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 ヨコ帯の記述がいかしている。2年前に出版された書籍。ビジネスの視点から見た日本論。

 

 

【日本の産業は文化に根ざした産業である】
 今までの経済学は、全部話が生産から始まっています。生産拡大をめぐる「屁理屈の塊」が今までの経済学です。今までは生産不足の時代だからそれでもいいのですが、いつのまにか生産過剰になってきた。そこで消費から考える経済学が欲しいが、それは大学では教えていません。それを自分自身の体で感じて市場論とか消費心理学とかの新しい名称でそちらへ興味の中心を移した人はいますが、これはアカデミックの世界では “虐待” されています。
 しかし、人間はもともと消費するために生きています。  (p.41)
 トヨタの「かんばん方式」などに代表される “ものづくり” の会社では、10年以上も前から 「作ったものを売る」 のではなく 「売れるものを作る」 という発想に変わっているけれど、アカデミズムというのは頑迷固陋な学者さんが幅をきかせている世界なので、時流にはテンデ乗っていない。
 今年、首都圏の名の知れた大学の経営学部を卒業した大学生に、「トヨタの 『かんばん方式』 ってアメリカの大学で取り上げられている基本事例だって聞いたけど、何? どういうこと?」 と聞いたら、全く答えられなかったので呆れてしまった。
 日下さんは、上記の文章の後に、日本の産業と日本人の消費傾向は日本文化に即して展開してゆくことを書いているのだけれど、大学で学んだ学生は、「屁理屈の塊」 で “虐待” されて、日本人として普通の文化的心理でさえ分からなくさせられているのだろう。これも立派なアカデミズムによる “知的DV” である。

 

 

【世界に広がる「カウンター文化」】
 欧米の人間には、食べ物を生で食べる習慣もなければ、できたての熱いものを食す習慣もありません。しかも、フレンチやイタリアンでは、キッチンでつくったものをテーブルに持ってきます。日本料理のカウンターのようにつくるところと食べるところが接近しているわけではありません。実は、フレンチやイタリアンで作る場所と食べる場所が別なのは、料理人の身分が低いからです。欧米では料理は使用人が作るものと決まっています。 (p.59)
 欧米では、食事をする人の目の前に包丁があってはいけない。握手も、凶器を保持していないことを示すため。
 日本では、料理が最高に美味しい瞬間を大切にしている。
 危険と隣り合わせの略奪文化の欧米と、安心安全が前提にある共生文化の日本。
 比較するまでも無い。日本文化の基盤が既に、繊細さと高品質の前提となっているのである。

 

 

【日韓文化力の差 : 日本が保持し高めた韓国の職人技】
 下記リンクと同じような事例が書かれていたので、書き出しておこう。
           【陶山神社 : 日本に渡り陶祖となった李参平】
日下 : 日本が職人を尊敬する社会であることは、慶長の役の後、島津藩が攻め込んだときに陶磁器を焼く職人たちが喜んで島津義弘についてきたことでも分かります。
伊藤 : 日本人は技術を持っている人を海の向こうからでも尊敬して迎えています。陶磁器を作る人を島津がものすごく大事にしたことは想像に難くありません。連れて来たなんていうのはまったく嘘でしょう。
日下 : 強制連行であったかもしれませんが、本人たちも喜んでいました。双方合意の上です。彼らは鹿児島県苗代川(現美山)に移り住み、「沈という姓名を続けなさい、山奥の村の中で、そのまま韓国の生活を続けなさい」という特殊村落を作りました。そうして薩摩焼を完成させました。宗家は代々「沈寿官」の名を継いでいます。
 彼らは幸せに暮らしました。これを解釈すれば、特産品として全国へ売るために、島津が秘密基地にしたということです。技術が流れるのを防ぐためもあったでしょうけれど、ともかく大事にしました。社会全体が儒学者の自画自賛を妄信しないレベルに達していて、武士もプラグマティズムの社会を自分の体制の中に温存し尊重していました。  (p.87-88)
 東京の下町、錦糸町付近にはIT系インド人技術者の家族が多く住んでいる。 “インド人は頭がいい” という情報が日本でも定着しているからだろう。人々が交錯する舗道で、インド人に敬意を払っているような態度をみせる一般の日本人を見かけることが多い。
 私が接した経験では、韓国人は “日本人に馬鹿にされている” と思い込んでいる人々が多いように思える。しかし、古代日本における朝鮮人を見ても、現在の日本におけるインド人を見ても、 “馬鹿にされている” という意識は誤りであることがよくわかる。職人すなわち技術に秀でた人々は国籍を超えて尊敬する。それは日本人の今も昔も変わらぬ史実である。職人を蔑んできた韓国人には、こういった日本人の文化意識がまるで分かっていないのだろう。

