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 この出版社の、「○○人のまっかなホント」シリーズは、比較的に割り切った短文で書いているから、微妙なところまで繊細に表現できていないとしても、それなりの分かりやすさがあっていい。


【石橋を叩いて・・】
 「日本人は石橋を叩いても渡らないというのに、韓国人は石橋を叩きもしないで渡ってしまうんだから、せっかちな民族だ。これは死んでもなおらないね」と自民族を揶揄する。   (p.2)
 IMF後の対応の早さをみても、韓国人の行動の速さは確かに日本人をはるかに上回っているのは間違いない。

 

 

【日本人の呼称】
 韓国人は気分がいいと、日本人のことを「イルボンサラム(日本人)」と呼び、気に入らないと「ウェノム(倭人の奴)」と呼び捨てる。
 韓国人は、日本には、自分たちの祖先が文明や文化を伝え、今日の日本の発展はそのおかげであると信じて疑わない。その恩を忘れて、自分たちの祖先を騙して国を奪い、36年間も植民地にした日本人を恩を仇で返した「犬のような奴(ケノムセッキ)」だと非難する。それは人間のやることではないというのだ。 (p.8)
 “日本の発展は韓国のおかげである” という韓国人の思い込みは、儒教意識に基づいているのだろう。韓国が親ないし兄で、日本は子供ないし弟であると。
 しかし歴史は、支配者のご都合で書かれた文献や資料で確認できるたかが3,4千年前から全てが始まっているわけではない。それ以前を考慮することができないならば、知的盲目以外の何ものでもない。
 九州の阿蘇山は現在、直径数十キロもある外輪山として残っているけれど、おそらく5、6千年前、巨大な阿蘇山が噴火し、多くの日本人が朝鮮半島や中国、その他の地域に移住して行ったのである。移住した日本人が携えていた文化力が、世界の4大文明、とくに黄河文明を起こす主要な力となっていたのである。
 さらに遡れば、ムー大陸が沈没した頃、周辺の諸大陸に移住した原日本人たちは、やがて日本列島に集まって高度な縄文文明を発展させていたのである。しかし、それらのことどもは、アカデミズムでは殆ど考慮されていない。

 

 

【ソンビ】
 ゾンビではなくソンビである。
 科挙の受験資格はヤンバン(両班)にだけあたえられ、一般民衆にはあたえられなかった。しかも、試験は大変な狭き門であり、一生かかっても合格できない人も珍しくなかった。
 そこまで努力した人が官職を捨てて在野に下り、平民として質素な生活を営み、人材を育てる。それがソンビである。ソンビとは、私心や私欲をすべて捨てたとき得られる称号で、かの李退渓もその一人である。 (p.27)
 李退渓については、下記リンクで言及されている。
            【金科玉条がもたらすもの】
 ことわざに曰く、「ソンビが遊ぶところに龍が生まれ、鶴が遊ぶところに鱗が降り注ぐ」と。    (p.26)
 韓国で言うソンビとは、日本で言うならば吉田松陰や緒方洪庵のような私塾の運営者に当たるのであろうか。松下村塾や適塾からはキラ星のごとく人材が輩出しているけれど、ソンビが遊ぶところに、いかなる龍が生まれたのかは書かれていないので分からない。

 

 

【ノレバン】
 韓国では日本から入ったカラオケを「ノレバン」という。「歌部屋」という意味であるが、全国のいたる所にノレバンがある。・・・(中略)・・・。日本から入った娯楽のなかで、花札を除けば、ノレバンほど大衆に広く普及したものは他にない。・・・(中略)・・・。公の舞台で日本語で歌が歌われると講演が中止になった時代でも、ノレバンはその対象外であった。  (p.58)

 ちなみに、台湾でからおけは・・・

   《参照》  『台湾網路』 渡邉ゆきこ (ボーダインク)

             【カラオケ】

 

 

【正宗】
 韓国語で酒のことを正宗(チョンジョン)という。正宗は日本酒の銘柄の一つであり、その韓国語読みが「酒」を著す単語としてそのまま使われている。日本の植民地時代、有名な銘柄であった正宗が韓国人に好まれ、それが普及して酒一般を意味するようになったのだ。  (p.76)
 ジンロ(眞露)は韓国焼酎の代名詞ともいえる大衆焼酎であるけれど、日本人でそのことを知っている人はあまり多くない。但し、ジンロが日本に普及するには、辛い食べ物が好きな韓国では甘口であったジンロの味を、日本人の食生活に合わせるためにやや辛口に変える必要があったそうである。
 なお、マッコリは韓国の濁酒である。

