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 東京を不在にし地方に出ている最中、手持ちの本がなくってしまい、まとまった時間の取れない状況で、章ごとに区切られた文字数の少ないこの本を選んで買った。
 私は、古典を好むような正統教養派のマジメな良い子ちゃんではない、全然。昔も今も、私はウルトラ脱線おバカな人生を歩み続けている。ただ、終戦直後に活躍していた教養ある企業人の皆さんの書いた本を読むと、古典の内容がしばしば言及されているので、その流れで中途半端に知っている程度である。


【忠と孝】
 父につかえるその心で、転じて母につかえる、その心は同じ愛である。
 父につかえるその気持ちで、転じて君につかえる、その気持ちは同じ敬である。
 故に、母には愛の心でつかえ、君には敬の気持ちでつかえ、母につかえる愛と君につかえる敬の両者を兼ねるのは父である。
 それ故に、父につかえる孝の心で君につかえるならば、それが忠であり、敬の気持ちで年長者に使えるならば、それが順である。 (p.49-50)

 多くの日本人達は、「忠ならんとすれば孝ならず、孝ならんとすれば忠ならず」 と悩んできたのに、この中国で普及している 『今文孝経』 は、たいそう割切りの良い表現をしている。
 日本人は、“国” という言葉より “国家” という言葉で日本を語ってきたのである。つまり家の集合体が国であると。江戸時代、幕藩体制下・家制度の中で儒教を咀嚼した日本人達は、中国とは異なった社会文化の中で、忠と孝のジレンマに遭遇していたのであろう。
 中国人にとって君とは皇帝であり、日本人にとって君は天皇であるが、父と君の中間に位置し、しかも父でも君でもない藩主は、幕藩体制下・家制度の中にあって父と君の両方の側面を持たねばならなかったのである。


【庶民の上に立つ士】
 『論語』 憲問篇に 「士にして居(さと)を懐(おも)ふは以って士となすに足らず」 とも言われていて、生まれ育った土地からの独立も要請されている。(p.52)

 この内容についてどうこう書くことはない。
 私は、たまたまこの本を岩手県盛岡市で買って読んでいた。JR盛岡駅の構内には、岩手県出身で歴史に名を残した先人達がパネルで紹介されていた。よく知られた文学者の宮沢賢治や石川啄木の他に、『武士道』の新渡戸稲造や、台湾総督や満鉄総裁を勤めた後藤新平や、政治家(首相経験者)の原敬、米内光政などである。明治維新以後の日本近代史に欠くことのできない人物がこれほど多く岩手県から排出していたとは・・・・・・とビクリしていたのである。


【「忠臣蔵」の原点】
 心呼愛矣、遐不謂矣、中心蔵之、何日忘之。 (p.192)

 これは、君に仕える心得として、『詩経』 の中に記述されている文章で、後半は、「君主をしっかり “心の中に抱いて” いるならば、君主を忘れる日などあろうはずがない」 という意味。
 「忠臣蔵」 の原点が 「中心蔵」 であるなどと言えば、冗談の語呂合わせかと思ってしまうが、意味から辿れば確かに原点の原典らしい。


【上下関係】
 儒教経典 『礼記』 内則篇にも、「父母に過ちあらば、気を下し色を怡(よろこ)ばしめ、声を柔らかにし以って諌めよ」 とあり、「諌めても入れられざれば、超に敬して超に孝せよ」 として、さらに、それによって怒りをかって鞭打たれても怨むな、とまで言っている。ややもすれば、儒教の思想を絶対服従の奴隷道徳のように見る向きもあるが、その骨格にはこの 「諫言」 にみられる反抗をみとめる思想がある。 (p.213)

 今日の私たちはこれを知っているが、歴史上で儒教が社会規範として利用されてきた時代は、どこであれ、支配者にとって都合の良い解釈が付されてきた。
 そもそも、日本の習慣法の基礎であった神道的発想の中では、このような問題は生じてこなかったはずである。神道では、「神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添う」というように、神対人間の関係性が全ての基本であった。孝と忠の相反する矛盾点なども、人間対人間の視点で社会規範を考えようとした儒教思想圏内で不可避的に発生するエラーなのだと私は考えている。
 日本の神々には絶対神は存在ぜず、垂直的系列はあってもあくまでも権限に関するものであって、なおかつ神々はそれぞれ個々に水平分業域を持っているのである。このような神を有する神国の日本人が、人間と神との間において判断しようとする場合、そこに関わってくるからといって人間と人間の関係性を定めた倫理道徳を判断基準に持ち込むことは、そもそも間違っているのではないだろうか。
 少なくともはっきりしていることは、“儒教思想で混乱する場合、日本古来の習慣法の基礎である神道思想に立ち返ればよい”、ということである。


【世界最古の『孝経』】
 1983年に岩手県水沢市の国指定史跡・丹沢城跡から出土した漆紙文書の 『古文孝経』 写本が、奈良時代(710~784)末のものとみられる世界最古の『孝経』写本である。 (p.221)


 先にも書いたけれど、私はこの本を盛岡で買って読んでいた。
 今、東京に戻って、『全国神社開運案内』(たちばな出版) という本で調べてみると、岩手県水沢市にある一宮、駒形神社のことが書かれている処にはこうある。

 駒形大神の本当のお姿は獣の姿に化身された天常立之大神様であり、4つの又の名を持たれる 「勇壮な心と壮健な身体を作る教育の神、武育、訓育、徳育の神」 である。それでなければ、古来より多くの武将の崇敬を集め一宮になるはずがない。 (p.64)

 中国系の聖人によってもたらされたであろう『孝経』。それらの聖人(神人)は、日本神界に帰属し、特に岩手県や宮城県に鎮っているのだという。私が岩手県でこのような本を買って読む気になったのも、偶然にみえて必然なのだろう。 

 

 

<了>