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 この本、古書店でみつけたのであるけれど、過去の著者の読書記録の中で書き出した主要なポイントは、2000年11月初版のこの著作の中に、全てコンパクとに記述されていた。
 巻末には、本文中に記述されている中国古典の一覧と、短い説明が納められている。

 

 

【日本的経営の中で否定してはいけないもの:志や使命感】
 連綿として受け継がれてきた日本的経営のすべてを ――― それによって日本の80年代が素晴らしいものになったにもかかわらず ――― 否定しているのがいまの状況なのである。しかし、日本的経営と一言で片付けてしまってはならない。そのなかには否定していいものと、否定してはいけないものが混在しているからである。
 では、否定していけないものは何か。それは経営者が志を持つ、あるいは透徹したような強い使命感を持つことである。そうでなければ、第二の松下電器や、第二のホンダといわれるような企業は今後、生まれ出ないのではないだろうか。
 孫正義氏は、志や使命感を明確に持っている数少ない経営者の一人といえる。(p.26)
 日本経済の停滞が始まった90年代以降、日本的経営に自信を持てなくなった経営者たちは、利益のみを追求するようになり、かつての経営者たちが古典から人生の教養として学んできた志や使命感が失われていると著者は記述している。
 京セラの稲盛和夫さんも志や使命感をもって経営にあたってきた方だろう。
   《参照》   『人間の本質』 本山博・稲盛和夫 (PHP)
            【事業を始める時の思い】

 

 

【日本的経営の中で欠如していたもの:科学的経営】
 日本の多くの企業は、科学的な経営を一貫して怠ってきたのではないだろうか。 ・・・(中略)・・・。日本の経営者は学問的成果を取り入れることや、科学的に分析することが非常に乏しい。 ・・・(中略)・・・。
 そうしたなかにあって、科学的経営を先駆けて実践した経営者が、いち早くPOS(販売時点情報管理システム)導入によって徹底的な在庫管理を行ったイトーヨーカ堂の伊藤雅俊・鈴木敏文両氏にほかならない。トヨタも科学的な経営を導入した数少ない企業の一つといえるが、そうした例外的な企業を除けば、日本企業は科学的な経営という面ではお粗末であったといわざるをえない。(p.30-31)

 

 

【論語と算盤】
 もっとも、日本にも資本主義の勃興期に5百社余もの企業を起こした素晴らしい経営者がいた。筆者が企業家として最も尊敬する渋沢栄一である。彼は 「 『論語』 と算盤 」 を重視している。筆者流に解釈すれば、 『論語』 とは倫理的な価値である。公器としての企業を経営していくうえで倫理的価値観は絶対に必要であり、そういう価値観を 『論語』 で 「修養しなさい」 と諭しながら、もう一方では算盤を説く。 『論語』 の世界と算盤の世界の両立を唱えたところに、渋沢栄一を尊敬する最大の理由がある。また、彼は日本において、株式会社という概念や複式簿記を定着させた男である。現代風にいえば、科学的経営を行い経済的利益を追求するとともに、きちんとした倫理観を持つことである。そうすれば、素晴らしい会社に成長・発展していくことが期待できる。(p.31-32)

 

 

【人材活用】
 「海は水を辞せず、故に能くその大を成す。山は土を辞せず、故に能くその高きをなす」( 『管子』 )という言葉もある。度量の大きさ、それから寛容の精神を持たないと、人は集まってこないということである。(p.36)
 この記述に次いで、 荻生徂徠の 「収心の則」 を引用している。
   《参照》   『中国古典からもらった不思議な力』 北尾吉孝 (三笠書房)
              【 『収心の則』 】
 比較的上位にある者が、「人材がいない」、「人材が育たない」 と嘆くことがある。また、それを理由に、自分が長期間トップとして君臨しがちである。これは、「収心の則」 に照らすと、とんでもない間違いを犯している場合が少なくない。(p.36-37)

   《参照》  『「とことん聞く」経営』 小山政彦 (サンマーク出版) 《前編》

            【「とことん聞く」経営の反対側】

 

 

