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 文化面のみならず政治・経済面での現実を踏まえた日本論が語られている。普通の日本文化論であるならオットリと読んでいられるけれど、政治経済という現実の中で日本人のあり方を見てみると、そうそうオットリ読んでもいられない。そもそも日本人は世界の中にあって、理想論的な考えにかなり傾斜した稀な民族であることを、日下さんは教えてくれている。世界は露骨にも現実論(ゼニ・カネ、強迫・見下し)で動いている。2007年11月初版。

 

【コンプライアンス】
 「コンプライアンス」は、「法令遵守」という日本語になっているのだけれど、
 ほんとうにアメリカ人がそんな意味でつかっているのかどうか。
 コンプライアンスを字引で引くと「黙従」「従順」と書いてある。「周りからの声に無気力に追従する」という意味である。その次には「卑屈」と書いてある。そこまで行ってしまう。だからアメリカ人同士で「コンプライアンス」などとは、普通は言わない。対等な相手に使う言葉ではない。はっきり自分より下部にある組織か、札付きの悪い会社に向かって言う言葉である。(p.26)
 アメリカは日本に対してコンプライアンスと言うが、それは日本は生意気だという意味である。「アメリカの言うことは聞け」というのを上品に言っているだけである。(p.27)
 CIAを親分とする日本のウンコ警察も「法令遵守」とよく言っている。権力側にとって都合のいい法令を作っておいて、国民がそれを守らない場合は容赦なくショッピクという公設暴力団丸出しの本性が、この言葉に込められているのである。
   《参照》   『小沢革命政権で日本を救え』 副島隆彦・佐藤優 (日本文芸社)

             【小沢・検察戦争】

 

 

【話のわかる日本人】
 靖国神社については中国側の思想を研究しなくてはならない。中国は根本的に非常に現実的である。だから中国に向かって「金ばかりだ、口ばかりだ。約束を守らない、信用できない」と日本人は思っているが、これを遠慮して言わない。
 しかし、言っても中国人は怒らない(笑)。日本人は理想主義者で、現実主義者より理想主義者のほうが上だと思い込んでいる。ところが中国人は、現実主義のほうが上だと思っている。理想主義者は謀略にかかった阿保だと思っている。だから日本人が向こうに行って清らかなことや高尚なことを言うと、向こうは「おお、そうだ。よくぞ騙されてくれた。日本は阿呆だ。謀略は成功した」と思う。
 私が行って「中国人は約束を守りませんね。法律をつくったって、自分では実行しませんね。あなたがたが信用しているのは実力だけでしょう、金だけでしょう」と言うと、その場では反対するが、しかし終わって廊下に出たら寄ってきて「やっと話のわかる日本人を見つけた」と言う。「あなたは話がわかるから、今後つき合おう」と。(p.105-106)
 笑いごとではないのだけれど、なんか強烈におかしい。
 日本人として理想主義に傾きすぎた人は、バランスを取るために来世は中国人として生まれて現実主義を学ばされることになるかもしれない。でも、だったらチャンちゃんは輪廻転生を絶対に拒否する。
    《参照》   『日本人のための新「幸福論」』 佐藤優×田原総一朗×宮崎学 (三笠書房)

              【中国では受けなかった『プロジェクトX』】

 

 

【現実が見えなくなっている】
 孔子の『論語』の中にも書いてある。孔子の家に、人間の肉の酢漬けがあったに違いない。子貢という一番弟子が議論の勝負に行って、議論に負けたら相手を食ってやるという決闘をしたら、逆に議論に負けて子貢が食べられてしまった。それを孔子は深く悲しんで、自分の家にあった肉の酢漬けは全部捨てさせたという話が『論語』に書いてある。
 中学二年のときに習ったが、「先生、孔子が捨てた肉は何の肉ですか? それもやはり人間の肉だったのではないですか? だから慌てて捨てたのでしょう」と言うと、「そんなことを言うものではない。なんの肉でも見るのが嫌になっただけだ」と言っていたが、それが日本人のセンスである。 (p.108)
 中国人は人肉を嗜好する民族なのである。(今、人肉“嗜好”が人肉“子貢”と変換されてビビってしまった)
    《参照》   『日本と世界はこうなる』 日下公人 (WAC) 《後編》

              【日本人の物差しでは測れない国・中国】

 ついでに、日本人が誤解していそうな、孔子が言うところの「君子」について
     《参照》   『「逆」読書法』   日下公人  HIRAKU

               【孔子の教訓に感じた素朴な 「なぜ」 の結末】

     《参照》   『驕れる中国 悪夢の履歴書』 黄文雄 (福昌堂) 《後編》

               【君子と小人】

 

 

