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 ビジネスの業界では知らない人のいない京セラの稲盛さんと、国際宗教や超心理学会などをつうじて国際的に活躍しておられる本山さんの対談。2009年10月初版。
 読後に気分が晴れる良書である。同じことが表現を変えて何度も語られているけれど、その度に、その意味が少しずつ深く心に沁み込んでくることだろう。真摯な内容の書物なので、いつものような、お気楽なコメントは書かない。

 

 

【事業を始める時の思い】
 25年ほど前まで電気通信事業は電電公社(現・NTT)が独占していた。けれど規制緩和で新規参入が認められることになった。アメリカに比べて、通話料金が異常に高いことを知っていた稲盛さんは、
稲盛 : 私は日本の通信料金を何としても安くしてほしいものだと考えていました。(p.45)
 そこで稲盛さんの京セラは電気通信事業とは直接関係ない業界であるにもかかわらず、第二電電を立ち上げた。電線敷設が容易な当時の国鉄(現・JR)が運営する日本テレコムや、道路公団と建設省とトヨタが提携運営する日本高速通信より先に参入を表明したという。(p.48)
 そのため、周囲からは、「あそこが真っ先に潰れるだろう」 と言われていたのです。しかし現在、第二電電はKDDIとなり、今も成長発展を続けています。一方、日本テレコムや日本高速通信は影も形もありません。それは、事業を始める時の思いの強さ、清らかさの違いだろうと思います。(p.48-49)
 ソフトバンクがADSL事業に打って出る時に、財務を担当していた北尾吉孝さんの心境も、稲盛さんと同じようなものだった。
   《参照》   『中国古典からもらった不思議な力』  北尾吉孝  三笠書房
            【絶体絶命の境地】

 日本という国のためを思うことのできる人が経営していた2社が、現在の日本の通信事業の殆どを支えている。

 

 

【自殺者が減らない原因】
稲盛 : 日本の自殺者が1998年以降、毎年、年間三万人を超えていますが、なぜこんなに増えているのでしょうか。
本山 : やはり、自分さえよければいいという自己保存の考え方、つまり物の原理に従った社会風潮のためでしょう。物の原理はエントロピーの原理、つまり物は秩序正しい状態から無秩序な状態に移るという原理に従って、すべてのものを滅ぼす。これは大きな流れだと思います。
 もう一つの問題は、躾ができていないことです。 ・・・(中略)・・・ 利他行をしたこともなく、人に対して憐みの心を持ち、人と共存して何かをする、自然を大事にするという心が育っていなければ、自分の中に籠るよりしょうがないわけですね。
 自己保存とか自己保持というのは物の原理だから、人を殺すけれども自分も殺す。ちょうど物を壊すのと同じで、自分で自分がコントロールできないのです。(p.51-52)
 自殺の表面的な原因としては、経済的な問題のウエイトが大きいのだろうけれど、お金こそ物の原理の代表である。稲盛さんが事業を始める時のような、利他の思いと清らかさを失くしている人たちが、行き詰まった時に出口を見出せなくなってしまうのだろう。

 

 

【国の魂に一致する】
稲盛 : 私はよく、「経営を上手くやっていこうと思えば、心を高めることが必要です」 と話します。 ・・・(中略)・・・ 。先ほどお話した第二電電を立ち上げたときも、世のため人のためを思ってやっただけのことです。私に確かな技術や経験があったわけではなく、ましてや勝算などあるはずがありません。 ・・・(中略)・・・ 。
本山 : だから、同じことなんです。日本という国の魂が力を貸してくれたのです。稲盛さんがしようとされたことが、この国の魂とひとつなものだったから、国の魂が動いてくれた。魂の次元に入ったから、厳しい状況に置かれても、成功できるように周囲が動いたわけですよ。 (p.96-98)

 

 

【自分にとらわれず、愛があれば】
稲盛 : 愛があれば知恵が湧く、というのは重要な言葉ですね。ベースに愛がなければ、真の知恵は出てこない。中には偉そうに振舞う大学の先生もいますが、それでは本当に独創的な研究はできません。真にクリエイティブな新しい研究ができる先生というのは、実際にお会いしてみても、やはり人柄のいい方が多いように思うんです。これは心の根底に愛があるからでしょう。
本山 : 自分から自由になっている人、自分にとらわれない人、そういう人でないと神様の力をいただけないのです。神様の力が入ってこない。(p.122)
 茂木健一郎さんの 『天才論』 に欠けている最も重要なポイントはこれと、下記である。

 

 

