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 江戸時代の経済・文化は世界史上でもまれにみる高度な領域に達していたことは、すでに大勢の人々が記述しているけれど、「これからは世界中が 『江戸に学べ』 になっていくはずである」 (p.99) とまで堂々と言うのは、日下さんくらいだろう。
 日下さんの著書には、日本文化再考(最高)という知の楽しみが必ず記述されている。2007年11月初版。

 

 

【江戸時代の日中関係】
 欧米列強はアジアを侵略して外国人居留区を治外法権で作った。日本は条約改正で比較的早くそれらを接収できたけれど、中国はそれに長期間を要した。その理由はインフラである。
 (さまざまなインフラ)の整備を日本は自分の費用で外国に供与したが、中国は全部外国にさせたから退去にあたって買い取りの問題が発生したのである。
 もちろん、欧米は適正価格と称する高値の支払いを要求し、中国は長期間の利用により投資は回収済みと主張して拒絶する。中国への投資はいつもこういうことになる。
 最終的には人民解放軍という武力による無償の強制接収だったというのも学ぶべき点である。だから江戸時代の日本は中国に投資せず、また、中国にも投資させず、長崎での貿易だけを許可していた。 (p.40-41)
 土地だけ提供して、外国企業にどんどん投資させる手法の経済発展方法を、大前研一さんは、「貸席経済」 という言葉で表現し、それは今日的な経済環境の中では妥当な手法であると書いていたのを記憶している。
   《参照》   『ロウアーミドルの衝撃』 大前研一 (講談社)
             【「地域国家」を繁栄させる個人】

 

 中国における 「貸席経済」 は決して真新しい成功事例だったのではなく、過去に前例のある悪例と理解しておくべきなのだろうか。日下さんの記述を読んで、「やはり・・・」 と思ってしまう。

 

【評価されるノーベル賞より、評価する京都賞】
 日本人がノーベル賞をありがたがるものだから、日本初のノーベル賞をつくったらいかがだろうと、本に書いたことがあるが、それを実行したのが京セラの創業者・稲盛和夫氏で、今日の文化・科学に貢献のあった人を表彰する 「京都賞」 は今や世界的権威になった。日本の地位向上にも貢献したことだろう。
 それに続いて、そのマンガ版と言うべき国際的な賞が、2007年、創設された。音頭を取ったのは政界きってのマンガ好きを自認する麻生元外務大臣(現・首相)である。(p.71)
 日本人が、他からの評価や感動を求める時代はもう終わっている。日本人が、他を評価し感動を与えるべき国民であるとの自覚が足りていない。既に、日本が世界の権威となる神霊界の下準備は整っている。

 

 

【客のためではなく、自分の都合を守るため】
 市街地活性化のために招かれて、講演した時の会話。
 「商店街組合にはいろいろ申し合わせがあると思いますが、それをお客のためのものと自分たちのためのものと二つに分けて考えると、どちらが多いでしょうか」
 しばらく顔を見合わせていたが、やがて出てきた答えは、
「それは自分たちの都合を守るものです。お客の便利のために何かしようというのは10に1つくらいです」(p.139)
 3か月ほど前、郵便局から海外向けの船便を保険付きで発送したら、4日後に、お詫びの一言もなく、「港まで行ったところで保険料金不足で帰って来てしまいました。どうしましょうか」 という連絡があった。局員の非礼に腹が立ち、事務の杜撰さにもあきれてしまったけれど、「最初からうちの郵便局は、保険付きの海外便を受理できないランクになっている」 のだと言われて暫く言葉も出なかった。
 これこそ、郵便局の勝手な定めというものなのだろう。局長さんが出てきたから、「お客のために、局の決まりを変えるよう、トップ宛てに改善の提案をしてはどうですか」 と嘲罵の語気で言ったら、さすがに 「すみません」 とは言ったけれど、壊れたレコードみたいに 「決まりなので・・・」 と同じ言葉を繰り返すばかり。
 トヨタの経営陣が郵便局の改革に当たった筈だけれど、何も変わっていないのではないか。お役所時代の尻尾は全然切れていない。

 

 

