2002年頃の呉善花さんのホームページに記載されていた内容を記載しておきます。

 

 

 

【韓国人の「日本」理解プロセス】
 私は日本に住むようになって18年になりますが、韓国人が日本を理解していくプロセスには、一つの典型的な形があるように思います。この形を知っておくと、韓国人以外の外国人が日本を理解していく場合にも、日本人自身が日本のことを外国人に説明していく際にも、かなり役に立つのではないかと思います。
 まず日本に来て1年目は、街がきれいだ、人々が親切だ、秩序がよく保たれていて安全だといういい印象が目につき、とても好感をもちます。2年、3年目となって一歩踏み込んだ付き合いをしていくようになりますと、習慣や価値観の違いにぶつかって悩みます。謙虚な態度が卑屈に見えたり、自分の意見を強く主張しないので腹を割って話してくれないと感じたり、他者への気遣いが逆に壁を作っているように感じられたり、といったことが出てきます。そうしたことからさまざまな行き違いが積み重なり、日本人は何を考えているのかわからない、と嫌いになっていく人が多いのです。
 それでもなんとか理解していこうという気持ちをもち続けて付き合いを深めていきますと、行き違いの背後にある日本人の真意がだんだん見えてきて理解が深まり、日本が好きになっていくのが5年くらい経ったころです。たいていの韓国人がそんなプロセスを通っています。異文化接触から異文化理解へということでは、大なり小なり、どこでも似たようなことがあるのではないかと思っています。

 

 

【日本の美意識は理解されにくい】
 日本人の物事に対する考え方や感じ方は、その背景にある美意識のあり方がわかると、とてもはっきりしてきます。それはいわゆる「もののあわれ」「わび・さび」といわれている美意識です。これは「枯れた美の味わい」とか「可憐な命への慈しみ」といったものと言っていいでしょう。「満開の花」や「溌剌とした命」を愛でる感性は世界共通ですが、この「もののあわれ」的な美意識が、外国人にはなかなか理解できないのです。
   (チャンちゃん注: 日本文化講座 ⑥ 【 茶道 】 参照)
 もう一つは「奥行き」ということです。表面は何気なさで装い、奥のほうの直接見えないところに本格的なテーマが隠されていて、そこを感じるセンス、感じさせるセンスを日本人は重要視します。おしゃれにも、建築にも、街づくりにもそうしたセンスがたゆたっています。
 韓国人に特徴的なのは、外面をどれだけパーフェクトに飾るか、作るかというセンスです。表面重視で奥行きを読み取る力は強くありません。これは他の外国人にも言えると思います。そのへんで、日本人の表現は実にあいまいで、裏で何を考えているかわからないとか、本音と建前が違うとか言われることにもなっているようです。
 韓国人は、少しでも仲良くなった相手には、自分の内面をさらけ出すように辛いことや悩みなどを話します。そういう関係が信頼しあえる関係なんです。でも日本人は、いくら仲が良くても言うべきことには限度がある、はっきり言わなくても互いに察し合うのがいいと考えます。すると外国人は「なぜ言わないことをわからなくちゃいけないのか」と疑問を持つわけです。日本人としてははっきり言うと美意識に反する場合がある、そのへんがなかなか通じないんです。
 今の日本の中には大きく分けて、欧米的な世界、農耕アジア的な伝統世界、そしてもう一つ、農耕アジア以前に由来する世界の3つがあると私は理解しています。この3つ目の世界を私は「前アジア世界」と呼んでいますが、これは自然と人間をあまり区別することなく生きていた時代の感覚・感性です。「もののあわれ」的な美意識も、そこに根拠があり、後に仏教の無常観と結びついてできたものではないか思います。この3つ目の世界こそ、日本を理解する最大のカギなのです。
   (チャンちゃん注:この3つ目の世界こそ、神道の世界ですね。神道のことを「かんながらの道」とも言います。)
 しかしながら、これを歴史以前の原始未開の野蛮で幼稚な精神だと簡単に無視して、まともに目を向けていこうとする外国人がとても少ないんです。でも理屈の上では理解できるはずですし、自然と人間の将来を考える未来的な意義があると気付いている外国人も、最近では増えてきているように思います。
 
<了>