 

 

【柳宗悦】
 千利休は朝鮮王朝の焼き物の美に光りを当てた最初の人物であり、さらに、20世紀に入って朝鮮の工芸に惹かれた日本の美学者柳宗悦が、そこに民芸の美を発見し、世界に喧伝した。朝鮮王朝の陶磁器が世界に知られる過程でこの二人の功績は計り知れない。
 とくに柳宗悦は白磁の壺を縁取る線を曲線の美とみなし、白磁の白に韓民族の心をみた。形は曲線であり、色は白であるというその美的洞察は、当時の韓国人の心を射止め、柳宗悦は韓国人以上に韓国の芸術を愛した人として敬愛の対象となった。  (p.87-88)
             【日常生活の中にある美】

 

 

【 「アイゴ」 と叫び慟哭する韓国人】
 韓国人は大げさだ、と日本人は口をそろえる。韓国人が「アイゴ」と叫びながら慟哭する姿が強烈な印象をあたえるのだ。従軍慰安婦が日本に抗議する場面でよく見かける悔しさと悲しさがクライマックスに達したとき、両手を大地に振り下ろしながら「アイゴ」と叫び、慟哭する。それが大げさに見えるのだ。
・ ・・(中略)・・・。
 アイゴと叫べばすべての憂さが晴れ、心は安まる。ストレス解消には非常に効果を発揮する感嘆詞だ。韓国人のカタルシスにアイゴは欠かせない。  (p.108-109)
 韓国映画などでも “激情に身をゆだね慟哭する” シーンを見ることはあるけれど、それらは、大げさに見えるというよりも、“韓国人と日本人とは、どこまでも異質な民族だなぁ” と感じている。
 少なくとも、日本人である柳宗悦が、韓国の白磁の壺に美を見出したのは、そこに激情や慟哭とは相対する静寂な安寧を見ていたからであろう。
 韓国の陶工たちが、有田焼や薩摩焼の祖となっていることは、最近の読書記録の中に書き出してきた。
   《薩摩焼:参照》  『上品で美しい国家』 日下公人・伊藤洋一 (ビジネス社)
               【日韓文化力の差 : 日本が保持し高めた韓国の職人技】
   《有田焼:参照》  『日本オリジナルへの旅』 呉善花 日本教文社
               【陶山神社 : 日本に渡り陶祖となった李参平】
   《陶芸:参照》   『歪みを愛でる』 川尻潤 (ポーラ文化研究所)
               【朝鮮の陶器】

 韓国の陶磁器に美を認めたのは日本人であり、その美が、「アイゴ」と叫び慟哭する韓国人に理解できるとはとうてい思えない。そのような韓国人にとって陶磁器とは、美を湛えた芸術品などではなく、ストレス発散のために壁に向かって投げつけるための物でしかなかったのではないだろうか。
 韓国で蔑まれた陶工たちは、かつて阿蘇山噴火の折に朝鮮半島に渡った日本人の子孫であり、「アイゴ」と叫び慟哭する人々は、漢半島を原住地とした専らの朝鮮人であるとするなら、私にも納得できる。

 

 

【ハングルをめぐる攻防と日韓の違い】
 愚民の不利益を心配して文字を作らせた王、君主は世宗大王のほかにはいない、と韓国人は自慢する。・・・(中略)・・・。苦労して難しい漢字を学んでいたヤンバン(両班)たちにとって、愚民が簡単に文字を読めるようになると不都合だったのだ。
 ハングルが公布された後、ヤンバンたちは覚えやすい文字だということから、女文字だとか諺文(「劣った文字」という意味)とか言いがかりをつけて普及を妨げた。
 韓国において、支配階級が、儒教(科挙制度)を政治的に用いたのは、民衆の教養や道徳的確立のためではなく、あくまでも階級差別的支配を制度化するためであったというのが紛れもない事実である。
 少なくとも日本では、「幼長の序」を尊ぶ儒教を、動乱を再発させかねない下克上の発生抑止を目的として制度化したところはあったけれど、その他多くの儒教徳目は、民衆レベルで道徳として咀嚼され吸収されたのである。それはひとえに、大和言葉とその基盤となっている神道が古来から日本にはあったからである。

 

<了>