タイトルどおりの遊びばかりが記述されているのではない。まったく知的とはいえない遊びや、自堕落な遊びにも、間接的な価値が認められることも記述されている。
【財界人同人誌 「ほおづえ」 】
そんな立場になったことはないから分からないけれど、閑な時間がたくさんあるから有効に遊べるのではないという経験上の事実から、反転させてみれば、多忙な経営者の遊びに関する実態は推測がつく。
私がもっとも驚いたのは、その内容である。ビジネスという切ったはったの戦場で、先頭になって指揮をふるう経済界の人たちが、ちょっと暇を見つけては、 “遊び” に打ち込む姿は、目次を見れば一目瞭然だ。(p.9)
企業経営者のような多忙な人々だから、遊んでいる時間などないはずと考えるのではなく、逆に遊んでいる時間を確保しているからこそ、多忙でもストレスをためずに激務を務めることができる、と考えればいいのだろう。そんな立場になったことはないから分からないけれど、閑な時間がたくさんあるから有効に遊べるのではないという経験上の事実から、反転させてみれば、多忙な経営者の遊びに関する実態は推測がつく。
【遊び上手の条件】
ワクワク、ドキドキしてない状態が続くと、人生って本当につまらなくなる。その弊害を怖れるからこそ、経営者たちは感動を大切にしているのだろう。
そもそも、つまらない人間たちの “類友会“ に入りたい人なんているわけないのに、常日頃、そんな状態に陥ってしまっている人々は、感動を忘れている。
映画評論家の淀川長治氏の名文句に、「嫌いな人に会ったことがない。嫌いな映画を見たことがない」 というものがある。
これは反対にいえば、会った人、見た映画には、すべて感動するという意味である。その意味でいえば、「嫌いな仕事はしたことがない」 というタイプの経営者はよくいる。しかし、じつは、これこそが遊び上手の条件だといってもいい。(p.56)
“感動する心” はそのまま “遊び心” に通じているからである、と書かれている。 これは反対にいえば、会った人、見た映画には、すべて感動するという意味である。その意味でいえば、「嫌いな仕事はしたことがない」 というタイプの経営者はよくいる。しかし、じつは、これこそが遊び上手の条件だといってもいい。(p.56)
ワクワク、ドキドキしてない状態が続くと、人生って本当につまらなくなる。その弊害を怖れるからこそ、経営者たちは感動を大切にしているのだろう。
そもそも、つまらない人間たちの “類友会“ に入りたい人なんているわけないのに、常日頃、そんな状態に陥ってしまっている人々は、感動を忘れている。
【たいせつなのは、遊ぶ当人の遊びに対する考え方】
たいせつなのは、遊ぶ当人の遊びに対する考え方である。たとえば海外旅行でも、当人しだいで、その楽しみ方は変わってくる。・・・中略・・・。
私の知人には、たんに観光するのでなく、四国や秩父を巡礼するようなつもりで、イスラム世界の聖地をまわっている男がいる。また。別の男は、海外でうまいものを食べるのに、三ツ星、四つ星の高級レストランに行くのでなく、街の定食屋のようなところでふつうの人が食べているものを食べる。そうやって、その国の庶民の生活のなかに入ってみることで、旅の楽しさはかえって倍増されるという。
お金をかけてあそぶだけが、遊びではないはずだ。 (p.125-126)
お金がないとか時間がないとかいう人々って、つまらない。どっちもそれほどないのに素っ頓狂に遊んでいる人だって世の中にはけっこういるのである。私の知人には、たんに観光するのでなく、四国や秩父を巡礼するようなつもりで、イスラム世界の聖地をまわっている男がいる。また。別の男は、海外でうまいものを食べるのに、三ツ星、四つ星の高級レストランに行くのでなく、街の定食屋のようなところでふつうの人が食べているものを食べる。そうやって、その国の庶民の生活のなかに入ってみることで、旅の楽しさはかえって倍増されるという。
お金をかけてあそぶだけが、遊びではないはずだ。 (p.125-126)
【サントス・デュモン】
《参照》 『失敗の教訓』 日下公人 WAC
林周二氏が、「ブラジルへ行くなら、サントス・デュモンを話題にすると喜ばれるよ」 と教えてくれたことがあるが、先生はブラジルの切手に彼の飛行船があるので知っていたのだった。私は飛行機から、先生は切ってからのドッキングである。 (p.177)
これは単なるメモ。評論家の日下さんは飛行機もディープな趣味の内。《参照》 『失敗の教訓』 日下公人 WAC
【遊びというのはそもそも自堕落なものなのだから・・・】
《参照》 『味の素 食文化のクリエーター』 堀章男 TBSブリタニカ
東京電力の平岩外四相談役は、知る人ぞ知る大のパチンコファンらしい。氏は、多忙な仕事の合間を縫っては、ちょくちょくパチンコ屋に通い、玉をはじくことを、得がたい楽しみにしているそうだ。
・・・中略・・・。
しかし、平岩氏に言わせれば、遊びというのはそもそも自堕落なものなのだから、ときにだらしなくお金をスッても、それはそれでいい。いつも勝負に真剣になっていたら、せっかくの遊びも、かえってストレスになってしまうというのである。(p.186)
下記の書籍に書かれているように、平岩さんは非常な読書家である。・・・中略・・・。
しかし、平岩氏に言わせれば、遊びというのはそもそも自堕落なものなのだから、ときにだらしなくお金をスッても、それはそれでいい。いつも勝負に真剣になっていたら、せっかくの遊びも、かえってストレスになってしまうというのである。(p.186)
《参照》 『味の素 食文化のクリエーター』 堀章男 TBSブリタニカ
【経営理念は「共生論」】
そうなのだけれど、いつでもキッチリと読書家なのではない。そんな人など地上に存在しないだろう。自堕落な遊びの部分があるからこそ、読書という知的な遊びの部分もバランスがとれて活きるのだと思う。
そうなのだけれど、いつでもキッチリと読書家なのではない。そんな人など地上に存在しないだろう。自堕落な遊びの部分があるからこそ、読書という知的な遊びの部分もバランスがとれて活きるのだと思う。
【 “通” は、二階席で見る】
べつの知人は、大のプロレス好きだ。テレビだけでは飽き足らず、実際の試合にもまめに足を運ぶ。彼に言わせれば、「 “通” は、二階席で見る。後楽園ホールなら天井桟敷だ。そのほうが試合がよく見えるし、観客の様子もよく観察できる」 そうだ。 (p.204)
プロ野球の場合、 “通” の二階席観戦はありえない。現中日監督の落合さんが現役の巨人軍4番打者だったとき、私は3塁側の二階席でホームランを見る機会があった。レフトスタンドに飛び込む弾丸ライナーのホームランで、思わず 「すごい!」 と大拍手したものである。 ところが、家に戻って深夜のスポーツ番組でそのホームランを見たら、まるで落合らしい高だかと舞い上がる普通のホームランだった。 野球に関しては、“通” の二階席観戦は絶対にありえない。<了>