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 タイトルが興味深い。著者は、明治時代の日本と、現在の日本は、違う国であるという認識で、このタイトルにしたという。


【万延元年(1860年)ニューヨーク、ブロードウェイ】
 ここを行進していた日本人がいた。日本人の毅然とした態度にマスコミは賞賛を惜しまなかったという。日米条約批准のために訪れた使節団で、正式な使節は、新見正興(まさおき)、村垣範正(のりまさ)、小栗忠順(ただまさ)の3人であった。
 かれらブロードウェイの日本人達は何者なのか、ということを、文明史的に見たいと思ったのです。つまり、中国・朝鮮のような純度100%儒教の国から来たのではない。せいぜい、儒教度20%で、あと80%は武士道とよばれる、体系化されざる社会学的な美学、あるいは美学的な倫理の国からきたのです。(p.16)

 ということで、著者の司馬さんは、下記の朝鮮人の手による書籍を基にして、明治以前の日本と、朝鮮の違いを強調している。


【『海游録』(平凡社・東洋文庫・姜在彦訳)という本がある】
 朝鮮の申維翰という18世紀初頭の科挙合格者の著作です。日本の将軍吉宗の時代には、通信使として日本に来て、この題の見聞録を書いています。なにしろ朱子学というイデオロギーのかたまりのような人ですから、日本人を、人間とは思わず、一段低い人間と見ています。日本の民衆も然り、高位の者も「人に似たる者がない」 (二〇三頁)
 申維翰は、日本社会を儒教的価値観 ― つまり礼があるかないかという ― で裁断してゆくのみで、日本社会をゆるがしている商品経済については、見ても意味を見出せなかったのか、全くふれずに終わりました。 (p.20)

 申維翰は、大阪という商業の町が、おびただしい種類の書物を売る町でもあることを見ました。このことで、かれは日本をもっと深く察すべきだったでしょう。
 申維翰の大いなる文明国朝鮮にあっては、書物は士大夫の読むものですが、江戸日本においては、固い本は庶民に近い武士階級か、裕福な庶民が読み、しかも、科挙の試験という功利的な目的なしに読むのです。小説のたぐいにおいては、庶民の読み物でした。
 また、日本は13世紀以来、中国との貿易における輸入品の筆頭は書物であり、おそらく申維翰がやってきた18世紀、中国で発行された書物で、中国ではなくなっている書物も、日本のどこかで保存されていたはずです。
 さらに読み書きのことになりますが、江戸時代、日本で書かれた政治、経済、法制の文書の多さはおそらく中国・朝鮮をはるかにしのぐでしょう。さらに、文芸や家伝、随筆のたぐいにかぎって言っても、おそらく中国・韓国をしのぎます。このため、江戸時代史を専攻する学者は文献の多さに困っているほどです。
 ただ朱子学的価値観からいえば、それらのほとんどは聖賢の教えと何の関係もありませんから、無意味な文字ということになりましょう。 (p.21)

 科挙官僚の傲慢と庶民の屈従、この階級関係は現在の朝鮮文化にも根強く残っている。その傲慢な官僚(両班)階級にとって、非礼な日本に統治された時代は、永遠に消せない屈辱であるがゆえに、そのトラウマは日本を越える日まで決して消えることが無い。しかし、国力の源となる庶民階級の教養レベルもやはり、昔も現在も朝鮮は日本に遠く及ばない。従って、朝鮮民族の反日トラウマは、民族意思として半永久的に続けられるということである。プライド儒教はたいそう厄介である。


【佐賀、「鍋島藩」 の個性 】
 葉隠れの武士道を生んだ鍋島藩は、とてもユニークな藩だったようだ。
 日本という国家が鎖国をしていた江戸時代に、佐賀藩は藩としても鎖国のような状態を保っていたという。そして、鎖国(鎖藩)をしていたにもかかわらず、早くから洋式化していたという。多くの藩士に物理や化学、機械学あるいは造船、航海術を学ばせ、これらを習得させるために、オランダ語や英語を学ばせていたという。
 英国製の軍艦を購入して持っており小さな船舶を建造するドッグももっていた。英国製のアームストロング砲も持っていたし、陸軍は施条銃(ライフル)で装備していた。
 佐賀藩は、藩の子弟に異様なほど勉強をさせたという。佐賀藩士である大隈重信は、家中きっての秀才でしたが、無個性な人間や、詰め込み勉強を親の仇のように憎んでいました。後日、かれは「独自の考えを持つ人物をそだてなさい」といったそうである (p.92)

 首相を務め、早稲田大学の創始者でもある佐賀藩士・大隈重信さん。佐賀県人は、佐賀の先人達が、日本文化に、国政に、現在の日本の教育に大きな影響を与えてきたことをもっともっと誇りに思うべきである。私は佐賀県人ではないけれど、美味しい料理がほとんど無いという佐賀=鍋島という言葉を聴いただけで尊敬してしまいそうである。


【『荒城の月』と滝廉太郎】
 明治維新は薩長を中心とする武士階級が行った日本の改革でありながら、武士階級自体を没落させるという非情な改革であったことはよく知られている。まさに「わが身を捨てて、国を立てる」の大義が行われたのである。
 さて、日本人なら誰でも知っているであろう 『荒城の月』 が明治維新にかかわっている。作詞者の滝廉太郎は廃藩置県によって全国的に没落した武士階級の出身であることは間違いなく、・・・・・ (p.137)

 そうだったのか・・・と思う。今度から、この『荒城の月』に接する時は、挽歌、哀傷歌、鎮魂歌としてではなく、捨身立国を行った武士道人たちの気概が、「天上(の)影・・・」 に宿っているに違いないことを思いながら聴こうと思う。  

 

<了>

 

  司馬遼太郎・著の読書記録

     『21世紀に生きる君たちへ』

     『 「明治」 という国家 (上)』

     『 「明治」 という国家 (下)』

     『国家・宗教・日本人』