【経営者の徳】
 経営者の徳という場合、筆者はとくに 「信」 を重んじる。これは社員に対しても、顧客や株主に対しても、ウソをつかずに約束を果たすということである。この 「信」 ということが、経営者にとってきわめて大切な徳であると、筆者は考えている。(p.44)
 経営者の徳は、社員全員にも同時に共有されて、企業の徳となっていなければならない。
   《参照》   『何のために働くのか』 北尾吉孝 致知出版社
              【徳ある者を・・・】
              【公において私を糺す】

 

 

【日本型経営の原点】
 日本型経営とは、終身雇用や年功序列、あるいは企業内組合といったものを温存し、何も変えることなく、何も疑問を抱くこともなく続けてきた経営である。その背後には、そうした形が好ましいという経済的合理性を超越したような倫理的価値観があったのであろう。 ・・・(中略)・・・ 。
 ただし、それが、孔孟思想や陽明学など、中国古典思想、あるいは日本の伝統のなかに本当の原点として存在していた考え方かどうか。おそらく、違うのではなかろうか。(p.54)
 日本民族はかつて、ムー大陸において貨幣経済をもたぬ世界を統べていた頃の記憶をもとに、日本型経営を営んでいたのではないだろうか。右肩上がりの経済成長が続いていた期間は、脱貨幣経済システム状態での在り有べき姿を疑似的に実現できていたのである。
   《参照》   『黄金の帝国』 三原資忍 サン企画
            【ムァーの社会】

 

 

【社会的貢献】
 社会的貢献が伴わない事業は、伸びるはずがない。なぜ松下電器やソニーが大企業になれたのか。なぜ本田技研工業がアメリカで業績を伸ばしたのか。一言でいえば社会的貢献が大きかったからである。社会的貢献が大きい事業は伸びるのである。私益は公益に通じるのであり、そういう意味で企業は公器であると思われる。(p.79)

 

 

【過大な事業欲】
 『韓非子』 のなかに 「人は自ら足るに止まることを能わずして亡ぶ」 とある。際限ない欲求は身を滅ぼすということである。率直にいって、孫正義氏もこの点に気をつけなければならないと、筆者は考えている。事業欲が強く、次々にアイデアが湧いてくるのは素晴らしいが、その一方では、際限のない欲求は身を滅ぼしかねない。(p.81-83)
 著者の他の著作の中にも、他の企業経営者までもが指摘する孫正義氏の過大な事業欲について書かれていた。であるにせよ、著者のような方が参謀となる経営者には、素晴らしい資質があるのだろう。

 

 

【直接金融】
 大卒後、銀行ではなく野村証券を選んだ理由について、
 日本は、直接金融と間接金融のバランスがまったく取れていなかったからである。これでは日本の発展は心もとない。したがって、野村証券を舞台にして、直接金融の拡大という社会的使命を実現しようと身を粉にして働いたのである。同時に、金融ほどグローバルなものはないが、日本の金融はグローバルになっていなかったので、これも野村証券の中で実現させるのが自分の使命であると考えていた。(p.96-97)
 日本国内の大学で学んでいたら、こんなことを考え付いたかどうか。著者は英国のケンブリッジ大卒でもある。
 第4章には、金融と相性のいいインターネットに絡む実務内容が記述されている。

 

 

【人を選ぶ】
 『十八史略』 だったと思うが、中国古典に、こんな一節がある。ある王様がだれを宰相にするかをある人に相談する。「誰々はどうか」 と尋ねた。すると、「いや、あれは駄目です」 という答えが返ってきた。「親がすぐ近所にいるのに、一度も親のところへ帰ったことがない。親に孝を尽くせないものが、どうして君に忠を尽くせましょうか」 との答えである。正論である。 『孝経』 のなかにも 「孝を以て君に事(つか)うれば即ち忠なり」とある。
 渋沢栄一は人を選ぶ際、仕事に対する多少の能力差よりも人情がある人間を選ぶと明確にいっている。あるいは、松下幸之助は 「功ある者には録を与える。良識、見識ある者には地位を与える」 と語っている。いずれも、感心させられる言葉である。(p.101-102)

 

<了>