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 金大中政権以降、文化開放政策で日韓間の文化・情報交流が盛んになったけれど、同時に、北朝鮮と韓国の間でも多くの情報が開示されるようになったらしい。それらの北朝鮮情報が操作された情報だったとしても、韓国の北朝鮮に対する親密度は、高まったと書かれている。 チャンちゃんの経験でも、そのころ日本に来ていた韓国人留学生に「出身地自慢」をしてもらったら、「私の出身地は、キムジョンイルのお母さんの出身地です」とえらく自慢げに言ったので、かなりビックリしたことを思い出していた。
 特に新発見があったのではないけれど、復習のような長い読書記録になってしまった。タイトルよりも、「韓国人から見た日本」として読める部分の方が多い著作である。2003年10月初版。

 

 

【北朝鮮は李朝の社会主義版】
 北朝鮮はこの李朝の社会主義版だ、というのが、私が従来から主張してきた考えである。
 北朝鮮の統治思想も、政治制度も、その過酷な政治支配のあり方も、みな李朝を「手本」としている。李朝の専制主義から、小中華思想、事大主義、中央集権主義、攘夷思想、侮日観、父系血縁主義、美意識に至るまで、見事なほどにその伝統を継承している。なおかつ、李朝の弱点を巧みに補強している。
 そうしたことから私は、北朝鮮のルーツは李朝にある。
 李朝がわかれば北朝鮮がわかる ―――。
 と考えている。(p.22-23)
 李朝は専制主義政治だったという内容がやや意外に思えたけれど、小中華思想なのだから、現在の中国のように、専制的な政治だったのは、まあ当然といえば当然なのである。国のあり方は、そうそうたやすく変わるものではないだろう。
 北朝鮮は、単に強圧的な政治支配に都合がよいから、李朝の専制主義政治やイデオロギー政策を真似したわけではない。北朝鮮が採用した社会主義国家の制度そのものが、李朝をはじめとする東洋専制主義国家の政治制度ときわめて似ていたからである。(p.36)

 

 

【李朝の総改修と北朝鮮の総改修】
 李朝は暴力的ともいえる徹底性をもって、朝鮮半島全土を巨大で単一な儒教文化ローラーで余すところなく圧し固め、見事なまでに均一にならしていった。伝統的で多様な文化・習俗は、朱子学による倫理・価値観の型枠にはめられて大きく変形し、しだいに元の意味を失っていった。国家ぐるみの総改修が行われたといってよいだろう。(p.35)
 これに対して北朝鮮は、最初はマルクス・レーニン主義のローラーで、途中から儒教の社会主義版というべきチュチェ思想(主体思想)のローラーで、均一にならして国家ぐるみの総改修を行った、と書かれている。

 

 

【儒教の最高徳目に関する捉え方】
 儒教の最高徳目は孝である。日本では一般に、孝といえば親孝行のことで両親への敬愛の範囲を出るものではない。しかし、孝とは両親とともに先祖に対する孝であり、同時に孝は子孫を増やすこと、つまり結婚して子ども、とくに一族を継ぐべき男の子を生むことまでを含んでいる。そのように孝は、血縁一族を貫く最高の倫理なのだが、それ以上に臣下に忠の倫理を求めなくては国家は統治できない。そのため、中国や朝鮮半島の為政者たちを常に悩ませていたのが、この孝の倫理だったのである。(p.51)
 日本も中国も朝鮮半島も、「忠と孝(公と私)」に関する捉え方に苦心してきた。しかし、結果は異なっている。
 日本は「忠」を上に、中国と朝鮮半島は「孝」を上に定めている。
   《参照》   日韓文化比較
             【儒教文化】
   《参照》   『孝経』 竹内弘行 (たちばな出版)
             【忠と孝】
             【上下関係】
 中国や朝鮮半島では、血縁一族をアイデンティティの基盤として主君に従う、という形態をとることになってくる。そして、最終的にどちらをとるかとなれば、孝をとることが道義にかなったこととされる。(p.52)
 韓国と北朝鮮が行ったのは、民族主義と孝の倫理を一つにすることであった。つまり、「わが民族」とはそもそも、われわれのすべての先祖とその子孫である私たちのことにほかならない、そのように民族は歴史的に一つのものとしてあり続けている ――― というように、国家=民族=家族という考え方によって、一族を貫く孝の倫理を国家レベルに拡大させたのである。これは、「単一民族国家」だからこそできたともいえる。
 小宇宙としての一族が寄り集まって大宇宙としての民族が形づくられており、一族の先祖への孝はそのまま民族=大先祖への孝につながっている。
 そのように、韓国も北朝鮮も「われわれは一つの民族だ、民族あってこその国家だという民族主義の浸透によって、孝か忠かの問題を解決していこうとしたのである。(p.54)
 朝鮮半島では、本貫という血縁一族のルーツを守る考え方が根強く存在している。
 中国においては、宗族という血縁共同体によって血族は維持されている。
   《参照》   『小室直樹の中国原論』 小室直樹 (徳間書店) 《中編》
             【宗族】
             【日本と中国の根本的な違い】

