イメージ 1

 日本が誇った戦艦 「大和」 の敗北は、戦艦同士の対決の時代は既に終わっていて、空中戦の時代になっていたことを読み切れなかったことが原因とされているけれど、この本には、それ以外の様々な点が語られている。

 

 

【「大和」は世界最高の戦艦ではない】
 「大和」は世界最高の戦艦ではないという三野さんのご指摘は鋭い。日本礼賛がすぐ慢心につながるのは、こういう冷静さがないからである。
  ・・・(中略)・・・ 。
 これはもともと貧乏なのと、もう一つは英才信仰が原因だろう。物事を見ないで人物を見るので、すぐに 「作戦の神様」 というような表現を使う。人を信用してしまって、物事をとことんまで検証しようとしない。日本のよくない点だ。(p.52)

 世界記録に全然手が届かない時は無関心だが、そろそろ手が届くかなという時には、どこの国でも、あれが世界一、これが世界一と無理やりにでも言いたがる。(p.18)
 アメリカには 「大和」 と同等以上の規模・性能をもつ戦艦が4隻あった。「アイオワ」 「ミズーリ」 「ウィスコンシン」 「ニュージャージー」 である。当時のレーダー技術において、アメリカは日本より上をいっていたから、仮に1対1の決戦を想定しても、案外あっけない形で 「大和」 は負けていただろう(p.55)と書かれている。
 「大和」 は、戦艦同士の対戦ではなく数多の飛行機からの空爆によって沈没したのだけれど、「大和」 はたいそう横幅の広い船体をしていたから、上空から爆弾を落とす側からしたら、横からの攻撃であっても、たいそう狙いやすい船体だったのだろう。

 

 

【艦長人事】
 「大和」 の艦長は三年半の間に5人変わっている。最後の有賀さんというのが5代目艦長だが、何でそんなに変わる必要があったのかと思う。
 やはり平等人事で順番に回して、エリートになるために 「大和」 の艦長を一度経験せよということなのか。日本海軍の上層部は、何をやっていたのだろうと思う。そういうソフトが悪いと、いくら18インチ砲をつけても駄目だということだ。(p.157)
 戦争の最中でも官僚主義が幅を利かしていた。とてもじゃないけど、真面目に戦争しているとは思えない。
   《参照》   『失敗の教訓』 日下公人  WAC

           【美風と無責任】 【思考が用語に縛られる】

 

 

【なぜ?】
 日本海軍の艦隊を指揮した人々には一つの共通した特徴があるように思える。・・・中略・・・勝利を目前にしている場合でも、〈詰め〉が甘いという点である。ハワイ真珠湾、珊瑚海、南太平洋海戦を見ても、もう一歩踏み込み、あるいはもう一回攻撃しておけば、といった時点で戦いを打ち切っている。(p.215)
 なぜ 「大和」 があの時にガダルカナルへ行かなかったのかという話がある。(p.161)
 勝てたかもしれないからこそ、後世の話として語られているのであるけれど、
 これに対する山本五十六の答えは、ガダルカナルへ往復するだけの重油がなかったというものだった。(p.161-162)
 油送船が足りなかったとかウジャウジャ言い訳していたらしいけれど、本当の理由は、勝ってもいけないし、アメリカに打撃を与えてもいけないことになっていたのだろう。海軍提督・山本五十六に関しては、批判的な見方が多い。下記のリンクから2つたどれば真実が見えてくる。
   《参照》   『時流を読む知恵』  渡部昇一 致知出版

             【戦艦大和、外洋航行の真相 と 山本五十六海軍元師の挙動】
 でも、ここでは、そのことは置いといて、
 日下さんは、「大和」 のエンジンを、燃費の悪い蒸気タービン式ではなく、ディーゼル・エンジンにしておくべきだったと考える。