【祈りができないと・・・】
稲盛 : 祈りというのは人間にとってどのくらい大事なものか、また、祈りにはどのような効用があるのかについて、わかりやすくお話しいただけませんか。
本山 : まず、祈りができないような人は、魂の成長ができませんね。魂の成長ができれば、自然に自分というものを超えて、みんなの役に立つことができるようになります。知恵が湧いて、想像力が出てくるのが祈りです。祈りというのは、基本的には、人間を超えた何かによって動かされることです。
 要するに、われわれはただ神様の道具にすぎないのだ、ということがわかると、自然に祈りが毎日できるようになります。すると、神様と一つになりながら働けるようになります。(p.153-154)

本山 : 京セラさんでセラミックを作るにしても、それは人間が作ったのではなく、人間は準備するだけで、準備をして、それに沿って物ができるわけですね。そこで働いている力は、人間は作れないんです。
稲盛 : 私がまだ若い頃の話ですが、夜中にファインセラミックスの部品を作る工場を見回っていると、一人の技術者が窯の横で半べそをかいていたんです。「どうしたんだ」 と声をかけたら、「一生懸命やっているのに、何日徹夜してもなかなかできないんです」 と答えるわけです。私は、「お前、神様に祈ったか」 と、彼に問いました。
 本当に全力を尽くしたか、そうであれば、後は神に祈るしかないという意味だったのです。彼はすぐにはピンとこなかったようですが、再び勇気を奮い起して開発に取り組み、見事に難しい製品を作り上げたんです。これは、うちの会社で今も語り継がれるエピソードになっています。(p.159-160)
 船井幸雄さんが、世界の変革する推進役として、「学者や政治家は本当に遅れている、経営者が最も進んでいる」 と以前から書いているけれど、国家の発展に貢献している企業に従事している稲盛さんのような人々は、学者や政治家にとって、意識の射程にすら入っていない 「祈り」 や 「愛」 がもつ力を、既に体験的に知って活用しているのである。
本山 : 魂を高めてきれいにしようとか、人の役に立つような働きをしようと心から思って、しかも実際に行動するような人は、自然に想像力や知恵が湧いてくるのです。そういう人たちは、自分の因果応報の運命を変えることができます。(p.163)
 我良しな宗教団体に入っている人より、この本を読んだ人の方が、遥かに高純度で枢要なエッセンスを学べる。

 

 

【どう生きるのか】
本山 : 感謝、祈り、みんなと一つになって動けるような知恵、想像力、愛といったものを育てなければいけないのです。親も教育者も市長も政治家も、みながそうすべきです。 ・・・(中略)・・・ 稲盛さんのような人が、事業だけでなく、教育や、政治の分野に出てくることが必要だと思います。(p.178)
 親は自分の物質的な欲望に沿って子供を育て、公務員教育者はそんな愚かな親の子どもに適当に迎合し、市長や政治家は自らの利権集団の物質的繁栄のために職業と特権を利用しているだけであろう。
 このままでは、人類社会がギリギリのところへ追い詰められたら、親や教育者や市長や政治家たちは、神に祈るどころではなく、先頭に立って略奪や戦争をけしかけるくらいのことをしかねない。

 

 

【縁のあるところへ】
本山 : 今から2、300年前、京都の人々が非常に困っていたときがあった。そのとき稲盛さんは、前世で、困っていた人たちを助けた。だから、稲盛さんが京都で事をなせば、助けられた人たちの魂というか、生まれ変わりというか、そうしたものが支えてくれるわけですね。
 人は、自分の縁のあるところへ行くのが一番いいのです。宗教にしても、縁のあるところへ行けばいいんですよ。禅が合うなら禅のところへ、キリスト教が合うならキリスト教のところへ行けばいい。自分たちだけが一番いいという宗教とか、絶対の宗教なんていうのは、どこにもないのです。(p.189)

 

 

【日本 そして 世界】
本山 : 日本はある意味で、ヨーロッパのものもインドのものも無理なく受け入れ、発展させる能力、包容力を持っています。一言で表せば 「空」 とでも言えるものですね。だから私は、日本は大丈夫だと思うのです。日本だけじゃなくて、インドでも中国でも必ずそういうふうになると思うけれども、日本はやはり一つの核になっていくでしょうね。 ・・・(中略)・・・ このままでは、途上国よりももっと落ちるようになるかもしれない。でも、必ずなれると思います、日本はね。 (p112)
本山 : 人間は身体だけじゃないんだということに目覚めるときが、今世紀のあと10年か20年のうちに起きてくると思います。
 そうならないと、どうにもならなくなるのです。平和な地球でみなが仲良く共存していくには、霊的に目覚めることが必要不可欠なのです。(p.146)
 霊的なものを疎かにし過ぎ、物の原理にどっぷりと侵されている人類が、その行き過ぎに気付き改めなければ、地球全体が遭遇する大きな揺り戻しという苛烈な状況の中で学ぶ事になる。それは避けようもないことである。
 

<了>