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 日下さんの著作は、通常の著作とは違った視点で語られているのが特徴。だから、出版社はこのようなタイトルで売るのだろう。2012年4月。

 

【自由な考えを封じる場所】
 日本人が自由な考えを封じられるようになった理由は単純で、それはみんなが大学に行くようになったからである。大学は私たちが賢くなるための場所ではなく、大学教授を生活させるための場所である。
 では、その大学教授はどんなことを考えているのか。
 たとえば学者は、グラフが好きである。・・・中略・・・。
 学者の書いた本にグラフが多いのは「過去」を見るのが好きだからで、いままでがそうだからこれからも同じ、という「直線思考」の考え方に固まっている。
 私のように戦争の時代から生きてきた世代にとっては、明日は何の保証もなく、社会は一日にして移り変わるのが当たり前だった。だから学者が「証拠」と称して出してくるグラフにはまったく価値がないことを知っている。(p.14-15)
 グラフと、その元となる数字を、無条件に受け入れるのはいかがなものか。
 日下さんが書いているように、自分自身が体験してきた事実を先行させるべきだろう。
    《参照》   『数字で考える習慣をもちなさい』 小宮一慶 (PHP)
              【ただし、ここでもうひとつ注意】

 

 

【ベトナム戦争時のアメリカ】
「アメリカは崩壊しない」と思っている人は、ベトナム戦争後、アメリカの大都市が焼け野原になっていたことを知らない。他国の空襲を受けたのではない。アメリカ人が自分たちの街に火をつけたのである。ドイツ人はこれを見て「われわれは第二次世界大戦に負けたが、アメリカ人は自分で自分を爆撃している」といった。(p.22)
 読んでビックリな内容である。
 何故アメリカ人は自分で自分を爆撃したのか、これ以上詳細な記述がないので、本当の理由は分からないけれど、推測としては、反戦機運に盛り上がっていた国内のデモに対し、戦争で儲けようとする軍産複合体が、これを制圧するためにやったということだろう。
 現在のアメリカでも、FEMAが似たようなことをやっているらしい。
    《参照》   アルシオン・プレヤデス19-2:FEMA - 収容所とNWOによるホロコースト(大量虐殺)

 

 

【上場とコンプライアンス】
 経済界を見渡すと、どこの企業も赤字続きで、人件費や設備投資が確保できない、という。
 日本を代表するような上場企業の経営者まで泣き言をいうので、そういう会社の人に、「では、なぜ上場をやめないのですか。経費節約になりますよ。上場をやめて、何か不都合がありますか」と聞くと、「上場企業でいると知名度が高い。だから優秀でいい学生が入ってくる」と考える。しかし、知名度で会社を選ぶような若者が本当に「優秀でいい学生」かどうか、おそらく真剣に考えたことはないのだと思う。
 上場してどんなよいことがあるかは不明だが、悪いことの方はすぐ分かる。証券取引所に届け出たり、チェクを受けたり、社外取締役や監査役を置いたり、その他、弁護士や会計士などにお金を払わなければならない。チェックにコストがかかるのが欧米式の経営で、そんなお金があったら事業に使ったほうがよい、と考えるのが、日本式の経営である。(p.39)
 上場するということは、コンプライアンス(法令順守)に従うことである。
    《参照》   『独走する日本』 日下公人 (PHP)
              【コンプライアンス】
 CIA指揮下にあって、「法令順守」を看板のように掲げている日本の警察が深く関与するパチンコ業界は、不況と言われる現代であっても、「上場」することなく大繁盛しつつ、警察官僚の天下り先となっているのである。
   《参照》   『マルハンはなぜ、トップ企業になったか?』 奥野倫充 (ビジネス社)
              【パチンコホール企業の上場】

 

 

【永田町で話題になったジョーク】
 政治の世界でも「日本には正体不明の鳥がいる。中国から見れば“カモ”に見える。米国から見れば“チキン”に見える。欧州から見れば“アホウドリ”に見える。日本の有権者には“サギ”だと思われている。オザワから見れば“オウム”のような存在。でも、鳥自身は“ハト”だと言い張っているようだ」というのがあった。
 永田町でも話題になったジョークだが、笑って終わりにするのが普通の人、「カモ」でも「チキン」でも「アホウドリ」でもない政治家をめざすのが一流ということらしい。(p.68)
 魑魅魍魎が跳梁跋扈する政界にあって、料理されて食われてしまうことなく、鳥瞰する鳥であり続けられるのはそれだけで立派なものである。

 

 

【マトリョーシカのルーツ】
 マトリョーシカ人形はロシアを代表する民芸品だが、ルーツは意外にも日本にあるらしい。19世紀末に日本を訪れたロシア人が、お土産に箱根の入れ子人形を持ち帰り、「面白い」と思って真似をしたのがきっかけだといわれる。それを知っているロシア人から、「日本人は面白いことを考える」といわれたことがある。(p.92)
 「へぇ~」、な話である。「だったら、箱根町は、『マトリョーシカのルーツはこれ』って、もっと大々的に宣伝すればいいじゃん」、と思う。
 ところで、上記書き出しに続いて、以下のように書かれている。
 彼は「早く本音をいえ」という代わりにこの話をしたのである。(p.92)
 やっぱり、マトリョーシカのルーツは日本である。

 

 

