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 著者の呉善花さんは、もう日本に20年以上住んでいるのだろう。外国人だからこそ異文化の視点で日本文化を比較相対的に深く照らし出すことができる。日本のあらゆる伝統芸能や文化に、直接触れ、経験し、体験して、この書籍を著している。外国生まれの人々の中でも、これほど真摯な日本文化探求者はいないだろう。敬服に値する。

 

 

【日本人と自然】
 伝統技術の専門家たちは明らかに、「自然生命の声を聞く能力」 をもっている。そう思わずにはいられない。そんな能力は一般人にはないというけれども、日本語の表現には 「木々がささやいている」 とか 「風が呼んでいる」 とか、自然をあたかも人間と同じように見なす表現がことのほか多い。こうした表現は擬人法といわれるが、日本人ははたして自然を人間に擬しているのだろうか。そうではなく、無意識のところで「同じ」と感じているのだと思う。
 日本最古の書物 『古事記』 にはたくさんの神話が載せられているが、そこには 「草や木が話をする時代」 があったと書かれている。それらの日本神話は、自然の擬人化以前に自然と人間を同じものとみなした精神の時代があったことを、はっきりと浮かび上がらせてくれている。    (p.16-17)
 これについては、日本語の周波数帯域に関連している。
            【日本語と自然音】
 

【日本人の美意識と倫理の関係】
 定型とは長い時間かけて日本人の美意識が極まった一つの形である。この定型を受け入れていくと、どのように生きることが正しいかよりも、どのように生きることが美しいかをより強く意識するようになる。そこでは倫理は美意識と分かちがたく結びついていて、外側から人を規制するものとしてではなく、内側の自由を求めての行為を呼び起こすように働く。    (p.21)
 外国人が日本に来ると、たいていの人が 「日本人は礼儀正しい」 「思いやりがある」 「秩序を保つ」 などの印象をもつ。体系的な宗教教義とはほとんど無縁な人が多い日本で、なぜそうなのか不思議だと外国人はいう。韓国や中国ほどに、儒教の影響が強いわけでもない。これだという道徳や倫理の基準がはっきりしていることもない。善悪感もきわめて相対的である。
 私の考えでは、日本では礼儀正しいことは、倫理・道徳にかなった振る舞いというよりは、美しい振る舞いとしてあるのだ。着物を着れば、倫理的、道徳的に立派な振る舞いが刺激されるというよりは、美しい振る舞いが刺激されるのではないだろうか。正しい生き方をいうよりも、美しい生き方をというのが日本人である。 (p.100-101)
 そのとおりだろう。

 

 

【和菓子と呉服】
 「和菓子の模様や色彩の発展は着物の柄の発展と同じですね」
 村上さんによれば 「京服・京菓子」 と言われるほど、和菓子の意匠の変遷は、着物の柄とときどきの移りゆきとともにあった。    (p.42)
 呉服屋さんがお客さんへのお土産として和菓子を使うようになったことが大きかったのだという。
 なお、和菓子は洋菓子のように脂を使ってないので太らないという。和菓子→甘い→太る、という図式は誤り。

 

 

【陶山神社 : 日本に渡り陶祖となった李参平】
 JR佐世保線有田駅から東の線路沿いの大樽駅に、有田の伝統精神の中核ともいえる陶山神社がある。
 ・・・(中略)・・・。
 しかしながら、ほんとうの驚きはその直後にやってきた。ふと由緒書きに目を通して見て、この神社には李参平と佐賀藩主・鍋島直茂が主祭神の応神天皇とともに祀られていると知ったからである。「まさか!」 と、心の中で大声が身体中に反響していた。
 李参平が日本の陶器の始祖としてこの神社に祀られていることは知っていた。しかし私は、神さまとして祀られているとは想像だにもしていなかったのである。 
 李参平らが朝鮮半島で陶工をしていた李朝の時代は、最も厳しい身分階級社会であった。陶工を含めて技術をもった人(日本でいう職人)たちは、最下位の身分層に属していて人間以下の存在と見なされていた。そんな身分の人物が、日本に渡っては神となり、永遠に日本人の心に残る存在となっていた。李参平ら朝鮮の陶工たちは、日本に渡ったことで運命が逆転した。
 「強制連行」 という一方的な視点からのみ朝鮮陶工を見ようとする政治主義にも、私は以前から疑問を出している。・・・(中略)・・・。江戸開幕となって、朝鮮陶工らを故郷へ戻そうと、幕府が各地に帰国希望者を求める触れを出したことが、近年、九州で発見された立て札から明らかになった。そして、帰国を希望した者の痕跡が全くないことも。   (p.135 - 137)
 現代の韓国においても、職人の社会的評価は低いようだ。韓国でアカスリの仕事をしていた女性が、日本に招かれて日本人の女性たちにそのやり方を教えていたら 「先生」 と呼ばれて、とてもビックリした、という話しが、呉善花さんの他の著作の中に書かれていたのを覚えている。

 

 

【伊勢の遷宮で新造されるもの】
 驚いたことには、遷宮のときには建物や宇治橋を建て直すだけではなく御装束と神宝のいっさいを新造するということだった。
 御装束とは正殿の内外を奉職する絹布や天照大神の服飾などの御料(皇族の使われる品物)の総称で、525種。1085点。神宝とは織機、武具、楽器などの調度品の数々で189種、491点。矢野さんの 「これによって伝統工芸の優れた技術が守られるのです」 との言葉の背景には、これまで実に61回にもわたって新造され続けてきた、目もくらむばかりの歴史がある。   (p.197-198)
 遷宮が20年に一回行われるのは、人によって継承される伝統技術が途絶えることのない間隔だから。
 なお、遷宮間隔である20年に1回という決まりの元は、下記リンクに記述されている。
             【持統天皇による「民草和気の道」】

 

 

【日本の庭園】
 日本に庭は、自然景観を見立てたもう一つの自然景観、いってみればバーチャルリアリティとしての自然景観である。庭と自然の間には作庭者の見立てという見えない橋が架かっている。その見立ての妙にこそ庭の生命がある。おそらく脳は、五感で受け入れた景観の背後に見立てという見えない橋の存在を感じ取っている。そうして感じ取られた情報は、すでに五感で感じられたままのものとは大きく異なっているはずだ。
 枯山水に関しても、日本人は見立てという言葉で表現するけれど、ヨーロッパ人は哲学的に解釈したがる。日本人は哲学なんかしない。見立てを使って脳内フラクタル転位を楽しんでいるのである。
 ところで、○○県立農林高校の敷地内にある枯山水を見たことがあるけれど、そのとき、私は腰を抜かしそうになった。なんと、枯山水の中に、機械的に円筒形に成型された石燈籠が等間隔に置かれていたのである!。日本文化および伝統芸能に共通する “見立て” という作法が全く理解できていない!。超がつく愚作である。超愚作といって済ませられるであろうか。指導者の日本文化的資質のド貧困ぶりはみっともなさすぎる!!!

 

<了>