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 政治的なタイトルではあるけれど、至極全うな日本文化論でもある。特に第2章: “「わが国」の力を自覚せよ” と、第3章: “日本は 「アメリカ化」 する必要がない”、の2つの章がそれである。

 

 

【アメリカの皮相性】
 アメリカが誇りとしてきたこと、得意としてきたことは、その大半がプラグマティズム(実用主義)に基づくものである。思想や哲学といった分野ではヨーロッパを凌げないという無意識の意識がある。なるほど、それで経済は繁栄し、強大な軍事力を持ち得た。しかし、それをどう用いるかということになると思想や精神が必要になるが、それに自信がないときは簡単に正邪・善悪の二分法で敵を作る。
 アメリカの知識人の中には、アメリカは 「敵がいなければ、挑発してでもつくってしまう」 と率直に認める者もいる。敵とされた側はそれを理不尽と思うから容易に屈服しない。  (p.63)
 9・11が、自作自演の大芝居だったことは、日本のテレビでも既に明白な証拠を持って放映されたから、アメリカの正義に追随する話は、国民をとことんしらけさせるだけである。
 また、国際政治における “正義” という用語は、全て “国益” に置換して理解すべきである。
 さらに、純粋な精神を持って歴史の底流を見定めようと努めた者は、かつて三島由紀夫が彼の作品の中に書いていたように、“正義とは無意味と同義語である” ことを最終的に了解するだろう。

 

 

【パックス・ロマーナと現代】
 そもそもパックス・ロマーナが長く続いた大きな理由は、アウグストゥス時代から五賢帝時代末期を通じて、その根本精神に 「寛容」 があったことを見逃すことはできない。戦いに勝ったときでも敗北側の人間を受け入れて、対等に扱うことを続けた。だからローマは長く続いたのである。・・・(中略)・・・。
 このようにパックス・ロマーナの条件はいくつかあるのであって、ブッシュ大統領が今やっていることは、この条件のうち 「軍国主義」 しかない。共和制や寛容の精神はどうなっているのか?
 9・11は自作自演だったのだから、アメリカについては寛容も何もあったものではないけれど、パックス・ロマーナ(ローマによる平和と繁栄)という言葉を聞くと、その「繁栄の終わりの頃、ローマ人たちは美食と享楽に現を抜かしていた」 という話が、余りにも現代の日本に当てはまるので、そのことの方を危惧してしまう。

 

 

【「わが国」】
 「日本の立場に立ってモノを考える」とはどういうことか。
 司馬遼太郎氏が、日本を論ずるにあたって 「この国のかたち」 と語ったとき、なぜ 「わが国」 と言わないだろうと多くの人は思った。「この国」 という言い方は、自らはそこから距離を置き、一体になっていないことを示している。自分だけはグローバルな視点に立ち、日本を見下しているような感じがする。・・・(中略)・・・。 (p.82)
 そのせいか、『坂の上の雲』 で日露戦争を描いても、日本国や明治天皇が優れていたからロシアに勝ったとは書かない。東郷平八郎や秋山兄弟(好古、真之)や大山巌、児玉源太郎といった英雄、偉人がいたと書く。そこには国家礼賛、天皇礼賛、軍隊礼賛はない。大東亜戦争に参加させられた日本人の大部分は同じ気持ちだったから、国家でも天皇でもない、日本人が奮闘した 『坂の上の雲』 はよく読まれた。 (p.83)
 言葉の感じでは 「わが国」 はナショナリズム的で、「この国」 はインターナショナル的(国際的)である。「この国」 という言い方には、「西洋と東洋の両方を知っている」 「自分は普通の日本人ではない」 「国際人である」 等々のニュアンスが含まれ、知的かつ合理的な印象を与える。それが格好いいというのが戦後の流行だった。とくに外国に留学した人たちにはそうした傾きが強い。 (p.84)
 「アメリカに頼らなくても大丈夫な日本」を考えるためには、日本を 「この国」 と語るような感覚ではなく、「わが国」 と思う一体感がなければならない。 (p.85-86)
 「知」 は 「この国」 であっても良いが、「意」 は 「わが国」 になければ、畢竟するに、その 「知」 は何なのか? ということであろう。
 私自身も、神道に視点が移り、明治天皇の霊流なるものの中で日露戦争を看るに及んで、バルチック艦隊を撃破した日本海海戦のみならず奉天の戦いにおいても奇跡があったことや、軍人の人脈においても明治天皇の意に添う人物たちが中心(忠臣)となって、国を守ったという事実を知るようになった。
 明治天皇が体現していたように 「意」 は個人であれ国家であれ中心にあるべきもの。「意」 を欠いた 「知」 とは、恒星をもたぬ惑星のようなものであり、ありえないものだろう。特に、恒星である太陽を国旗にもつ日本人が、中心から見る 「意」 を欠いているのならば何をかいわんやである。

 

 

