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 対談って、けっこう面白いことがいっぱい書いてあって楽しめるものなのに、この本は違った。テーマによるのであろうが、対話内容がシャープではないし、ビックリポイントも殆どない。
 司馬さんは、もう亡くなられている。この本は1996年の出版である。


【若者は娼婦声?】
 司馬さんは、「日本のいわゆる発展は終わりで、あとはよき停滞、美しき停滞をできるかどうか」 と語った後で、「でもその美しき停滞にはいけそうもない。先日、宮崎さんがおっしゃっていました。アニメをつくるときの、若い声優の声がだめなんだそうです。『紅の豚』では、女の子の役を一般の人たちから募集してテストしてみたら、殆どみんな娼婦の声なんだそうですね」 (p.114) と言っている。
 娼婦の声というのがどういう声なのか分からないけれど、夢と希望に満ち溢れた少女の声ではない、ということなのだろう。人生にあまり希望を持てていない親の心が、家族全員の声質を汚染しているのかもしれない。


【石橋湛山】
 石橋湛山は山梨県の身延山のお寺の子で、日蓮宗の坊さんになるために早稲田大学の哲学科に学んだが、ジャーナリストを経て政治家になり、第55代・内閣総理大臣になった人。
 石橋湛山は、大正・昭和初年に日本中が、「国家は伸長しなければならない」 と騒いでいたときに、朝鮮も台湾も捨てよ。江戸時代以来の国土のままで十分やってゆける」 と小日本主義を唱えていたという。故に戦後は、「日本は朝鮮半島に責任を背負わなければいけない」 とも述べていたという。
 この内容を受けて、井上さんは、
 「一方にそういうことを言っている人(石橋湛山)がいるのに、「いいこともした」 などという人がいる。あれほど日本の国益を害している人たちはいないと思うんですが」 (p.124) 

と書いている。
 石橋湛山が生きていたら、「左翼の井上ひさし氏に、私の発言を借用していただくのは、御免こうむりたい」 というのではないか。司馬さんは善意の日本人である。司馬さんと井上さんの意見が同じであっても、善意の日本人であるのか、左翼の日本人であるのかは、明確に分けて判断する必要がある。
 戦後世代の私は、日本に滞在している韓国人と話してみて、彼らが、余りにも 「(日本は)悪いことをした」 としか言わないから、彼らの並外れた客観的知性の欠如に驚嘆しつつ、翻って 「(日本は)いいこともした」 と主張したくなるのである。いやむしろ、戦後の数々の日本からの資金援助、技術協力に対して、一言の感謝すらない韓国人に、「恥知らず」 と言い足したい。対韓国に関する私の考えは、以下に記述済み。
    《参照》   日韓近代の政治経済の事実

 

<了>

 

  司馬遼太郎・著の読書記録

     『21世紀に生きる君たちへ』

     『 「明治」 という国家 (上)』

     『 「明治」 という国家 (下)』

     『国家・宗教・日本人』