《前編》 より

 

 

【兄妹の順序】
 これは、タテ社会の解析に入る前の蛇足。
 兄妹の順序は、「伯、仲、叔、季」 で表されるが季とは兄妹の末という意味である。(p.154)
 中国の古典を読むときに役立つので書き出しておいた。
 これが中国人の排行名ということになる。日本人の方が分かり易い。
   《参照》   『名前の日本史』 紀田順一郎 (文藝春秋)
              【排行名】

 

 

【宗族】
 宗族はまた必ずしも同一地方に集い住み同族部落を形成していたわけではない。(p.147)
 中国の宗族は、韓国の本貫ほどに地縁との結びつきは強くない。
 日本と中国・韓国を比べると、日本は血縁に関する意識はそれほど強くはないのである。
 学問的(人類学的、社会学的)に分析してみると、日本は昔も今も母系社会ではない。
 また、すでに論じたように、日本は父系社会でもない。父系社会または母系社会を血縁社会と呼ぶならば、日本は血縁社会ではない。
 これに対して、中国は父系社会である。日本人の社会観が通じないこと、この事だけでも察せられるではないか。(p.169)
 学問的分析を経ずにポヨヨ~~~ンと思っているだけなら、日本は血縁社会だろうと、安易な考えを持ってしまう。しかし、中国・韓国と比較すれば日本は確かに血縁社会とはいえないのである。
 たとえば、生まれてくる子供の国籍に関して、韓国では、父親が韓国人でなければ韓国人になれないことを明確に定めている。日本はどっちでもいいのである。
   《参照》   『外国人との共生』 横山晴夫 日本図書刊行会
                【国際結婚の国籍】

 この一事を見ても、韓国は厳然たる父系社会を維持する意志のある国家であることがわかる。父系社会だからこそ夫婦別姓にして、父系に同ずることができないよう女性を別姓のまま区別し差別しているのである。
 夫婦別姓が男女同権社会へ向けての必要な基本的制度であるという見解は、知性ではなく痴性による考えなのである。ついでに書いておけば、格差社会へと進行している状況下で夫婦別姓にすれば、平均的な女性は押し並べて困窮することになるだろう。
   《参照》   『中国人の99.99%は日本が嫌い』 若宮清  ブックマン社
              【中国女性の野心と野望:夫婦別姓は男女同権か?】

 米国IBMや中国IBMにおける女性幹部の比率が高いのは、アメリカにおいても中国においても男尊女卑の傾向が日本より明らかに強い社会だからこそ、女性は必死に社会的成功を目指す、という原因が先にあるのである。
 才能を発揮したい日本人女性は外資系企業に行けばいい。能ある鷹は爪を隠して日本人のメリットを生かしたい女性は、日本企業に就職すればいい。
「大人ドリル」 という番組で、日本企業の国際的出後れに関して、NHK解説委員の3人がそれぞれ提案していたけれど、一番年配の男性解説委員が、「女性の幹部を増やすこと」 と言っていた。これは疑問である。
   《参照》   『水素革命近未来! 教育における革命』 高橋誠一郎 (あ・うん)
               【女性の社会進出がもたらすもの】

 あれ、だいぶ横道にそれた。本筋は、中国のタテ社会共同体(宗族)の問題である。

 

 

【日本と中国の根本的な違い】
 この小見出しの結論に至る過程として、血縁社会ではない日本の共同体から見て行くと、
 高度成長の10年間に日本の村落共同体は壊滅した。
 中国とも欧米ともちがって、日本には血縁共同体はない。宗教共同体(例:イスラム教共同体と比べてもみよ)もない。日本の共同体は、すべて、協働共同体(いっしょに仕事をすることでできる共同体)である。(p.172)
 つまり、日本においては農村から企業へと協働共同体が移っていった。
 ならば、中国も同じようになるかというと、
 答えは、ならない。中国の会社(企業)が共同体になることはない。その傾向さえない。志向さえない。その理由は何か。
 中国には血縁共同体・宗族が存在するからである。ゆえに、急性アノミーが起きかかったとしても(人民革命や文化大革命に際しての大量徹底的大虐殺、洗脳、毛思想の否定などは、急性アノミー発生の可能性を示唆している)、あるいは発生しても、血縁共同体が吸収して、中国解体まではいたらない。
 血縁共同体のあるなし。
 これこそが、中国と日本との根本的ちがいの一つである。(もう一つの根本的ちがいは、?辞のあるなしである)。(p.174)
 私自身、韓国も中国も経済発展すれば、そのうち日本と同じような社会になるだろうと思っていたけれど、この本を読んでみて、それがかなり安易な考えであったことに気付く。
 血縁社会ではない日本が、格差の進んだ社会へと変容し、企業協働共同体としての実質が機能不全となったことによって、日本は社会の背骨となる共同体を失いつつある。
 韓国や中国が、どれほど大きな経済危機を経験しても、韓国や中国には、最終ラインに父系血縁社会という社会の背骨となる共同体が確実に残っている。宗族という血縁共同体と共に規範が維持されるが故に、国家は存続するであろう。この点から見れば、最も危険なのは現在の日本なのである。