 

 

【「お祭り国家」 日本が世界をリードする】
 昔は中国にもお祭りがあったそうですが、柯(南京出身の富士通総研主任研究員)さんによると革命で共産党が全部やめさせたそうです。なぜかというと、人々が鎌や鍬を持って集まれば、直ちに反乱につながると考えたからです。その代わりに赤い 『毛沢東語録』 を持たせて行進させたのです。それ以来中国に祭りはありません。
 韓国の友人に、「韓国に日本のような祭りはある?」と聞いたら、やはり「ありません」と答えてくれました。李王朝が、同じ理由で祭りを禁止したのです。日本人はまったく気付いていませんが、日本は北東アジアでは例外的に祭り好きの国民なのです。  (p.91)
 ご当地・徳島でもないのに、日本全国で「阿波踊り」をやってしまう日本人のお祭り好きな国民性。
 「夜這い」という言葉もお祭りに関わっていた。
 中国の反日暴動はお祭りに代わるストレスの発散であること、などが書かれている。
 お祭りがあるから国内がよく治まっているのはある意味、真実でもあります。お祭りは擬似戦争とも言われ、ギリシャなどには、こちらの神様とあちらの神様との昔の戦いを再現するお祭りがあります。   (p.100)
 要するにお祭りは文化の始まりである。
 西欧はお祭りではなく戦争主体。ゆえに軍需産業が主体で経済を引っ張ってきたから、民衆の文化にまでお金は回らない。経済と権力を独占してきた王侯貴族が担う文化で止まっている。
 日本は戦争ではなくお祭り(擬似戦争)主体。ゆえに民需産業が中心となって経済を引っ張ってきたから、民衆の文化レベルでは圧倒的に世界の中で群を抜いている。
 

【インド人のカースト是認意識】
伊藤 : インドの上流階級の人たちの多くは、貧乏な下層階級に殆ど興味がありません。同じインド人とは考えていなくて、まったくの別の人間だと考えているようです。「この人たちは、同じ国の人なのに、自分と同じ国民だとは考えていないのか。だから和解社会を目指そうという議論がでてこないのだなあ」 と痛感させられました。
日下 : 伊藤さんの見方に一つ付け加えれば、彼らは仏教の輪廻転生を信じていますから、来世でバランスをとるからいいと考えています。だから貧者のほうも、卑屈ではありません。みんな誇りを持っています。 
   《参照》  『12億の常識が世界を変える インド』 長谷川慶太郎 (ポプラ社) 《前編》
             【使用人23人】
 

【ルール破りを平然と行う中国 ・ オリンピックはどうなる? 】
 中国は2008年の北京オリンピックまでは国際ルールを守るとみんな考えています。しかし、オリンピック前に混乱して、開催不能になるかもしれません。
 あるいは、無理やり開催したけれども、「オリンピック精神は死んだ。北京で開かれたものはオリンピックではない」 と言われるようになります。
 開催したけれども、ルール破りが多くて、出かけて行った人はバカをみることになるでしょう。  (p.139)
 日下さんは長銀の銀行業務の仕事で、数年間、上海で働いていた経験のある方で、中国人の商業道徳、文化意識というものをよくよく知っていてこう書いている。

 

 