 そうすると、「ディーセルは故障を起こすかもしれないから駄目だ」 と言って不採用にした平賀譲の一言で日本は戦争に負けたとも言える。(p.162)
 「大和」 の設計者である平賀譲という人は、自分の意見を強引に押し通すことから、「平賀ユズラズ」 と呼ばれていたらしい。東京大学総長まで兼任していたという。

 

 

【 「三笠」 と 「陸奥」 が沈んだ理由】
 あまりいじめた為に水兵がやけくそを起こして、火薬庫へ火をつけて軍艦を沈めてしまうということが再三起こっているからだ。事故の原因は火薬庫での飲酒か自殺かまたは自然爆発かとまだ議論されているが、日本海海戦のすぐ後に佐世保で沈んだ戦艦 「三笠」 がそうだった。「陸奥」 もそうで、日本海軍の一番の主力艦は敵国ではなく、味方の水兵が沈めたのだ。(p.188)
 どっひゃ~~~~。
 日本軍の上官のビンタは陸海空いずれの軍隊でもおこなわれていたらしい。その代償が戦艦2隻の沈没というのはねぇ・・・・・・。

 

 

【ヌード vs 菊水】
 ここで興味深いのは、軍用機(特に爆撃機に多い)に大きくヌードを描くというアメリカ人の意識、精神である。これを描くことによって士気が高揚するのだろうか。 ・・・(中略)・・・ 。
 一方、沖縄に出撃した 「大和」 以下の第二艦隊の艦艇は味方の識別と心意気を兼ねて、煙突に〈菊水〉のマークを描いたと伝えられている。ご存知のごとく、菊水とは楠木家の家紋で、これは建武3年(1336年)の湊川の戦いで悲壮な死を遂げた楠木正成からきている。
 言ってみれば、目的を達成するために死を厭わずという決心を示したものなのだ。飛行機と軍艦の違いはあるものの、ヌードのイラストと菊水のマーク。これも太平洋戦争の実態の一つといえるだろう。(p.199)
 楠木正成は、湊川の戦いに出向くとき、生きて帰らないことを知っていたのである。そんな戦を象徴するかのような菊水を作戦名にしマークにもしていたということ自体、暗示的な未来を約束していたことになるであろうに・・・と思ってしまうけれど、その対戦相手がヌードというのは、やりきれなさのあまり絶句である。
 “誠を尽くして行動した楠木正成の象徴が、裸のオネエチャンにやられた” なんてギャグでも許せない。

 

 

【 「大和」 の遺産 】
「大和」 の話になると、世界最大の戦艦、あるいは世界最強の18インチ砲といった話題がまず最初にでてくるが、本当に評価しなくてはならないのは、
〈巨大技術を実現させるための生産、工程管理の手法〉
 かもしれない。そしてこれこそが、戦後の日本を造船王国に押し上げた原動力といえるのではないだろうか。(p.232)
 「大和」 の作成期間は、米英が 「大和」 の排水量の半分程度の戦艦を造るのに要した作成期間とほぼ同じであったという。造船を初めてまだ間もない日本だったのに、当時すでにそんなに高い生産能力、工程管理技術を持っていたのである。

 

 

【奴隷 ≠ 黒人】
 「大和」 とは直接関係ないけれど、奴隷=黒人という、現代人の安易な思い込みを覆す記述があったので書き出しておこう。
 『アラビアン・ナイト』 というものがたりがあるが、あれにはバクダッドのマーケットには世界中の良いものが集まっていて奴隷マーケットがあり、その奴隷の産地を紹介して、○○地方の奴隷は使えて安いなどと書いてある。
 その奴隷の産地として出てくるのが、ノルウェー、スウェーデン、ドイツ、スラブ、フランス、ガリア地方、ブリテンなどだ。北欧一帯の人は奴隷としてあそこで売買されていた。(p.244)
 アメリカ大陸にアフリカから多量の黒人奴隷が連れて来られる以前、入植者が集まり始めた頃のアメリカ新大陸には、白人によってヨーロッパの白人奴隷が連れて来られてもいたのである。

 

<了>