【食糧不足化戦略】
 その昔、中国はベトナム人を食糧不足にするために猫を高価で買い集めたことがあるという。ネズミが増えて米が減るという戦略だそうである。水牛のツメを買い集めて水田耕作を破壊しようとした戦略もあったとか。ツメは漢方薬にするのだそうである。(p.125)
 だったら、「角も買ってよ」って言う人もいたんじゃないだろうか。

 

 

【砂漠の民と森の民】
 聖書の中に「我、山に向いて目を上ぐ。我の助けはいずこより来るか」とあるのを、日本人は助けや救いが山の上から下りて来るのを待ち望んでいると思って読む。内村鑑三もそう読んだ。しかしイスラエルの現地に行ってみると、山はハゲ山ばかりで、だから現地の人の考えでは、これは絶望状態を表す一文だそうである。「助けはどこからも来ない」という意味である。(p.139-140)
 聖書の舞台が実際に現在のイスラエルであったかどうかという問題はあるけれど、砂漠地帯であったなら、確かに解釈は違ってくる。風土が違えば、同じ人間の五感であっても認識が変わる。
    《参照》   『バスラ風土記』 山田重夫 (朱鳥社)

              【バスラのゴルフ場】

 

 

【世界思想】
 日本が発明したものは「最も普遍的な世界思想」だと評せると思う。
 なぜ世界思想かといえば、材料として全部が入っているからである。世界中の思想を全部輸入して、全部混ぜて、しかも二千年間咀嚼し続けた。それも同じ民族が二千年間、ああでもない、こうでもないと吟味し、味わった。良くないものは取り入れなかった。その思索の道程が文章になって残っている。外国人が捨てた文書も日本には残っている。経典も仏典もそうだし、バブルのときはヨーロッパの古文書がたくさん日本に入った。
 こういうのは世界中にないと思う。
 特にないのは一神教の地域である。一神教は「我が神だけが尊い」という教えだから、他を絶滅させてしまう。一度一神教のウイルスに襲われたところは、昔からの思い出は全部消されてしまう。(p.146-147)
 日本はこの点に関して、本当に類まれな国である。このことは超重要である。
    《参照》   『歴史の読み方 人間の読み方』 谷沢 vs 司馬・会田・渡部 大和出版

              【エッセンスを解する奇妙な能力をもつ日本】

    《参照》   『出光佐三の日本人にかえれ』 北尾吉孝 (あさ出版) 《後編》

              【天縦の神聖を備えた世界で唯一の国】

 これに関しては、地理的に、世界の辺境ともいえる極東にある島国だったことがポイントだけれど、そうなったより本質的な理由は、東経135度に位置する日本は、地球上で最も融合極性の強い(つまり最も繊細な)波動特性を有する地域だからである。
   《参照》   『ガイアの法則』 千賀一生 (徳間書店) 《前編》

            【経度0度と経度135度の文明的特徴】

 積み重ねゼロでリセットの繰り返しは、韓国がいい例。キリスト教であっても支配者正当化儒教であっても同じである。『聖書』ないし『論語』以外、昔の文献は殆ど残っていない。現在でも大統領は次の大統領によって徹底的に断罪されている。その繰り返しである。
   《参照》   『 「明治」 という国家 <上>』 司馬遼太郎 日本放送出版協会

             【『海游録』(平凡社・東洋文庫・姜在彦訳)という本がある】

 

 

【理屈はたくさん】
 理屈は通っているが、実際からどんどん離れたことを言う。アメリカだけでなく中国もそうだが、これが大陸に住む人たちのかわいそうなところだと思っている。
 日本人は「そういうのはそもそも言葉を立てるのがいけないんだ」と思っている。答えは直観力でお互いにわかるのだから、そんなに力んだってしょうがない、というのが日本的な心である。
 この考えは禅宗の教えからきている。「不立文字」という。教えの文章はたくさんあるが、真理は教えの外にあり、それは文字を立てずに感得すべきものだというのである。
 最近はそれを日本人は、マンガとアニメによって世界の人にわからせている。(p.160)
 大陸諸国は、異文化が接触する機会が多いから、どうしても理屈の通った言葉で話すようになってしまう。そして異文化が触れあって生ずる言葉は、必然的に底の浅い言語になってしまう。極端に言えば、言語は記号化する。だからいくら言葉を多用しても、本質になど至れない。言葉を用いずにする“以心伝心”は超高度な文化形態なのである。
 マンガやアニメは、言葉で説明してもなかなか伝わらない“以心伝心”領域のものもある程度、絵で簡単に伝えてしまう。IT技術進化によるビジュアル情動氾濫の追い風を受けて、世界はいよいよ増々日本化してゆくことになるのだけれど、宗教的なタブーを持たない日本のマンガやアニメは、かつて世界中に派遣された西欧圏からの宣教師なんかより、はるかに強力に日本文化を世界に伝道している。
    《参照》   『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』 竹田恒泰 (PHP新書) 《前編》

              【アニメが創る、日本の良き理解者】

 

 

