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 今年のサッカー・ワールドカップで準優勝だったオランダ。その国の個性はいかに。

 

 

【愚かなリンブルフ州】
 オランダでもっとも南に位置するリンブルフ州(州都は、悪名高きマーストリヒト)の住民は、愚かだというのが通説になっている。それゆえ、つぎのようなジョークもある。
問 「マーストリヒトの住民がベルギーに移住したら、どうなるか?」
答え 「どちらの国も、知能指数の平均値が下がる。」 (p.10)
 1991年にEU(欧州連合)設立条約を締結した場所であるマーストリヒトが、なぜそんなに悪名高いのか? 理由が書かれていないから分からない。

 

 

【オランダ人気質】
 オランダ人は、娼婦が街角の飾窓で肉体をあらわにしようと、男同士が公衆の面前でいちゃつこうと、マリファナがコーヒーショップのカウンター越しに売買されようと、世界中から来た移民や難民が変わった習慣を持ちこもうと、それを黙認する。ヘロイン中毒者には無料で注射針を配布し、囚人には夫婦の権利を認め、ティーンエイジャーには要望に応じて中絶をほどこす。自分たちの国(ホランド)をオランダと呼ばれても(実際には、それはオランダ王国(ネザーランド)の一地方を指す)、文句一つ言わない。(p.11)
 オランダ人というのは、あらゆる多様性を黙認し寛容であり続けているらしいけれど、隣国のドイツ人ならば、意図的無規範の結果として生じている多様性を保護しているだけ、と思うのではないだろうか。
 不思議なことに、社会が異なる柱から成り立っているという考え方は、オランダ人の寛容さとセットになっている。おたがい相容れない世界観を持っていても、相手をつぶし合う必要はない。かわりに、それぞれの柱のままひとつにまとまって、全体としてしっかりとした gezelling な社会を作りあげればいいのである。
 この柱はまた、たいへん居心地がいい。そこに属していれば、自分とは異質なものと、実際に混ざり合うことなく、それを社会の必要不可欠な一員として認めているという自己満足にひたれるのだから。南アフリカのオランダ人植民者の子孫がこの考え方を歪曲して生みだしたのが、人種隔離政策(アパルトヘイト)だった。(p.24-25)
 社会が異なる柱から成り立っているという考え方は、 “住み分け” ているということなのだろうけれど、植民先でこのような考え方を当て嵌めても、搾取する側としての利権維持だったのだから、どうしたって綺麗事である。
 この本の中には、gezelling というオランダ語が頻繁に記述されている。それぞれの文脈の中でそれぞれ異なる意味合いになっている。オランダ社会と同様に多様な意味を持っているらしい。

 

 

【オランダのカトリック】
 オランダでは、プロテスタントとカトリックが宗教的にも政治的にも2つの大きな柱を構成しているらしいけれど、カトリックに関して以下のように記述されている。
 昔からオランダでは、カトリック教徒は多めにみられていた。(寛容の精神だ。) だが、礼拝は普通の民家を真似て建てられた教会で、扉を閉じたまま、ひっそりとおこなわなければならなかった。 ・・・(中略)・・・ 。とはいえ、目立たないからといって。彼らは決しておとなしくしているわけではない。オランダのカトリック教徒は、離婚と堕胎と神父の結婚を認めるよう求めて分派を結成し、ローマ教皇庁を震撼させたりしている。(p.22)
 

【カフェオーレは 「まちがったコーヒー」 】
 コーヒーは生活のあらゆる面に深く関わっており、友人関係も、葬式も、誕生日も、仕事場も、この黒い液体を中心にまわっている。平均的なオランダ人は、毎年165リットルのコーヒーを飲む。コーヒーは、gezellingheid を人びとのあいだに行き渡らせる大切な潤滑油なのだ。
 オランダで出されるコーヒーはブラックで、心拍数が2倍に跳ね上がるくらい濃い。ミルク入りのコーヒーもあるにはあるが、ほとんど別の飲み物としてあつかわれている。オランダ人はそれを 「コフィー・ヴェルケールト」 と呼ぶ。(直訳すると、「まちがったコーヒー」) (p.41)
 かつての植民地であるインドネシアなどから良質な豆を輸入して、このようなコーヒー文化ができたのだろう。濃いといってもエスプレッソほどではない。

 

 

【文化】
 きらきら輝く瞳で、他の国も文化に目を光らせ、最新の流行りものをさっとかすめとってくる。オランダ人の独自の文化を生み出すのではなく、よそさまのものを手当たりしだいむさぼり食う道を選んだのである。(p.55)
 今日のように陸運が主力となる以前、海運時代のヨーロッパの中央に位置し繁栄を誇っていたオランダには、いやがおうでも外国の文化が流入した。しかも、元々が小さな面積の国なのだから、自国の文化を保持するというのは難しかったはずである。つまり、このような文化国家になったのは必然なのであろう。
 こういったことが原因となって生まれている長所は、複数の語学力に秀でたオランダ人が多いこと。

 

 

