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 背表紙には「“文化大国・中国”の知られざる実態。 泥棒天国、厚顔無恥、公共道徳心は欠如し、サービス精神のかけらもない―――日本人が古来、敬い尊んだ中国人の実態はこうだ」と書かれている。この背表紙の通りの内容が実例を交えてテンコモリ記述されている。

 一般人のチャンちゃんが分りやすいポイントと思えた部分はここである。


【中国人に日本人の慎みや謙虚さは通用するか】
 20年以上中国で公務員として働いてきたある友人が、私にこのような経験談を話してくれた。「人間関係の公式を発見したよ。AがBに対して笑みを浮かべて慇懃に振舞えば、Bの身分はAよりも高いということであり、AがCに対して粗暴に振舞えば、Cの身分は無条件にAよりも低いということだ」 このような人間関係の公理が中国では一つの普遍的な現象として認識されている。(p.246)

 上記に則してみるならば、慎みと謙虚さを尊ぶ礼節の日本文化を体現した教養のある日本人が中国人と会すれば、即ち、教養ある日本人は無条件に身分の低い人物であると中国人に認識される訳である。このことを分っていない一般の日本人が多すぎはしないか。


【 日本と中国、どっちの儒教が本物か? 】
 古代日本は、中国から儒教など様々な文化を学んだとはいっても、日本は大和固有の繊細さで、より良いものに変容させて日本文化に同化吸収してきたのである。著者は、「中国は儒教国であるとはいっても、古来から文人が評価されることはなかった。像が残っているとすれば全て武人である」と書いている。文は理想であって、武が現実ということ。つまり、そもそもからして力の共産主義に親和性の高い民族国家だったのである。日本は尚武の国であっても、中国のように荒武の国ではない。在日外国人の中で、中国人の犯罪率が異常に高いことがそれを示しているであろう。
 やや横道にそれてしまったけれど、儒教に関して中国と日本の違いを明確にしておくなら、“藍は藍より出でて藍より青し”というよりは、むしろ“瓢箪から駒”、“鳶が鷹(を産んだ)”と捉えたほうが相応しいのではないか。あまりにも荒廃していたからこそ中国に聖人・孔子が出現したのである。元々安寧であった大和の国に、人の世の秩序を説く聖人が必要であろうか? 孔子の語った文言は、荒武の中国に科挙制度として利用され、尚武の日本に精神を汲み取られ保存されてきたのである。


【中国での実体験】
 チャンちゃんの中国での実体験である。入場券を買うべく並んでいると、小学生のような中国人の女の子二人に体当たり気味に割り込まれ、その女の子二人は中年の中国人男性に、体当たりで文字通り弾き出されたのである。並んだ順と買った順は正反対。
 また、混み合う地下鉄の乗り換えは決死の覚悟で身構えなければ、押し戻され下車できない。他者の事を考え気づかうような文化は中国にはない。
 パッケージ・ツアーで中国を旅してもこのような経験はできない。自分で歩いてみるならばその驚くべき世界に、最初はかなりうろたえることであろう。長く居れば、逞しくもがさつな人間になれる。
 中国人を蔑視するようになったのではない。「モラルの維持には適正な規模が必要なのではないか」と思えてきたのである。「いかんせん中国には人が多過ぎる・・・」と。


【中国の寺院建築文化は・・】
 奈良や京都の木造建築の寺社や美しい塔を知っている日本人観光客は、漢詩で有名な蘇州・寒山寺や広州・六榕寺の九層塔を見て間違いなく失望するであろう。コンクリートで出来ているのだ。
 既に宮大工はおらず、古の建築文化は絶たれている。20年ごとの伊勢式年遷宮を古代より連綿と行っている日本と一体どのような比較が成り立つというのか。


【日本は中国からの文化を輸入しているだけの国か?】
 「紙や印刷術は中国が発明したものであり、そもそも漢字は中国からきたものではないか」と遥か昔のことを誇りにする中国人留学生に私は言ったことがある。
 「日本は明治維新以前から、西洋の文化・技術を取り込むために、イギリス、オランダ、ドイツなどのあらゆる書物を翻訳してきた。ここ150年間は、日本人が開発した様々な産業技術と、日本人が翻訳時に新しく作った漢字を中国人が輸入して使っているではないか」と。

