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 ホリエモンの買収劇に絡んで、諫め役としてテレビのニュースに映った方の顔が横帯にあったから、この書籍を手に取る気になった。野村証券からソフトバンク・インベストメントに移り、孫さんの参謀として活躍している(た?)方なのだという。
 書籍内に引用されているのは、すべてが中国古典というのではない。

 

 

【絶体絶命の境地】
 「死地に陥れてしかる後に生き、これを亡地に置いてしかる後に存す」
 これは 『十八史略』 の中にある言葉ですが、絶体絶命の境地に自分を追いやる、そして、そこから生き残っていってこそ、強い自分ができる。そういうことです。(p.46)
 NTTやNTTドコモを敵に回し、日本においてブロードバンドを大きく立ちあげるたけに、膨大な資金を必要とするADSL事業をやっている最中が、まさにこの心境だったという。
 巨大なリスクを背負ってまでやろうと思ったのは・・・・、
 これが二一世紀の中核的産業になる。この産業を何としても日本に育てなければなりません。
 だから2000年に、1505億円ものお金を集めて、IT産業を育てるための投資をした。・・・中略・・・。五年間で投資の成果があげられるか、出資者に迷惑をかけずにいけるか・・・・・を自問自答し、最終結論は 「やらなあかん」 とうことでやったのです。(p.154-155)
 絶体絶命の境地に自分を追いやる覚悟が出来たのは、 “社会(公)に対する義“ を果たす使命感があったからということなのだろう。

 

 

【 『利の元は義』 】
 「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る」
 「不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し」
 『論語』 は実にいいことを言っています。(p.145) 
 「 『利の元は義』 とはいえ、現実に数字で結果を求められる自分はどうしたらいいのか」、という問いに対して、著者は以下のように書いている。
 「利の元は義」 とは、やっていることが社会に必要な仕事だとか、顧客のためになる正しい仕事だ、という自信があるのなら、あとはどうやってその仕事を効率的にやるかを考えよ、ということです。(p.149)
 「義」 を元にしながら効率を軽んずるのであれば、「義」 は生きていないとも言える。
 甚だしい場合が公私混同であり、「義」 が腐敗しており、必然の結果として 「利」 は失われる。
 腐敗した経営(政治・官僚・天下り)は 「義」 から離れ、企業(国家)の 「利」 を損なう。

 

 

【 『収心の則』 】
 荻生徂徠の 『収心の則』 の中で言っています。
「己の好みに合う者のみ用うるなかれ」
「用うるにはそのことを十分に委(まか)すべし」
「上にある者、下にある者の才知と争うべからず」
「かくて、よく用うれば人物は必ずこれにあり」 (p.109-110)
 日本の経営者たちが著わしている書籍の中に言及されている 「中国の古典」 は、そのこと自体が既にスタンダードなので、この書物の中で初めて読んだという文言はないけれど、江戸期の文献である、荻生徂徠の 『収心の則』 の引用は初めて読んだので書き出しておいた。

 

 

【任せてみたい人、任せられない人】
 ただ、ある面で私は、運命というか、運の強さが非常に大事だと考えています。
 なぜなら、「能力は優秀だが、運の弱い人」 に仕事を任せると失敗するケースが結構あるのです。(p.111)
   《参照》   『何のために働くのか』 北尾吉孝 (致知出版社)
              【徳ある者を・・・】

 

 

【天の時<地の利<人の和】
 「天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず」
 天の時、タイミングは立地条件に及ばない。しかし、立地条件も 「人の和」 には及ばないという意味の 『孟子』 の言葉です。(p.180)
 教養のない占い師やエセ宗教家は、この古典の文言を弁えず、依頼者を占術や霊力に依らしめ、依頼者から現実的な判断力の重要性や人間としての真っ当な努力を軽視させ、むしろ奪ってしまう。
 依頼心や射幸心過剰な人々、ないし、占い依存ぎみな人々は、古典の文言を逆に解釈することだろう。

 

 

【 「徳」 を身につけるために 】
  「徳」 を身につけるために、これら歴史的名著に加えて、伝記や偉人伝、英雄伝を読むこともお勧めします。
  『野口英世伝』 とか 『アインシュタイン』 といった本や伝記です。これらは決して子どものためだけのものではありません。
 偉人とされる人の生い立ちから、苦労時代、そして偉大な業績をあげ、その後死んでいくまでの物語。
 これらをたくさん読むのがいいと思います。(p.143)

 

 

【澹泊(たんぱく)で寧静(ねいせい)】
 「澹泊に非ざれば、以って志を明らかにするなく、寧静に非ざれば、以って遠きを致すなし」
 諸葛亮孔明の言葉です。・・・中略・・・。
 私利私欲があれば志は明らかにできないし、それを保ち続けていくことはできない。
 落ち着いてゆったりとする、そういう気持ちでないと、遠大な境地に立つことはできない。
 ・・・中略・・・。
 私が中国の書道の大家、啓功さんという方に書いてもらった言葉がこの 「寧静致遠」 なのです。(p.158)
 九十歳を超えて、目もほとんど見えないというこの啓功さんという書道の大家は、
 国家主席を務めた江沢民が書を書いてくれ、ときても、「私は書けない、もう目が見えない」 と断ったというのに、私に六枚も書を書いてくれたのです。 (p.160)
 なるほど、大家と言われるほどの人は、巷の最高権力者という輩の不徳ぶりを当たり前に看破している。

 

 ホリエモンのような浅はかな経営者は、著者のような経営者たちが形成する無形の “教養の磁場” によって、日本という企業風土から弾き出されるのが必然である。
 例え政治家たちがどれほど愚鈍であったとしても、日本には優れた経営者たちがまだまだたくさんいる。

 

 

<了>