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 ロシアに思い入れがあるわけではない。100ページ未満の書籍をと思い、薄っぺらなこの本を手に取った。

 

 

【イコン】
 イコンは、ロシア人にとって単なる飾り物ではない。それ自体が聖なる存在であり、彼らが崇めるイコンの中には今も奇跡を起こす力を秘めているものがある。  (p.16)
 これ以上詳しい記述がないけれど・・・・。

 

 

【ロシア人の名前】
 ロシア人には3通りの名前がある。  
 イーミャ     : 個人名:たとえばイワン
 オーチェストヴォ: 父称 :たとえばイワノビッチ
 ファミリーヤ   : 名字 :たとえばイワノフ
 初対面の人間同士を引き合わせるときには、イーミャとオーチェストヴォを組み合わせてこんな具合になる。「イワン・イワノビッチ、こちらはステファン・キリーロビッチです。」 
 ところが相手が外国人なら「ゴスポディン・イワノフ(ミスター・イワノフ)」で押し通すかもしれない。 (p.28)
 問題は愛称である。ロシア文学を読んでいて、その愛称が誰なのか前後の内容で分かる場合はいいけれど、そうでない場合は、闇雲に読み進めるしかないのである。
 

 

【ロシア人の愛称】
 ファーストネームには実に多くの愛称があり、もともと名前と形が違っていることも少なくないので、頭を抱えることになる。  
 イワン     :ワンカ、ワーニャ
 ニコライ    :コーリャ、コウレンカ
 アレクサンドル:アレク、サーシャ、シューラ、サーニャと呼ばれることもある。
 ドミートリー  :ミトゥカ、ミーチャ
 娘の場合
 マリア     :マーシャ、ムーマ
 エフゲニア  :ゼーニャ (ゼーニャはエフゲニーという男子名の愛称でもあるから、これまたややこしい)
 たいていのオフィスにはアレクサンドルが一人か二人いて、年上のほうは「大サーシャ」、年下は「小サーシャ」と呼び分ける。名字を使えばすむことなのに、名字はさっぱり使われない。 (p.28)

 

 

【ロシア人との散歩は不可能】
 ロシア人の口は休むことを知らない。とにかくよくしゃべる。しかも話しながら歩くのは大の苦手。ロシア人との散歩は事実上、不可能だ。 (p.30)
 長年、ロシアに留学していた日本人と、桜花咲き乱れる井の頭公園を散歩したことがある。その人は、桜花を全く見ていなかった。視線は俯角30度くらいで足は機械的に動いていただけ。花見散歩ではなく、単に定速移動会話だった。それでも立ち止まらずに話しながら歩けたのは、日本人として生を受けていたからなのだろう。7年も留学していると行動パターンまでが現地化するらしい。

 

 

【プーシキン】
 トルストイ、ドストエフスキー、ツルゲーネフの名を知らない者はいないだろう。だが、ロシア人にしてみれば、ロシア文学は作家にして詩人、そして近代ロシアの散文の創始者、プーシキンにとどめを刺す。
 プーシキンは三代さかのぼればアビシニア(エチオピアの旧称)の王子にたどり着く。曽祖父はピョートル大帝の時代に宮廷の飾り者としてロシアへ連れてこられたのだ。曾孫は乳母から言葉をたたき込まれ、それに磨きをかけて、情熱あふれる思いのたけを表現し得る精巧なものに変身させた。自由にして秩序ある今日のロシア語は、プーシキンの営みのたまものである。
 プーシキンはロマンチストでありながら、幻想に与せず、しかし情熱的に人を愛した。移り気な妻をめぐって決闘にのぞみ、その命を散らした。  (p.44-45)
 プーシキンの出自が興味深かったので書き出しておいた。

 

 

【オプムィト】
 大きな家具を新調したり勲章を授与されたときは「オプムィト」、つまり浴びるほど飲むのが昔からのやり方だ。勲章は、軍人仲間の間では、オォッカかシャンパンのグエアスに沈め、当人はそのグラスを仰いでから勲章を胸に飾るのが習わしになっている。  (p.56)
 たいそう発音しにくい単語である。

 

 

【サンクトペテルブルグ】
 今世紀初頭にサンクトペテルブルグに生まれた人にしてみれば、街の名前は三度変更されたことになる。初めはペトログラード(「ブルグ」は第一次大戦中、ドイツ的で、愛国的ではないとされた)、次いでレニングラード、そして再びサンクトペテルブルグという具合に。
 なんだ、そうだったのか! と今頃知ったチャンちゃん。プーチン大統領の出身地で、エルミタージュ美術館がある。テレビで見たけれど思いっきり美しい街である。現在は、トヨタやニッサンがこの都市に工場を建設している。

 

 

【ロシアの政治】
 とにかくロシアは広大だ。それに人種の構成も複雑なので、中央政府の試みは挫折の繰り返しだった。中央政府が弱体なら各地に割拠する権力はほしいままに振舞う。こうして政治は圧制と「(無政府状態へきりもみ状態でなだれ込んでいく)混沌」の間を行ったり来たりしてきた。
 「驚くべきは我が国政府の惨状ではない。ロシアに政府があること自体が奇跡に近いのだ。」 これはロシア改革派閣僚だったウィッテ伯爵の言葉である。 (p.78)
 圧制と混沌の間を行ったり来たりするのは、広大すぎる国土を有する国には必然なのだろう。

 

 

【富はやましいもの・・・・】
 ロシア人にとっては、富はやましいものであり、少なくとも誰かを踏みつけにするか、みずからの良心を犠牲にしてはじめて手にするものなのだ。「この国のビジネスマンは99パーセントが窃盗か犯罪者か無法者なのです」 とロシア人のコンピュータ技術者は思いを口にする。 (p.86)
 共産主義から自由主義へと進む過渡期には、このような考え方をする一般大衆が多いのはやむを得ない。しかし、このような考え方をする人々は、自由化が進むロシアにおいて急速に減少してゆくのではないだろうか。
 しかし、日本人が仕事でロシア人に接するとすればおそらくはビジネスマンである。窃盗か犯罪者か無法者と言うのであるならば、一応、心してかからねばならない。欧米人が持つロシア人ビジネスマンの認識も、この著書に書かれているのと同様のようである。       
 日本人ビジネスマンが書いた近年のロシアでの体験談はまだ殆ど出版されていないらしい。そのような本が出版されたら、ぜひ読んでみたいと思っている。                       


 

<了>