 

 

【天帝:天子=父:息子】
 東アジアでは国王つまり君主のことを天子とも呼んだ。天子とは古代中国の天命思想でいう、「天上の最高神である天帝の息子の資格を持つ者」を意味する。 ・・・(中略)・・・ 。
 天帝と天子の関係は一族の父(先祖)と息子の関係に対応し、天子が天帝を祀るのは息子が父(先祖)を祀ることに対応している。儒教はこの対応を、国家統治の思想としてより明確なものにしていった。つまり、「家族(の道徳)」と「国家(の法)」をひとつながりのものとすることから、国家統治思想を展開したのである。
 北朝鮮の金一族による世襲制は、このような意味を持つからこそ、専制国家的な大行事になってくる。
 日本の金ちゃんファミリーは血縁のないお笑い徒弟ファミリーだけれど、北朝鮮の金ちゃんファミリーは天命思想に裏打ちされたものとして、その存在は民族思想の主柱となっている。

 

 

【ハヌニム】
 韓国・北朝鮮では天のことを「ハヌル」というが、朝鮮半島では中国の天帝にあたる天上の最高神を「ハヌニム(天さま)」と呼んできた。「ハヌニム」は日本の神々のような人格神ではなく、唯一絶対神の象徴的な存在としての「天なる父」である。
 そのため、韓国人にはキリスト教の「天なるお父さま」という祈り方が、とてもピンとくる。 ・・・(中略)・・・ 興味深いことには、プロテスタントでは「ハナニム」とも呼ぶことである。「ハナ」とは「ひとつ」のことだから、「ハナニム」は「唯一さま」ということになる。(p.56)
 「天帝思想」と「唯一神思想」は馴染みやすいだろうと誰でも想像できるけれど、「ハヌニム」と「ハナニム」の類似まであったとは、「へぇ~」である。

 

 

【「反日」の根拠】
 戦後の韓国政府は、日本の植民地支配それ自体への批判から反日政策を遂行したのではない。植民地支配を日本民族に固有な歴史的性格に由来する「反漢民族的犯罪」と断罪することによって、人々を「反日本民族・民族主義」へと組織したのである。つまり反日の根拠をなすものは、植民地支配それ自体ではない。そうした事態を招いた日本人の「侵略的かつ野蛮な民族的資質」にあるというのである。
 ここがわからないと。戦後60年近くを過ぎたいまなお反日意識が強固なものとしてある理由がわからない。また、日本人は未だに反省していないとか謝罪が足りないとか、竹島問題にからんで、日本はいまなお韓国を侵略しようとしているなどの発言が出てくる理由もわからない。(p.90)
 この本に中にも『海游録』からの引用が何箇所かあるけれど、下記リンクのコメントの一番最後に書いた一文は、まことにその通りなのである。
   《参照》   『明治という国家[上]』 司馬遼太郎 (日本放送出版協会)
             【『海游録』(平凡社・東洋文庫・姜在彦訳)という本がある】
   《参照》   『嫌韓流』 山野車輪 (晋遊舎)
             【韓国人の反日の精神的核】

 

 

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