《中編》 より
 

 

【 「丹青」 にたれる中国的殉教】
 『史記』 「刺客列伝」 の予譲のストーリーに言及している。
 友人の 「いったん家来になって、隙をついて暗殺すればよいではないか」 との忠告に対する予譲の答えを思いだしていただきたい。
「わたしが至難の道を選んだのは、後世の人々に、二心を抱いて君に仕えることを愧じさせるためである!」
 中国人は、「丹青」 にたれる(歴史の手本となる)ためならば、どんなことでもする。身を傷つけ生命を捨てても悔いないのである、 ・・・(中略)・・・ 。
 暗殺行を決行して生命を失う。その報酬は、歴史に名を残すことである。
 刺客は義士であり代表的中国人と看做されている。殉教者である。
 その報いとして歴史に名声を残す。これが、個人の救済(salvation)である。このことが、「刺客列伝」 によっても、再確認された。(p.252-253)
 中国人は、ゴルゴ13のように金銭による報酬を受け取るためにビジネスとして暗殺を請け負うわけではない。
 中国人にとっての聖典は、宗教ではなく歴史なのである。 “歴史” 。 

 

 

【インド文明に唯一勝った中国の「歴史」】
 宗教・・・論理学などの諸分野において、インドは中国より格段に文化が高かったと言えよう。が、文化のすべての分野においてインドが中国よりも高かったのかと言うと、そうとも言えない。
 反例(counter - example)の最たるものは歴史学である。(p.256)
 現実の背後にある抽象的世界を重んずるインド人は、現実と言う具象的世界に生きる中国人のように、特殊人間の生き方に関わる歴史になど興味はないのである。そもそもインド人にとって、たかが数千年の出来事など刹那にすぎない。歴史学など、はなから意味がない。

 

 

【持続の帝国:中国】
 ヘーゲルは、世界精神の展開過程とみる歴史観をもっているけれど、中国史を読んで・・・
 革命(易姓革命)によって王朝が倒れても、その後には全く同型な王朝が成立して、全く同じような政治を行う。呆れはててヘーゲルは、「かかる没落は決して真実の没落ではない」 と言った。(『歴史哲学諸論』)
  ・・・(中略)・・・ 。
 ヘーゲルは結論づける。

 それは持続の帝国(Ein Reich der Dauer)である。
 いいかえればそれは己れを己れ自身から変化させることができない。 (同右) (p.282-283)
 中国史に関して、李登輝さんもヘーゲルと同様の見解を示している。
   《参照》   『最高指導者の条件』 李登輝  PHP
              【中国史は 「輪廻の芝居」 】

 

 

【歴史と中国】
 現在の中国人から歴史の知識と興味が失われたとしても、中国史の法則は、依然として貫徹していると断言してもよかろう。(p.290)
 歴史を貫徹している社会法則は、滅多なことでは変わるものではない。ウェーバーも、人間の基本行動様式(エトス)は、滅多なことでは変わるものではないことを強調している。
 人民革命や文化大革命にもかかわらず、毛沢東の教育にも関わらず、中国史を貫く社会法則は不変である。こう考えるべきである。
「古(いにしえ)を鏡とすれば興替を知るべし」 とは、唐の太宗李世明のときに正しかったごとく今も正しい。中国の本質を知るは歴史にあり。 (p.292)
 この著作が、この立場で著されていることは、言うまでもない。

 

 

【中国に必要なのは 「経済学援助」】
 中国の経済発展を阻んでいる理由は数々あれど、その根本の一つが経済学未熟。
 いまの中国には、経済援助よりも経済学援助が必要なのである。これが、著者の持論。(p.344)
 日下公人さんの著作にも、北京大学の学生に講義した時の状況が書かれていた。最高学府の学生たちですら経済学史上の用語を知らないという驚くべき事実が書かれていた。
   《参照》   『国家の正体』 日下公人 KKベストセラーズ
              【北京大学の学生】

 世界精神の展開過程とみる歴史観は、経済史とも不可分な認識なのだから、経済学を真摯に学ぶことで、中国史を “輪廻の歴史” から脱出させるための方法を見出すことが可能となるだろう。そのような歴史観を構築できるか否かは、中国の若者達の課題である。構築できなければ、 “輪廻の歴史” の中に戻ってゆく。

 

 

<了>