 

 

【 「陽儒陰法」 】
 もっと大事なポイントがあるのだ。それを押さえておかなければならない。それは ――。
 中国における統治機構は、じつは二重構造だったという事実である。すなわち、表向きは儒教で国を治めてきたのだけれども、実際は法家の思想で統治してきた。これを 「陽儒陰法」 と言う。(p.179-180)
 法家の源流は管仲であるとして記述されている。
 管仲に有名な言葉がある。「倉廩(倉庫)実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」(『管子』「牧民」)と。経済政策を第一にして、国を富ませれば倫理道徳もよくなるというわけ。つまり、儒家と法家の思想とでは政策の優先順位がちがうこと、ここでもおわかりか。(p.192)
 儒教の中にも 「衣食足りて礼節を知る」 と言う似たような文言はあるけれど、儒教の思想は、君子がめざす 「礼」 の思想である。 法家は、身分を問わず信賞必罰を明確にする 「法」 によって、富国強兵をめざしていた思想である。
 学校の世界史では 「性善説の儒家、性悪説の法家」 などという説明で終わっているのだから、これでは何の本質も分からない。分かるわけがない。
 法家の思想を表に出したのは、秦の始皇帝くらいものだろう。乱世では武が表に現れやすいから、法家といえば苛烈な思想に思われ易いけれど、あくまでも基礎は、松下幸之助さんが提唱したPHPと同じである。
 異なる民族が東西南北に何処にでも移動しやすい大陸国家において、マイナス面として生じざるをえない現実を踏まえているからこそ法家思想が生まれたのだといえる。

 

 

【世界史上、極めて稀な日本の政治】
 中国人はうわべは儒教だが、実際は権謀術数、冷徹な人間学に長けた法家の思想で国を治め、政治を行ってきた。だから、中国人は政治の名人になった。これに対して日本は、道徳一辺倒という儒教しか採用しなかったから、本当の意味で冷徹な政治学を知りはしない。かくして今の世界で、日本ほどの政治音痴の国はないという、大変な弊害を齎すことになってしまったのである。(p.203-204)
 失笑しつつ、この事実を受け入れざるをえない。
 でも、まあ、それで長いことやってこれたと言うこと自体が、日本人の平穏さを物語っているのである。
 つまり、国内的には○、国際的には×。こういうことは政治に限らず日本にはたくさんある。

 

 

【西洋思想と中国思想の対比】
 ・レッセ・フェール ・・・ 老荘の思想 (無為自然)
 ・ケインズ主義 ・・・・・ 儒教    (よい政治)
 ・社会主義 ・・・・・・・ 法家の思想 (統制)     (p.184)
 (カッコ)内は、本文を解釈して私が添えたもの。
 このような対比は、特定な側面を捉えた場合のみ可能になることだけれど、相互に理解しやすくなる場合がある。

 

 

【中国において粛清が皆殺しになる訳】
 中国の場合は宗族制だから、処刑するときの九族(宗族)皆殺しということをやる。 ・・・(中略)・・・。中国では人間が死んだあとどうなるかと言うと、魂と魄に別れると言い、魂は天に昇り、魄は地に潜る、と言う。そして子孫がお祭りすると、天からは魂、地からは魄が帰ってきて、また合体して生命を取り戻すことができる。だから、子孫を残してお祭りしてもらうということが中国人にとっては最も大事。ところが子孫(宗族)が死に絶えてしまうとお祭りは行われない。すなわち、もう生き返れない。本当に死んでしまう。化けて出られなくなる。だから粛清は宗族(子孫)皆殺しにする。(p.200)
 中国人は、肉体をもった世界だけに思念が集中している。日本人は、死んでも怨霊となって対象となる人物を皆殺しにできることなど知っているから、そんなに子孫に頼らない。霊界技なら日本人の方が上である。