【敵を味方に:日本文化固有の考え方】
 マスコミや政府が「クールジャパン」と騒ぎ出す何十年も前に私がそういった現象に気づいたのも、この分類で世界を見ていたからで、これが、私の話が人と違っている理由かもしれない。(p.95)
 この分類とは、「庶民の目線」というほどの意味。
 アンガやアニメを日本文化の視点で、最も早くから積極的に評価していたのは、おそらく日下さんである。
    《参照》   『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』 竹田恒泰 (PHP新書) 《前編》
              【日本アニメが世界に与えた影響】
              【アニメが創る、日本の良き理解者】
 ポケモンシリーズのアニメ映画に『ミュウツーの逆襲』という作品がある。敵対していたキャラクターたちが、最後には涙を洪水があふれるほど流してすっかり仲良くなるという、非常に日本的なストーリーである。
 日本人はそういうストーリーを追うリテラシーが発達している。アメリカ人はそもそも善は永久に善、悪は永久に悪という発想しかないから、敵が自分たちの味方になるなどとは考えもしない。(p.95)
 「敵が味方に」という発想は、日本文化に固有なことなのですが、分かっていない方は下記リンクを辿ってください。
    《参照》   『ヤクザから狂犬と呼ばれた男』 参武狼 (宝島社)
              【マフィアの世界】

 

 

【十津川】
 私は平成23年の夏、北海道の新十津川町を訪ね、その開拓の歴史を知った。
 明治22(1889)年、奈良県の十津川郷が大水害に襲われ、壊滅的な被害を受けた。生活の基盤を奪われた人たちは、新たな生活の地を求めて移住を決断。600世帯、約2400人が北海道の未開の原野に入植した。(p.110)
 地名に残る共通性は、何らかの縁を示しているのだろう。
 “南部”に関わる下記リンクも、そのうちの一つ。
    《参照》   『リチャード・コシミズの未来の歴史教科書』 リチャード・コシミズ (成甲書房) 《中編》
              【金に関わる甲斐源氏のつながり】

 

 

【「上流」という支配者の手口】
 「上流」「中流」「下流」の精神の違いは、意外と身近なところにある。
 「中流」の特徴として、「失敗したくない」という気持ちがある。一攫千金を求めてリスクを取ろうというのは「中流」ではない。「上流」と「下流」はリスクを取る。ここでも上と下はそっくりで、中だけ違っているという話になる。(p.122)
 この記述の後に、ヨーロッパにはそもそも「中流」はなく、それがどのように育ってきたのか、その過程が面白く記述されている。現在のわれわれが世界史を学べば、徐々にであれ「中流」が育ってきたと思うだろうけれど、現在の世界情勢は、その流れに明らかに逆行している。日本も同様に、急速に「中流」が減少しつつあるので、「上流」で利権を握っている“支配者たちの手口”は知っておいたほうがいい。
 上の仕事はまずルールを決めること。「一年のうち一週間は俺の土地へ来て働け」とか、「税金はこれだけ納めろ」とか、・・・中略・・・。だから、支配者のことを英語で「ルーラー」という。
 ルールを守らない者を処罰するために、軍隊があり、裁判所があり、刑務所がある。(p.123)
 日本に限らず古代社会は、成文法などなくても、不文律だけでほとんど争いなどなくうまく機能していた。戦争・経済・ルールというのは、ルーラーたちが用いる一連の得意技リンクなのである。
 「日本は、法治国家である」と胸を張って言える人は、相当に洗脳が効いている愚か者だということになる。ルーラーたちの傘下にある組織を相手に、裁判を経験してみるといい。日本の裁判官などルーラーの利権を守るために、どのような卑劣な判決文でもイケシャアシャアと書いていますよ。中国とどっこも変わりはしない。

 

 

【上智大学の古い先生から聞いた話】
 支配者の犬になっているクズどもに関しては、日中で差など全然ないけれど、民衆レベルは違う。
 中国での布教に行き詰まり悩んだ挙句、ある宣教師はすでに開国していた日本への転勤を願い出た。こうして上智大学にやってきた神父が驚いた。「中国では、われわれの教えはすべて無駄だった。そこで日本にきてみると、われわれが教えるようなことをすべて(神の道に入ることは除いてだが)、日本人はやっている。みんな礼儀正しく、嘘をつかず、人には親切で、親切にされた人は恩返しをする。衛生状態は完璧だ。われわれが教えることは何もない」と。(p.134)
 当時の日本の民衆レベルが高かったのは、当時から日本には「中流」が安定的に多く存在していた証拠になるけれど、現在の日本は、先にも書いたように、結構、危うい状態にある。
 このような状況下にあって、現実世界の善化を目指すのは勿論として、多次元世界へと向かう意識の進化(神化)は、同時に常に志向させるべき。
 世界的に、格差社会が広がりつつある過程は、必然的に教育格差や意欲格差を招くけれど、意識格差はそれらに連動しない。むしろこのような逆行する時代状況をスプリングボードとして、意識の進化に向かわせるべく活用すべきなのである。
 今この時代に地球に生きているすべての人々は、自らを二極化する意識世界のどちら側へ向かわせるのか、全て自分次第という選択権を持っている。
    《参照》   『空 天翔ける歓喜の弥栄』 Mana (三楽社) 《後編》
              【創造主としての自立と責任】

 

 

 

<了>