【小学生に英語を教えてはいけない】
 『日本語はなぜ美しいのか』という 黒川伊保子さんの新書はすでに紹介したが、そこに母国語というのはほんとうに大切なものだと書いてある。日本人は母国語を話している。だから小学生に英語を教えてはいけない。母国語が完全に身についてから英語を教えなさい。中学校からで十分ですと主張されている。(p.185)
 教養ある人々および知識人の見解は、殆どこれと同じである。(例外は、七田眞さんくらいだろう)
    《参照》   『英語は勉強するほどダメになる』 栄陽子 (扶桑社新書) 《前編》

              【外国語は母語以上のレベルにはならない】

 イギリスのケンブリッジ大学で学んだ日本人が、アメリカへ行ったら「気取っている」と言われ、アメリカ英語を身に着けてロンドンへ帰ったら「なんという品のない英語をしゃべるんだ」と言われ、悩んだ末、日本式の英語を話したら、相手は安心するようになった、という例が書かれている。
 つまり、日本は自分の地で行ったほうがいい。たどたどしくたって恥ではない。あんまり高級な英語を言うと、かえって向こうはびっくりして、疑いの目を持ってしまう、語学だけ優秀な軽い人だと思われてしまうかもしれない。(p.187)
   《参照》   『即戦力の磨き方』 大前研一 (PHP新書)

             【語学力(英語力)】

 

 

【世界は露骨である】
 日本は武士道の教えがよほど浸透しているらしく、「正義のほうへつく」と言う人がいる。理想主義なのはよいが、現実主義も同時に大切である。何はともあれ勝つ方についたほうがいいのである(債権を回収したいならば)。(p.203)
 日本人は「債務国の方が立場が弱い」と考えるけれど、世界は「債権国は立場が弱い」と考えている。借りてる側はバックレルことができるから。だから世界は、「債権国は同時に軍事大国でなければならない」と考えている。バックレさせないために。
  借りている側は、できれば貸している側が滅んでくれたほうが快感。だから世界一の債権国である日本が沈没したら喜ぶ国は非常に多いだろう。
 このように本音に忠実な道義なき世界を支配するために、債権国である強国はパワー・ポリティックスが必要だった。日本は多いなる例外(世界の非常識)国なのである。
 日本人には、道義に満ちた人々が少なくない。戦争の相手国企業であっても、戦前・戦中・戦後を通じて道義を全うしている。
    《参照》   『めざせ!海外ビジネス』 酒井猛夫 社会思想社

              【先人の先見性と道徳性】

 第二次大戦のとき、・・・中略・・・、終戦直前には約50カ国が日本に宣戦布告している。その大部分は、何の関係もない遠方の国々だった。勝ちそうな側についたのである。
 そして戦後何十年間も日本に対して、貿易でも金融でも「戦勝国特権」というのを行使したのである。何十年もそれがつづいたのは日本外務省の責任だが、怠慢か弱腰か、太っ腹か、その原因はわからない。(p.207)
 こんな風に、世界には露骨なチャッカリ国ばかり。日本なら絶対にしないだろう。

 

 

【アメリカと国連】
 50年前、アメリカは世界一の債権国だった。・・・中略・・・。自分で取り立てて歩くのはくたびれるから、国連をつくって、みんなで圧力をかけようというのがそのときのアメリカである。
 しかし、今のアメリカは世界一の債務国なのだから、国連は要らない。国連は嫌い、邪魔くさい。何とかして逃げようとアメリカは思っている。
 すなわちアメリカと一緒になって国連を強化しようなどとは愚かな話である。(p.212)
 今日では、債務国のアメリカが、債権国の日本に軍隊を駐留させている。だったら「債務を支払え」という威圧ではなく、「はてもなく、カツアゲするぜ」というチンピラ軍隊による威圧だろう。
 また、日本のODA(政府開発援助)に関して、「ひも付き援助」だという揶揄はあるけれど、少なくとも良い子の日本ちゃんは、世界中の途上国に人口頭割りでODAを配ってきたのは事実。そんな均等なODA配布をしている先進国は他に存在しない。西欧諸国の場合、ODAを出している先は、かつての利権が残っている旧植民地諸国だという。この点においても、日本は理想主義で、西欧諸国は現実主義であることが分かる。

 

 

【内政の文明化】
 知っておかなければならないことは、世界の多くの国は、実は国内に問題を抱えている。(p.234)

 国内政治が文明化している国は、外に対しても穏やかである。
 それが日本である。
 ほとんど日本しかないのではないか。
 あとの国は国内が野蛮で、トラブルが絶えなくてそれを外へ輸出する。 (p.235-236)
 『論語』には、「修身、斉家、治国、平天下」とあるけれど、裏を返せば「治国できてない国は乱天下する」と言っている。アメリカも中国も、修身できてない人だらけの国なんだろう。
 

<了>

 

日下公人・著の読書記録