【少子化対策】
 実は先日、「文芸春秋」に簡単な文章を書きました。内容は「政府は少子化対策で何をすべきか」というものですが、少子化の原因は結婚が減っていることです。・・・(中略)・・・。一番の解決策はいい男といい女を増やすことだと書きました。・・・(中略)・・・。ですから、「政府はまず、それを研究しなさい」 と書いたのです。
 日下さんらしい考え方である。後続する文章を読んでみると、いい男は、女性や子どもたちが父親の仕事をどのように見ているかという視点から始まっているのがわかる。この視点が欠如すると・・
日下 : 長銀が一流の銀行になって、いいとこのお嬢さんばかりをもらうようになったら、今度は離婚ばかり。
伊藤 : 高い給料を持ってきて当たり前と考えている奥さんたちですよね。旦那の働く姿を見ていませんから必ずそうなります。 (p.214)
 

【ものづくり精神を理解した子供が明日の日本をつくる】
 最近。日本が他の国と違う点に一つ気がつきました。
 それは小学生のアンケート調査です。・・・(中略)・・・。1998年に、「大工さん」 が男子小学生のトップになったことがありました。今でも大工さんが5位以内に入っているようです。
 私が外国人に会ったとき、・・・(中略)・・・「 『大工』 と答える小学生はいるのだろうか?」 を必ず聞くようにしています。  (p.226)
 韓国人は 「あり得ない。親から怒られる」。
 中国人は 「とんでもない。早くお金持ちになって中国から出たい」 という答えが一般的。
 インドでは、とにかく 「IT技術者になること」 で大工なんか考えられない。
 アメリカに4年間いたことがありますが、アメリカ人もそういう考え方はしない、そうである。
 この部分を書いている伊藤さんが銀行員だったとき、職場の仲間と飲んでいて
 少なからぬ人が 「結局、俺たちは何も作っていないのだなあ」 という言葉は印象的でした。  (p.227)
 と書いている。
 金融という業種は、働いた成果が目に見える形(もの)になってこない。だから達成感が得られず、その職業に携わる人としてレゾンデトール(存在意義)が希薄になってしまうのである。
 日本人にはやはり “ものづくり” が本質的に合っている。
 日本人が “ものづくりの職人” を尊敬してきた文化的風土の根底には、熟練した職人が作り出した気迫のこもった “もの” に宿る霊性と、そこにこそ宿っている美意識を感じ取れる鑑賞者(顧客)の繊細な意識があったに違いないのである。“ものづくり” を通じてこそ、日本人の霊性は保たれてきたと言えるのではないだろうか。
 “もの” を直接生産しない金融業務を通じて、日本的霊性や日本人の美意識を見出そうとしても、それはどだい無理な話なのである。
 
<了>
 

  日下公人・著の読書記録

     『デフレ不況の正体』

     『思考力の磨き方』

     『独走する日本』

     『日本と世界はこうなる』

     『こんなにすごい日本人のちから』

     『反「デフレ不況」論』

     『人生応用力講座』

     『僕らはそう考えない』

     『「大和」とは何か』

     『日本人の「覚悟」』

     『官僚の正体』

     『お金の正体』

     『栄光の日本文明』

     『「見えない資産」の大国・日本』

     『強い日本への発想』

     『アメリカはどれほどひどい国か』

     『遊びは知的でなくてはならない』

     『「逆」読書法』

     『あと3年で、世界は江戸になる!』

     『日本の黄金時代が始まる』

     『「マネー」より「ゼニ」や!』

     『男性的日本へ』

     『よく考えてみると、日本の未来はこうなります。』

     『上品で美しい国家』

     『数年後に起きていること』

     『アメリカに頼らなくても大丈夫な日本へ』

     『「質の経済」が始まった』

     『 「道徳」 という土なくして 「経済」 の花は咲かず』

     『失敗の教訓』

     『 「人口減少」で日本は繁栄する 』

     『国家の正体』

     『日本人を幸せにする経済学』

     『闘え、日本人』

     『自信がよみがえる58の方法』

     『「考える力」が身につく本』