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 1951年生まれの著者。前半に記述されている内容は、『中国古典からもらった不思議な力』 と重複する部分が多いけれど、全体的に、御自身の生きてきた過程と心境がそのまま綴られている。故にこそ、読む者の心に届く著作である。
 だから、いつものような軽薄で不用意なコメントは付けない。

 

 

【仕事】
 好き嫌いで判断している限り、決して自分の望んでいる仕事には巡り合えないと私は思います。(p.48)

 もし本気で自分の天職を見つけたいという気持ちがあるのなら、まずは与えられた仕事を素直に受け入れることです。そして、熱意と強い意志を持って、一心不乱にそれを続けていく覚悟が必要だと思います。(p.52)

「あなたはこれからの人生を、どういう人生にしたいと思いますか」
  ・・・(中略)・・・ 。
 私はそこが聞きたいし、知りたいのです。(p.56)

 

 

【仕事を続ける真の意味】
 仕事という行を通じて自らに責任を課し、自らに義務を負わせ、自己犠牲の精神を持って、努力し、研鑽を続けなくてはなりません。その一方で、ただ働くだけではなく、1つのフィロソフィーとなるまでに人間学を学び、自らを高めていくのです。
・・・(中略)・・・ 。
 おそらく真剣に仕事に取り組み続けた人は、皆この考えに同意していただけるのではないかと思います。ここにこそ、人生の長い期間にわたって仕事を続ける真の意味があるのではないかと私は考えています。(p.185)

 「人間学を学び、自らそれを高めていくこと」、それが、仕事を続ける意味であると言っている。職務に関する技能については何も書いてないけれど、そんなのはプロであるなら当然のことだから、何も書いていないのだろう。

 

 

【血の力】
 現在の自分を考えるとき、江戸時代後期の儒学者である祖先の北尾墨香の存在が大きく関わっていることを感じます。 (p.63)
 やはり、そうなのだろうと納得する。今日の教育は儒学など射程に入れてないのだから、祖先の中にでもいなければ儒教古典から学ぼうとするなんて、私淑する人でも持たない限り、普通ならばないままだろう。

 

 

【祖父の教え】
 今でも忘れられないのは、幼稚園くらいのときに 「男は社会に出たら耳をそばだてて、目をサラのようにして、あらゆることに真剣にいきていかないといけない」 と言われたことです。(p.65)

 

 

【徳ある者を・・・】
 私は当社で働いている社員に人間学の重要性をこんこんと説いています。月初に行う朝礼の時でも、必ず人間学に基づいた話をします。社員を採用したり登用するときも、「徳を重視する、徳のあるものを選ぶ」 とはっきり宣言しています。トップがそう言えば、社員は徳を磨かなければいけないと本気で思うだろうと考えているからです。(p.175)

 徳の有無というものは、向上心の有る無しに比例しているとチャンちゃんは思っている。向上心のない者は、人生上の不満を、社会や他人のせいにする傾向が顕著であるし、不足する分を他者から盗んでおきながら、自らの悪しきその行為を他者のせいにして平気である。

 

 

【憤】
 仕事をやり遂げるうえで絶対に欠かせないものを1つあげよと言われたら、私は 「憤」 の一字をあげたいと思います。憤がないことには、頑張りようがないのです。「何するものぞ」 という負けじ魂が出てこないと、本物にはなれないのです。(p.178)

 

 

【働くこと、仕事】
 「働く」 というのは 「傍を楽にする」 こと、つまり社会のために働くことであり、公に仕えることなのです。 ・・・(中略)・・・ 、仕事という言葉の 「仕」 も 「事」 も、どちらも 「つかえる」 と読みます。働く意味は天に仕え、社会に仕えることに尽きると思います。(p.217)

 

 

【公において私を糺す】
 金融の世界には、法律に触れなくても市場を悪用しようと思えばできることがたくさんあります。そういうことが私にはわかりすぎるくらいわかっているので、そういう汚い手を使うことは一切駄目だと社員にもはっきり言っています。こうした倫理観は、金融業をやっていくうえで絶対に必要なのです。(p.226)
 法律に触れないからと言って、株式分割をおこなって私利を貪ったホリエモンに対し、企業の垣根を超え、公の義憤を持って諌めたのが著者である。
 事実無根のデマを流してまで裏に回って人を貶めようとする下賤の者とそれに同調する輩など、巷にいくらでもいるけれど、公の倫理に基づき私のふとどきを糺そうとする著者のような方はめったにいない。
 著者は、 『論語』 の中にある二つの言葉を、身をもって体現したのである。
 「徳ある者は必ず言あり」 そして 「仁者は必ず勇あり」

 「徳なき者は、不正を見ても言なく」 そして 「仁無き者は不正に群れる」

 

 

【生き方】
 私は齢56まで、ただ修養しようという気持ちを持ち続けて今日までやってきました。これからもその学びの道を探求し続けて、私心や我欲のために曇りがちな自分の明徳を曇らないようにしていこうと思います。そして何ごとがあっても 「天を怨みず、人を尤(とが)めず」 の気持ちで、すべてを自分に帰着させてやっていくしかないと思っています。(p.238)
 
 

<了>

 

  北尾吉孝・著の読書記録

     『北尾吉孝の経営道場』

     『出光佐三の日本人にかえれ』

     『不変の経営成長の経営』

     『何のために働くのか』

     『中国古典からもらった不思議な力』