【戦後の日本人が語る「戦前」の誤り】
 たとえば戦前の日本は豊かだったという話をすると、「ええ?」という顔をされる。・・・(中略)・・・。彼ら(米兵)がそれまで戦場としてきたフィリピンやニューギニアの子供は、アメリカ兵が与えるまでチョコレートやチューインガムを、見たこともなければ、食べたこともない。しかし、日本の子供は知っている。日本人を野蛮と見下し、「リトル・イエロー・モンキー」と教えられて戦ってきたアメリカ兵にとって、それはショッキングな発見だったろうと想像する。こんな話は誰も活字で読んだことはないと思うから、今ここで文章にしておく。 (p.90-91)
 私自身、地方出身者なので 「戦前の日本が貧しかった」 という見解について、何ら疑問を抱くことなく受け入れてしまってきたけれども、日下さんがココに書いてくれていることは、紛れもない事実である。
 少なくとも昭和12年ごろまでの日本は豊かであったし、日本の民度は高かった。その当時の日本の生活水準は、都市部ではアメリカと大差がなかったであろう。地下鉄もタクシーもある。大人も子供もその日常に読書があり、都会の人間はジャズや映画を楽しんでいた。こうした大衆文化が花開いていたのは、その頃の世界では日本とアメリカだけである。
 ロンドンやパリも賑やかだったが、貴族階級と市民、農民などの身分が厳然と分かたれ、その殷賑は大衆文化とは言いがたかった。・・・(中略)・・・。かりに日本が戦争に突入しなければ、日本経済は高度成長を続け、マイホームもマイカーも、実際より10年か20年早い昭和30年代には普及していたにちがいない。 (p.91)
 昨年であっただろうか、江戸の落語家 「林家正造」 襲名にあたって集まった東京の老人たちの数の多さをニュース映像で見て、私自身かなり驚いていた。おそらく、戦後、廃墟となった浅草周辺に再び文化の火を灯し続けてきた人々の想い、未来へ向けての存続の意思・意向の現れであったのだろう。

 

 

【国家と宗教】
 イギリスの政治と英国国教会は一体だということであり、牧師もまたその政治を担っている。・・・(中略)・・・。キリスト教を伝道する彼らにとっては意識せざることであっても、その伝道が彼らの国の政治と一体だったことはたしかなのである。だからこそ彼らは、日本に対して国家と宗教の分離を強く要求する。
 クリスチャンほど、戦前・戦中の日本批判を 「国家神道」 という点に集中させる。「本来の神道」と軍部が利用した「国家神道」は、同一の地平で論ぜられるべきものではないけれど、少なくとも欧米サイドのイデオローグが、「本来の神道」が公的な性格を持っていることを批判できる根拠は何もない。

 

 

【“力の信奉者” と “道義の信奉者”】
 阪急電鉄や宝塚歌劇団を創設した小林一三が昭和15年頃に書いた随筆に、こんな一節がある。
 「ロンドン、ニューヨークに商売の手を広げて毎度痛感することだが、黄色人種のわれわれに対し、彼ら(白人)がとにもかくにも商売上の約束を守って代金を支払ってくれるのは、ひとえにわが日本に 『陸奥』 や 『長戸』 を始めとする、侮ることのできない巨大戦艦があるからにちがいない」  (p.116)
 ロシアの艦隊を撃破した日本の戦艦・軍事力に対する畏怖は、欧米に轟いていた。
 当時の白人がいかに有色人種を対等に見なしていなかったかが分る。しかし、ありがたいことに彼らは、人種差別よりも一層強く “力の信奉者” で、軍事力の強弱だけは率直に評価してただちに認めたから、われわれはそこに活路を見出したのである。江戸時代からの日本は “道義の信奉者” であったが、相手に道義心がないときには、残念ながら自分も一定の武力を持つのはやむを得ないことだった。 (p.116)
 これは著者が他の著作でも繰り返し記述していることであるけれど、欧米人の評価基準が何処にあるか、われわれ日本人はよく理解しておく必要がある。

 

 

【「アメリカに頼らなくても大丈夫な日本」とは】
 世界中に 「勤勉と努力こそ、いちばんの美徳である」 と思わせ、和の精神や日本人の美意識などを伝える。「そこには普遍性がある」 「これこそがグローバル・スタンダード」 などと言う必要はない。世界が自主的にまねを始めるような “美しく強い国” を示せばよい。 (p.202)
 「勤勉と努力こそ・・・」 などと書かれると、怠惰な私は激しくビビってしまうけれど、この文章に先んじて、日本人の精神性を表現してきた事例として、江戸時代に語られていた石田梅岩や二宮尊徳の思想や、明治時代に制定された 「教育勅語」 について言及されている(p.122~)のは言うまでもない。
 「アメリカに頼らなくても大丈夫な日本」 とは、日本人の価値観や美意識に基づいた新たな世界秩序を提示できる国になるということでもある。これまで述べてきたように、日本にはその実力がある。繰り返すが、戦後日本が身につけさせられてきた様々な “拘束具” を脱ぎ捨てさえすれば、自ずとそのことが分ってくる。(p.203)
 
 

<了>

 

  日下公人・著の読書記録

     『デフレ不況の正体』

     『思考力の磨き方』

     『独走する日本』

     『日本と世界はこうなる』

     『こんなにすごい日本人のちから』

     『反「デフレ不況」論』

     『人生応用力講座』

     『僕らはそう考えない』

     『「大和」とは何か』

     『日本人の「覚悟」』

     『官僚の正体』

     『お金の正体』

     『栄光の日本文明』

     『「見えない資産」の大国・日本』

     『強い日本への発想』

     『アメリカはどれほどひどい国か』

     『遊びは知的でなくてはならない』

     『「逆」読書法』

     『あと3年で、世界は江戸になる!』

     『日本の黄金時代が始まる』

     『「マネー」より「ゼニ」や!』

     『男性的日本へ』

     『よく考えてみると、日本の未来はこうなります。』

     『上品で美しい国家』

     『数年後に起きていること』

     『アメリカに頼らなくても大丈夫な日本へ』

     『「質の経済」が始まった』

     『 「道徳」 という土なくして 「経済」 の花は咲かず』

     『失敗の教訓』

     『 「人口減少」で日本は繁栄する 』

     『国家の正体』

     『日本人を幸せにする経済学』

     『闘え、日本人』

     『自信がよみがえる58の方法』

     『「考える力」が身につく本』