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 この書籍の表紙、タイトルもデザインもスッキリしていて実に良い。渡部先生の本なので、2006年、最後の読書記録とするに相応しい。
 この読書記録に関しては、一箇所を除いて、全て書き出しだけ。


【北朝鮮に流れたコリア人の資金源】 (p.65)
 重要なことは、ノース・コリアンに対して、日本の税務署が長い間、日本人に対するような調査に入れず税金が取れなかったという事実がある。これらの会社は従業員に対して源泉徴収を行っていなかったという。
 私は戦前も戦後も多少知っているが、戦前、華族に列せられた両班の一部は例外として、日本に来た普通のコリア人で金持ちは一人もいなかったと言っていい。そして、戦後、日本にとどまったコリア人のうちで、極端なことをいえば、一度ぐらい金持ちにならなかったコリア人はいなかっただろう。まともに働いて税金を払わなければ、金持ちになれるからだ。

   《参照》   『同和利権の真相』 寺園敦史・一ノ宮美成 (宝島社) 《前編》

             【同和対策事業特別措置法】

             【 『7項目の確認事項』 】


【神奈川県の議員】 (p.71)
 これは神奈川県の話だが、県会議員に一千万円渡せば在日コリア人を地方公務員に採用する条例案に賛成してくれるが、国会議員にはもっと要るという。この話を聞いてから、神奈川県の議員を見ると、「お前も一千万円もらったのか」ということを連想してしまう。



【両班八十何家はみんな日本の華族になっている】 (p.76)
 私がドイツに留学した昭和30年(1855年)に、韓国人の留学生2人と出会った。一人は東大、一人は上智大学の卒業生だった。当時のコリアは朝鮮戦争が終わった後で、ものすごく貧しかった時代である。日本でも戦争が終わって10年、まだ焼け跡が残っていた頃である。日本でもそんな時代に韓国からドイツ留学ができ、またかつて日本に留学したぐらいだから、きっといい家の人たちだろう。
 案外知られていないけれども、両班八十何家はみんな日本の華族になっている。



【「強制連行」ということばが使われ始めた背景】 (P.79)
 この言葉が使われ始めたのは1970年以降のことである。北朝鮮系の朴慶植という人が使い出して普及した。その背景には以下のような事情があった。
 1960年代に、北朝鮮が天国のような国だとされ、帰国運動が盛んに行われたが、何年か後には北朝鮮に行く人がいなくなった。待っているのは天国ではなく地獄だったことが分かったからだ。そうすると、日本にいる反日団体、朝鮮総連などは、日本に残っているコリア人たちが「日本にいる理由」を探さなければならなかった。そこで、「強制連行によって連れてこられたから、反日は当然である」 としたのである。要するに「強制連行」を北朝鮮に帰りたくない口実として使ったわけだ。

 <以下のみ、私の追記>
 日本政府は敗戦時(1945年)に船を出し朝鮮人の帰国を促したが、殆どの人々はそれには応じずに、自らの意思で日本に居残っていたのである。そして、都市部の絨毯爆撃で家がなくなりその住人も死亡した場合、それらの土地は、戦後、先に住みついた人のものとなったのである。それが、東京の日暮里、三河島付近に在日朝鮮系の人々が密集している理由である。


【嘘の積み重ね】 (p.171)
 日本を破ったアメリカは、横須賀に来た軍司令官が必ず靖国神社に敬意を払って参拝していることは、朝日新聞もあまり報じていないから知らないのかもしれない。
 このような状況になっているのは、何よりも主権がなかった(敗戦後から7年間のアメリカ占領下)時代を「(日本には)主権がなかった」と教えてこなかったことが大きいと思う。
 主権がないときに主権の発動である憲法があるわけがない。「新憲法ができた。これが日本の最高法規である」と言っているのに、日本国内で憲法によらない死刑が東京裁判の判決によって行われている。これは憲法が主権の発動ではない証拠だ。しかし、それを(現在でも)最高法規としている。
 そういう嘘の積み重ねが、ミッドウェイ以来、戦後もずっと形を変えて続いてきた。どこまでも嘘が祟っている。



【ナショナリズムとペイトリオティズム】 (p.151)
 日本語で「祖父の国」と言っても「母国」と言っても同じようなものだが、英語でペイトリオティズムと言えば語源的に「祖父の国」に関係し、ナショナリズムと言えば「母国」に関係したことになる。

 

<了>