《中編》 より

 

【国を守る】
 出光さんは、青年にだけは希望を置いていた。
 僕は青年に向かって呼びかける。 ・・・(中略)・・・ 。
 明治時代は日本にとって最も偉大な力を発揮した時代である。建国以来の日本精神が世界的に爆発した時代である。国民は日本精神を堅持して、外国文化を吸収し咀嚼した時代である。心身を鍛練し、人格を養成して、人間尊重の基礎を固め、社会国家のために己を忘れて一致団結し、人間の偉大な力を発揮した時代である。(p.190)
 “建国以来の日本精神が世界的に爆発した時代”とあるけれど、これは決して誇張ではないらしい。
 出光さんに縁の深い宗像大社、宇佐神宮は、古代ユダヤの霊等にかかわる神霊界を有しているらしい。遥か昔、日本を出て中東の地を経巡り、やがて再び日本に戻ってきたのが古代ユダヤ人(スファラディー・ユダヤ)といわれる人々であり、この霊統を有する若者たちが明治維新をなしとげ、日本を発展させ守ってきたのだということ。
 明治維新の精神的主柱となっていた吉田松陰の出身地も、その松下村塾があったのも長州だけれど、九州北部と下関周辺の古代ユダヤに絡む霊統が立ち上がって日本を守ったのである。
    《参照》   『日本人ならぜったい知りたい十六菊花紋の超ひみつ』中丸薫/ラビ・アビハイル/小林/久保《後》
              【日本を守った霊統】
           『日本待望論』 オリヴィエ・ジェルマントマ 産経新聞社

 「日本を守る」という言葉に、何故か震撼してしまうようであるなら、その霊統にある人なのだろう。

 

 

【一致団結のもと】
 精油所が完成したとき、火入れ式を行い、この式にアメリカ人技師一同も参列した。祝詞をあげ、皆が敬虔な態度で神様に祈りを捧げた。
 この様子を見ていたアメリカ人の若い技師が、日本人がたった十ヶ月で最新の製油所を造り上げたその力の出所がわかった、それはこの神に対する儀式だと言った。
 我々は神の前に立ったときには無の境地になり、無我無私になる、自分を忘れて人のために尽くす、この観念が大切なところであり、一致団結のもとになっている。(p.197)
 日本国の中心にある天皇陛下は、神様に祈りを捧げるのが本業である。我々日常生活者からすれば面白くもなんともないような祭祀に多くの時間を費やし、人々のために祈っている。だからこそ、日本という国がまとまってきたのだろう。

 

 

【家族的経営】
 現在では日本でもアメリカ的な働き方が広がりつつあり、会社に忠誠を尽くすという考えはよく思われない傾向にすらあります。
 しかし面白い例がアメリカでもあります。「社員が会社のために尽くす」という社風の会社が、多くはありませんが確かに存在しているのです。そして、そういう会社は好業績が長続きしています。そうしたところでは優秀な人ほど辞めずに勤め続けているというケースが少なからずあるのです。中でも家族的な会社は、社員と経営者、社員同士が深く信頼し合い、つながりを大切に働いています。
 そういう意味では、日本的な「和」の力は日本人の民族的特性とも言えますが、世界的にも通用する考えでもあるのです。(p.201)
 出光は、創業時より2006年の株式上場まで、大家族主義経営を守っていた。
 家族的経営例は、下記にもある。
   《参照》   『家族的経営の教え』 原邦生 アートデイズ
 アメリカでも、長続きしている企業の中核は、実質的に終身雇用になっている。
   《参照》   『日本人が世界に誇れる33のこと』 ルース・ジャーマン・白石 (あさ出版) 《後編》
             【企業へのロイヤリティ(忠誠心)】

 日本の自動車会社がアメリカで確かな地位を築いているのは、欧米企業のように不況だからといてすぐに社員を解雇しなかったという事実が現地の人々に伝わっているからという理由もあるだろう。日本企業は決して株主優先という視点では経営していない。従業員の雇用を優先している。トヨタがブレーキ故障というバッシングで強烈に叩かれて続けていた時、壁となり石垣となって本気でトヨタを守ったのは、トヨタに雇用されていたアメリカ人たちだろう。彼らがトヨタの経営人を賞賛し励ましていたのである。

 

 

【日本道徳の根幹】
 日本の祖先は無欲、無我、無私である。しかし外国人には無という考え方はない。無私のあり方は外国人からもれば、自己否定であり、自分がないということになる。想像できないことである。ところが日本人は、無とは最高であると考え、無私のあり方を尊重し、無私でありたいと願っている。(p.215)
 文明の根幹を見たとき、西洋文明を「有の文明」、日本文明を「無の文明」ということができる。
 分離極性の強い磁場で生まれた西洋文明は「有」から始めざるを得ず、融合極性の強い磁場で生まれた日本文明は「無」を始点とする文化を生んでいたのである。西洋は「1」が、日本は「0」が始点である。
   《参照》   『新ミレニアムの科学原理』 実藤遠 (東明社) 《後編》
            【フィボナッチ数列の欠陥】
            【西田哲学の弁証法】
            【自由と必然性】
 分離極性、融合極性に関しては
   《参照》   『ガイアの法則』 千賀一生 (徳間書店) 《前編》
            【経度0度と経度135度の文明的特徴】

 「有の文明」は、アイデンティティーという用語を必要とするけれど、「無の文明」はこの様な用語を本来的に必要としない。
   《参照》   『星言葉』 晴佐久昌英 女子パウロ会
            【引き金になった文章】
             ~【日本語民族はアイデンティティを必要としない】
             ~【日本語の特質を生かした日本であれ】
 日本人は自己を人格的に修養し、鍛錬して人間としても尊厳をしっかり持って、その上で学問技術などを身につける。こうして自分に実力をつけて強い個人となり、その力を自分のためでなく、お互いのために使う。この無我、無私のあり方こそ日本道徳のもと、根幹なのである。(p.215)

 

 

【天縦の神聖を備えた世界で唯一の国】
 一番、まとめ役として向いているのは日本なのです。なぜなら日本には昔から世界の異文化を、あっという間に既存文化と融和、融合してきたという歴史があるからです。
 江戸時代の儒学者、国学者である山鹿素行が 『中朝事実』に論じているように実は日本人は異文化を自由に摂取し、これを日本化する上で天縦(てんしょう)の神聖(天から許された非常に尊いもの)をそなえています。天縦とは中国の言葉では「鼎親」と言います。(p.217)
 鼎新とは、三本脚の鉄製の鼎(かなえ)という鍋のようなものに、いろいろな材料を入れて新しいものを作り出すというような意味。
 「天縦の神聖を備えている国」という内容を波動的に表現すれば、「最も繊細な波動界が降りている国」となる。繊細な波動界を有するからこそ、あらゆるものに透過し融合し和し得るのである。
   《参照》   『大創運』 深見東州 (たちばな出版) 《後編》
             【日本神霊界】

 日本の物造りに現われる繊細さや高品質を生み出す下の基の本の元、最終根拠はここにあるのである。
日本という国に生まれ育った人にしかできないモノがあり、日本人でなければできないコトがある。それを世界のために活用しなさい、と出光さんは言っている。

 

 

<了>