労働者のカテゴリーに入れられているのだ。(p.41)

 

 

【尊敬と厚遇を受けているカロツェリアのマエストロたち】
 カロツェリアとは、自動車のボディをデザインしたり製造したりする業者のこと。英語ではコーチ・ビルダーと言われている。
 トリノの塗装職人は、日本円にして年収3000万円を得ているくらいであり、日本なら大企業の役員、社長に匹敵する。対して日本の家具メーカーなどのトップクラスの職人は、世界的に見ても高い技術を持ちながら、年収は300万円ほどでしかない。(p.53)
 イタリアのカロツェリアが、デザインに特化した戦略で上手に経営しているにしても、日本の職人さん達の待遇は比較すると酷過ぎる。

 

 

【デザイナーという仕事】
 デザイナーという仕事を、一匹狼の感覚でしていれば自由業に近いと思う人もいるかもしれないが、これはまったく違う。私はよく 「デザインの3分の2はコミュニケーションである」 と言っているのだが、未来の消費者と、「ものずくり」 をする人の橋渡しをする大きな役割があり、そのために 「ものずくり」 の現場では自分の部下たちや職人と徹底的に意思の疎通を図る。(p.64)
 いちいち言葉で表現しなければならない外国人との仕事だから、ということではない。日本人同士であっても、コミュニケーション不全による障害はあらゆる会社、あらゆる部署、あらゆる職種で起こっているはずである。

 

 

【GM副社長を蹴って】
 現在のGMは凋落の段階ではあるけれど、30年ほど前は全盛期だった。 アメリカの大衆車 「T型フォード」 を生産中止に追い込んだのは、GMのデザイン力だったのだという。その頃、著者は、GMの研究センターに入り、1500人いるデザイン部で3年続けて1位に評価され、福社長のオファーを受けたのだという。
 しかし、その高待遇を断って、ポルシェで2年間納得できる仕事をし、その後に再びGMに戻ったのだという。

 

 

【ピニンファリーナでの仕事】
 1995年に、トリノを本拠地とするピニンファリーナに入った著者。3000人の社員のうち、デザイナーはわずかに5人だったという。このピニンファリーナで働いていた期間の様子が記述されている個所は、流石に 「うーん」 と唸ってしまう。すごい世界である。そして、満足のゆく結果が残せたらしい。
 私はフェラーリが創業55周年を記念して製造した 「エンツォ・フェラーリ」 に、チーフデザイナーとして最初から最後まで関わったのだが、最初は一枚のアイデアスケッチからだった。これは 「マセラティ・クアトロポルテ」 とともに、今までの経験を生かして、自分らしさが発揮できた自信作である。(p.81)
 トヨタのプリウスのチーフデザイナーはギリシャ人だったとかいう話は本で読んでいたけれど、フェラーリのデザインを日本人(著者)がやっていたなどということは、まったく知らなかった!!!

 

 

【エンツォ・フェラーリ】
 2002年に発表した「エンツォ・フェラーリ」 は、・・・中略・・・。価格は1台、7500万円。この価格で349台を限定販売すると発表したとき、世界中で3500人もの顧客が申込金を携え、近くのディーラーに押し寄せた。 (p.170)
 ブランドに相応しい349人を選んで、その他の顧客には、丁寧なお詫びとともに申込金を返却したという。