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 タイトル解題は、前書きに書かれている。
 新渡戸博士は、( 『修養』の中で ) 「知能が発達すればするほど、時間と空間に対する思想がますます長く、かつ広くなる」 と言っておられる。これは本当のことであろう。
 そこで、これを逆にすることも可能ではないか、と考えてみたらどうであろうか。すなわち、時間と空間に対する思想を長く、かつ広くすればするほど知能が発達するのではないか、と。時事問題をその時その時の問題としてみるのではなく、時間的には歴史をさかのぼり、空間的には地球の他の部分で起こったことも考え合わせて見るのである。 (p.2)
 本書は時事問題を題材にしているけれど、知能を発達させるための端緒は、必ずしも時事問題でなくともいい。
 特定ジャンルの本を数十冊程度読み通せば、おそらく、興味はそのジャンルに留まることなく、世界はドンドン広がってゆくはずである。ジャンルの広がりは、ほぼ時空間の広がりに対応しているはずである。
 ただし、その場合は、自分自身の経験上、体系的な思索にはなりにくいきらいがあるように思っている。だからチャンちゃんの頭はいつもシーサンバラバラである。シーサンバラバラでも、13のバラバラで国士無双級の知能がもてたら最高!・・・・・と期待してしまう。(意味わかる・・かな)

 

 

【軍事知識はインテリの条件】
 欧米では軍事知識があることがインテリの条件なのである。少なくとも軍事知識がない人間は指導層には入れないというのが常識になっている。
 私が客員教授で初めてアメリカの大学に行ったときだった。教授室から眺めると、軍服を着た学生たちが盛んに軍事教練をやっている。それもかなりハードでさえある。
 その大学はごく普通の名門大学で、軍人の学校ではない。なのに、なぜ軍事教練をやっているのかと思ったら、それはROTC(ロトシー)という大学教育の中に組み込まれた制度で、その単位を取ると予備仕官になれるのだという。
 日本では軍事教練などと言えばたちまち拒否反応が起こるが、向こうは制度に組み込まれて、誰もが何の違和感もなしに受け止めている。そういう空気も軍事知識がインテリの必須条件であることとはつながっているのだろう。 (p.139-140)
 日下公人さんも、しばしば同じ意味のことを書いている。欧米では 「軍事バランス下の平和」 というのが定常的認識である。日本人のように、「たまたま戦争が起こる」 などとはゆめゆめ考えてはいない。

 

 

【戦艦大和、外洋航行の真相 と 山本五十六海軍元師の挙動】
 それにしても、ミッドウェーに向かう空母4隻から500キロも離れた後方を戦艦大和以下が漫然と航行したのはなぜか。これだけ離れていては、当然ミッドウェー海戦には間に合わず、・・・(中略)・・・。
 私はずうっと後にこの真相を知って、唖然としてしまった。そもそも戦艦大和はミッドウェー海戦に参加するつもりなど全くなかったのだ。では、なぜ外洋に出て、空母4隻の500キロも後方を一応ミッドウェーに向かうような航行をしたのか。ほかでもない。瀬戸内海にいては戦闘に参加したことにはならない。階級が上がるキャリアにもならないし、戦闘参加手当ても出ない。そこで、昇進の機会と戦闘参加手当てを得るために、一応外洋に出て先頭に参加したという格好をつけたのだという。この精神の弛緩たるや、何をかいわんや、である。 (p.153)
 この文章に先行して、山本五十六について、以下のように記述されている。
 山本五十六元師は一度も第一線に立ったことがない。ハワイの真珠湾攻撃でも、陣頭指揮を執ったのは南雲忠一中将である。南雲は真珠湾攻撃には必ずしも賛成ではなかった。そのスタンスが石油タンクと海軍工廠を攻撃せずに引き返すというネルソン精神の欠如に反映しているのかもしれない。
 そしてミッドウェー沖海戦でも、陣頭指揮をとったのは同じ南雲である。
 山本五十六は常に後方にいた。このこととネルソン精神の欠如とは無関係ではないと思う。 (p.152)
 山本五十六のこのような態度は何に基づいていたのだろう。渡部先生は “ネルソン精神の欠如” と嘆いておれられけれど、山本五十六がアメリカのエージェントであったとするならば、実に良く辻褄が合う。
    《参照》  『歴史に学ぶ智恵 時代を見通す力』 副島隆彦 (PHP研究所) <後編>
            【日米開戦を仕組んだのは米内光政と山本五十六である】
 
 
【トンチンカンな本を書いた学者さん】
 少し古い話になるが、岩波新書の黄色版で 『韓国経済』 という本を書いた学者がいる。名前は挙げないが、東京女子大の学長を務めた人である。
 この 『韓国経済』 は絶版になっている。絶版になるはずである。とにかくひどい内容なのだ。
 ある時、私は妙な噂を耳にした。この著者が自ら 『韓国経済』 を回収しているというのである。著者が回収する本とはどんなものなのかと、私は早速古本屋に出かけて入手した。
 読んでみて、著者が回収したくなるのも当然だと思った。韓国経済はだめで、北朝鮮が隆々として繁栄するという内容なのである。・・・(中略)・・・。
 それにしても、こんなトンチンカンな本を書いたら、著者は学者の看板をはずさなければならない。だが、そんな気配はない。だいたいこの手合いは、何のかんのと言い抜けするばかりで、反省し、心を入れ換えることを知らない連中なのである。だから、この連中の名前は国民がリストアップして、世間を惑わす言辞をばら撒かせないために、忘れないようにしなければならない。 (p.169-170)
 なら、そのトンチンカンな学者さんの名前を記述してくださればいいのに・・・・と思いつつ、インターネットで調べてみた。隅谷三喜男(2003没)という学者さんである。渡部先生が名前を敢えて書かなかったのは、おそらく、死者に鞭打つを潔しとしない日本人の精神に準じたからなのだろう。チャンちゃんは単純な知りたがり家で、書いちゃった。

 

 

【「強制連行」ではなく「徴用」】
 当時は朝鮮も台湾も日本で、そこに住む人々は日本国民だったから、徴用は内地だけでなく、朝鮮でも台湾でも課せられた。・・・(中略)・・・。日本内地はもちろん、台湾でもこの徴用を強制連行などとは言わない。徴用を、襟首をひっつかまえて無理矢理連れてきて、鞭で叩いて働かせるようなおどろおどろしいイメージで染めて強制連行と言い換えるのは朝鮮だけである。
 そこには、日本に罪悪感を抱かせて、卑屈にし、有意の立場を確保して立ち回ろうとする意図がはっきり見える。
 悪辣非道な犯罪である拉致、つまり 「ひとさらい」 と、法令に基づいて行われた徴用とは、まったく別次元のものである。その徴用を強制連行と言い換えて拉致と並置させ、相殺を論じるなどは、悪辣極まる詐術といわねばならない。 (p.229)
 渡部先生のようにハッキリ書いてくれないと、多くの日本人は、本当に日本人は朝鮮人を強制連行したのだろうと思い込んでしまう。「強制連行」ではなく「徴用」であることを、しっかり認識しておくべき。
      《参照》   『国を語る作法』 渡部昇一 (PHP研究所)
              【「強制連行」ということばが使われ始めた背景】
 
 
<了>