【ベンツ・立派な学長室・美人秘書】
 日本のある大学がノーベル賞受賞者を学長に迎えることにしたときの話だが、学長になってきてくださいと言ったら、「よし、引き受けた。その代わり条件がある」 と言って、車をベンツにすることを要求した。そのほかに、「学長室はもっと立派にしろ」 「美人秘書を揃えろ」 とか、とにかく言いたい放題だったらしい。(p.166)
 ある大学の学長と言うのだから、筑波大学の江崎玲於奈さんなのだろうか。だとするなら、半導体の基礎研究で偉大な貢献をした方なのに、この話は心底ゲンナリである。
 このノーベル賞受賞者もアメリカかぶれの一人で、もともとアメリカという国は自分で自分をえらく見せないとやっていけない国である。美人秘書がいれば、この人は偉い人だとすぐ思う国民が多い国だから、自分を偉く見せる道具立てがうるさい。(p.166)
 日本人の謙虚さが通じないのはアメリカばかりではない。中国でも同じである。
    《参照》   『中国人民に告ぐ -痛憤の母国批判-』 金文学 (祥伝社)
               【中国人に日本人の慎みや謙虚さは通用するか】

 

 

【日本が、流血を伴わぬ脱皮・新生をなしうる理由】
 なぜヨーロッパ諸国や中国は戦争や革命などの流血の惨事を伴わねば、脱皮・新生ができないのか、それに対してなぜ日本は自らの国内において自ら問題を解決できるのか、は昔も今も欧米との比較において最重要視されるべき日本の特徴だと思うが、この視点から日本論および世界論はあまり見かけない。 (p.194)
 四面環海の地理的条件は、国内戦争が少なかった理由には使えない。
 最も妥当な理由は下記である。

 

 

【自分で働く日本人、他人を働かせる中国人】
 世界の国々や民族はいまだに皆殺しや奴隷化を含む支配によって自らの幸福と繁栄を実現しようとしているが、日本人は 「自分が働く」 ことによって生活の向上と精神の安定を得ようとしている。またそれに成功しているが、日本人にはその自覚がない。
 これが日本人の最大特徴であると、私に教えてくれたのは中国人である。 (p.198)
 中国人は台湾人をこのように言っているという。
「中国語では阿呆の呆と同朋の朋は同じ発音だから台朋とは台湾の阿呆という意味にもなります。騙して投資させようというので、大歓迎しているのです」
「台湾人は投資顧問として成功しないでしょう。台湾人は長く日本に統治されて半分日本人になっているから、元来は漢民族でも本物の漢民族にはかないません」
 半分日本人になっているとはどういう意味かと聞くと、「 『自分で働く』 のを自慢に思っていることです。漢民族は他人を働かせるのが自慢です」 と答えた。
 このひと言は目からウロコが落ちたような指摘で、その後長く日本と世界各国を比較するときのメガネに愛用させてもらっている。(p.199)
 欧米人のメンタリティーは中国人となんら変わらない。つまり、世界中の国々では略奪主義が当たり前で、いわば戦国時代がいまだに続いているのである。
 「自分で働く」 のが当然であった日本人は、260年にもわたる江戸時代の期間、鎖国をしていてなんら支障はなかった。むしろ略奪国家との接触を断つことで安定のうちに、文化は大いに爛熟していたのである。
 略奪主義を当然と心得る世界中の悪たれ国家が、日本(江戸時代)から学ぶべきことの終着点は、「自分で働くべき」 ということであろう。
 それでもこの提案を容易には肯んぜぬであろう国家には、江戸のからくり人形が進化した高度なロボット技術を取り入れて、ロボットに生産をしてもらえばいいのである。他国から略奪しなくとも済むように。
「略奪主義の欧米人」 は、「ロボットは人間を略奪する」 と恐れる。同類発想しかできない。
「自分で働く日本人」 は、「ロボットも働いて手伝ってくれる」 と歓迎する。やはり同類発想しかできない。
 だから、日本では欧米よりロボット技術がはるかに先行して進化してきた。
 世界の諸国が、「自分で働く」 という日本人にとって当たり前のありかたを受け入れようとしない限り、最終的な世界平和は実現しない。

   《ロボット:参照》    日本の産業技術力について《前編》
                   □ ロボット先進国・日本 □

   《労働観:参照》    日本の産業技術力について《後編》

     ●◎● 金融技術に劣っている日本?その訳は?日本の精神文化!? ●◎●
 

 

<了>