 《参照》 『「反日」に狂う中国 「友好」とおもねる日本』 金文学 祥伝社 《後編》

           【現代中国語における日本語】

 中国4000年とか5000年とかいって恐縮する日本人は単なる無知である。現在の中国に、日本人が恐縮するに相応しいものは何もない。正にこの書籍の背表紙に書かれている内容の通りである。


【漢詩は中国最高の文化?】
 ここまで書いても、「中国には漢詩があるではないか」とおっしゃる向きもあろう。日本人は行間を読むほどの日本人特有な繊細な感性で漢詩を美しく解釈していすぎるのではないか。日本人が素晴らしいと思っている漢詩について、斯界の中国人に解釈を依頼したら、何の深みも無いありきたりの解釈のみで、唖然とした日本人はその後を継げなかったというエピソード(岡田英弘さんの著作だったかなぁ)を読んだことがある。
 また、先の江沢民書記長は、中国人が尊敬する漢詩に依拠する家系の出身であったが故に党の最高位に登ることができたそうである。その人物が、数年前の訪日の折、また天皇訪中の折、歓迎レセプションの場で日本に対して何と述べていたか。漢詩の宗家にしてあの発言である。日本人の良識と繊細な感性で漢詩の中国を麗しくも敬意を込めて評価するのは、明らかに馬鹿げた買い被りである。


【目覚めちょうだい、お人好しの日本!】
 小森義久さんの著作の通り「日中友好のまぼろし」というのが事実のようだ。黄文雄さんのテンコモリの著作に書かれているように、「反省は自分がするものではなく、他者にさせるべきもの、うまく行かない原因は全て自分以外の処にある」、これが中国・北朝鮮・韓国に共通する儒教文化の常識であり、普通にまともで謙虚な日本人を絶句させるに十分な非常識である。お人好しにも限度ってもんが・・・・。


【韓国の前例から中国を予測する】
 ソウルオリンピック(1988)の10年ほど前から、日韓間の航空路線は日本人ビジネスマンや技術者でほぼ満席状態だったという。しかし、オリンピックが終わり数年で日本企業は韓国からほぼ完全撤退を完了したそうである。人件費が上がったということより、どれほど韓国人に対して企業研修をしようと、日本企業が要求する水準の製品が何時までたっても韓国人のモラルレベルではできないことが分かっていたからだという。両班と賤民、支配と被支配、この階級差別意識が韓国には揺ぎ無く存在し、社会的にも企業的にもモラルの向上を明確に阻んでいる。また、戦後の日本政府の莫大な経済援助や民間の技術協力を、韓国政府は国民に報知しないばかりか、戦前の日韓併合期間の独善的解釈で反日教育を続けている。上から下まで韓国のモラルレベルは日本人の常識を遥かに超えている(あっ間違った、下回っている)のである。現在の韓国は再度のIMF管理に近い状況だという。当然であろう。
 モラルの低さではなんといっても韓国を凌ぐ親玉の中国である。中国に先に進出したヨーロッパ勢は十の昔に撤退し、後から進出した日本の中小企業は、殆ど身包み剥がされて命からがら帰ってきただけである。残っているのはフランスのプジョー撤退の跡地に工場を再建設した広州ホンダなどの大企業のみではないのか。この間の事情はNHKなどで放映されてきたとおりである。中国政府は北京オリンピックで世界に恥を晒さないためにモラルの向上を国民に訴えるであろうが、北京オリンピックが終わった後、モラル向上の維持継続は可能であろうか? 李鵬前首相は三渓ダムの、江沢民前書記長は情報通信の利権が確定したところで引退したという。私物国家である。孔子ならば「この官にしてこの民あり」と言うであろう。それとも上と下は文化が違うとでも言うのか? 北京オリンピックの後、日中間の航空路線に、現在同様の日本人のビジネスマンや技術者がいるはずはないと思う。韓国の前例がそれ以上に中国には当て嵌まるからである。


【それでも日本は・・・】
 それでも、引っ越すわけにはいかない呆れた隣国、即ち精神文化チョー後進国家である中国・韓国を救うために、新たな技術を開発しつつ経済的繁栄を続けるのが、日本の責務であり定めであるように私は思う。

 

<了>

 

  金文学・著の読書記録

     『「反日」に狂う中国 「友好」とおもねる日本』

     『中国人民に告ぐ -痛憤の母国批判-』