【オランダは活字大国:文学】
 文学は、オランダ文化が孤島のような状態を保ちつづけている唯一の分野である。(大半のヨーロッパ人にとってオランダ語はちんぷんかんぷんなので、誰もちかづけないだけの話だが。)皮肉なことに、そこはオランダ文化がもっとも活況を呈している場所でもある。オランダでは誰もが小説を書いているし、・・・(p.59)
 そんなに文学が盛んなのにオランダ人の書いた小説なんて読んだことがない、と思いつつ、もしかして・・・と遡ってみたら、下記の小説はそれだった。
   《参照》   『追憶の夏 ―水面にて―』 ヴァン・デン・ブリンク (扶桑社)

 

 

【誕生日】
 オランダ人の生活習慣のなかで、唯一、許されざる罪とされているのが、誰かの誕生日を忘れることである。 ・・・(中略)・・・ 。
 オランダ人の心のカレンダーは、誕生日を軸にまわっている。(p.69)
 めんどくさ。

 

 

【オランダ人が考える 「ごちそう」 】
 ヌーベル・キュイジーヌは、結局、オランダでは一度も流行らなかった。量がけちけちしているうえに、えらく値段が張るからだ。外国料理でずば抜けて人気が高いのは、インドネシア料理の 「リスターフェル」(ひとりのまえに、ご飯とさまざまなおかずの小鉢がならべられる、インドネシア式の食事)である。これこそ、オランダ人の考える 「ごちそう」 だ。(p.77)
 「リス」 が 「ご飯」 で 「ターフェル」 は 「テーブル」 の意味らしい。
 上掲の写真は、オーストラリアのレストラン・モールで販売されていたインドネシア料理のリスターフェル。

 

 

【マリファナ王国の盗難防止策】
 当局はマリファナのようなソフトドラッグに対しては寛大だが、ハードドラッグとなると、話は別だ。だが、それでもオランダには、大勢の 「ドラッグ旅行者」 が吸い寄せられてくる。その結果、オランダはヨーロッパのなかでハードドラッグの中毒者の人口比率がもっとも低いにもかかわらず、大都市にはドラックにまつわる問題が蔓延している。それはおもに、軽窃盗という形であらわれる。(p.92)
 車の盗難問題を解決するために、ロックせずに車を放置した場合は違法(!)にしたのだという。
 自転車の盗難となると、これはもう国民的な娯楽といってもいい。オランダ人は自転車本体よりも、でかくて、頑丈で、絶対安全とされている鍵のほうに金をかける。そのため、自転車が盗まれると、鍵をとられたことをいちばん嘆く。かわりの自転車は、簡単に手に入るからだ。(p.92)
 そのままお笑いのネタとして使える。

 

 

【倹約とチームワーク】
 オランダ人の倹約家ぶりは、個人の生活だけでなく、ビジネス面においてもあらわれている。必要経費でのランチは当然と考えている外国人ビジネスマンにとって、オランダはがっかりさせられる国だ。
  ・・・(中略)・・・
 オランダの会社におけるキーワードは、「チームワーク」 である。その組織は、オランダの田舎の風景に似て、垂直ではなく、水平に構成されている。ビジネスの原動力となっているのは、協力、交渉、そして総意だ。それゆえ、会議がえんえんとつづけられることになる。(p.99)
 日本企業のやり方に似ている。
 「ゴー・ダッチ」 は 「割り勘」 を意味するけれど、こんなオランダ人の倹約精神が元になってできた慣用句なのだろう。ダッチは、 「もとはドイツの(deutsch)を意味したがオランダ独立後今の意味となっている」 そうである。オランダには、ネザーランド、ホランド、ダッチなど、幾つもの呼び名がある。
 日本人が知っているオランダ企業といったら、石油のロイヤル・ダッチ・シェル、松下電器と提携していたフリップス、生活用品の広告で知られているユニリーバ、家具のイケヤ(発祥はスウェーデンだけれど本社はオランダ)くらいだろうか。

 

 

【ダブル・ダッチ】
 あの商売上手なオランダ人の腕をもってしても、オランダ語を輸出するのは至難の業だ。喉音(こうおん)の 「g」 は客から喉がおかしくなると苦情がきそうだし、外国人の舌と唇は 「ui」 の発音に挑戦した時点で音をあげる。イギリス人は 「ちんぷんかんぷんなもの」 のことを 「ダブル・ダッチ」 と称しているくらいだ。
 ヴァン・ゴッホは、母国語が外国人にとってじつにやっかいな代物であることを承知していた。それゆえ、絵には 「ヴィンセント」 とサインした。画廊の主人が発音しやすいようにという、涙ぐましい配慮からだ。 (p.103)
 自分の耳を切っちゃったゴッホとチャンちゃん自身の内面は 「トリプル・ダッチ」 である。
 ところで、ゴッホがオランダ人だったとは・・・である。
 ゴッホが出て来たついでに、以下をリンク。
           【南フランスを愛した芸術家たち】
           【ゴッホ:パリ:~35歳】
           【ゴッホ:南仏へ:35歳~】


 

<了>